こうして、ウェーンライト将軍のラジオ放送で米軍の降伏が決定します。
日本は、それから1年半後の昭和18年(1943年)秋の「大東亜会議」を前にフィリピンの独立を承認します。ラウレルを大統領とするフィリピン共和国を成立させました。いいですか、フィリピンを独立させたのは日本なんです。ここを間違えてはいけません。歴史はそうなっているのです。
ところが、日本の敗戦で戦争が終わると、アメリカは、もう1回、フィリピンに独立を与えたというかたちにした。いかにも自分たちが独立させてやったというふうにした。しかし私のいまの説明で分かるように、アメリカはここを植民地にし、日本のあとから独立を追認したのであって、フィリピンをアメリカから解放しその独立を認めたのは日本だった。
(『GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画』西尾幹二)
GHQ/日本近代史
マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山、黒木、乃木、東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)
GHQ/日本近代史
マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)
GHQ/日本近代史
アメリカも大使館こそ移動していませんが、日本政府が避難区域を20キロとか30キロとかいっているあいだに、3月17日、ルース駐日大使は、福島原発から80キロ圏内のアメリカ市民は即座に避難するように勧告しています。同日、米軍も、横須賀の艦船や一部軍人、家族を安全地帯に移す「フェーズI」を発動、4ヵ月メンテナンスのため横須賀に停泊していた原子力空母ジョージ・ワシントンも米本土からきていた450名の技術者を乗せたまま、3月21日に出港、これを最後に横須賀から第7艦隊の11隻の艦船はすべて姿を消しました。
アメリカは「トモダチ作戦」と称する被災地救援オペレーションを行うといっていたので、これらの艦船は東北沖にでも向かったのかと思ったのですが、何のことはない。17日のうちに全部出航してフィリピン沖まで逃げてしまったのです。米韓合同演習のために来ていた空母ロナルド・レーガンが東北沖に姿を見せましたが、これも福島原発から125海里(230キロ)以内の海域には決して入りませんでした。これが日米同盟の実態です。
(『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘)
アメリカは「トモダチ作戦」と称する被災地救援オペレーションを行うといっていたので、これらの艦船は東北沖にでも向かったのかと思ったのですが、何のことはない。17日のうちに全部出航してフィリピン沖まで逃げてしまったのです。米韓合同演習のために来ていた空母ロナルド・レーガンが東北沖に姿を見せましたが、これも福島原発から125海里(230キロ)以内の海域には決して入りませんでした。これが日米同盟の実態です。
(『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘)
1940年は東南アジアにおける平和の最後の年であった。だがそれは植民地支配によるイギリス・オランダ・フランス・アメリカの平和であった。この地域の1億5000万近い住民のうちわずかに10パーセント、つまりシャム(前年にタイという古い国名にもう一度改称)の住民だけが外国の支配をまぬがれていたに過ぎない。東南アジアの他の地域ではどこでも現地人の主権は廃されていた。欧米の拡張の過程で土着の諸国は一掃されて、直接の植民地支配下に置かれるか、主権を剥奪されて植民帝国の最高権威に従属させられていた。こうして大英帝国はビルマ、マラヤと英領ボルネオの三つの領域に対して責任を負い、フランスは、行政的にはインドシナ連合に統合されたヴェトナム、ラオス諸州およびカンボジアを支配し、当時は東インドの名で知られた広大なインドネシア群島はオランダに支配され、フィリピンはアメリカに従属していた。最後にまた、ポルトガルがティモールの半分を領有していた。(『東南アジア現代史 植民地・戦争・独立』ヤン・M・プルヴィーア:長井信一監訳)
かのABCDラインは事実上の対日宣戦布告であったと米国でもその強引さが考証されている。最終的に戦争に勝利したとはいえ英蘭にとっては歴史的大迷惑であった。
開戦早々に、英国海軍の戦艦プリンスオブウェールズとレパルスが撃沈され、世界一難攻不落を誇ったシンガポール要塞は実質3日で陥落(かんらく)、フィリピンではマッカーサーが屈辱の夜逃げ、あげくの果てには英蘭無条件降伏と彼らの白人優越感がたたき壊されたのだ。たかが黄色人種の一国に海で怯(おび)え、空でゼロ戦に追い回され逃げ回るなど想像もしなかったろう。
この太平洋戦争は300年も植民地支配されて虐(しいた)げられてきたアジアに自信と勇気をもたらした。
(『余命三年時事日記』余命プロジェクトチーム)
開戦早々に、英国海軍の戦艦プリンスオブウェールズとレパルスが撃沈され、世界一難攻不落を誇ったシンガポール要塞は実質3日で陥落(かんらく)、フィリピンではマッカーサーが屈辱の夜逃げ、あげくの果てには英蘭無条件降伏と彼らの白人優越感がたたき壊されたのだ。たかが黄色人種の一国に海で怯(おび)え、空でゼロ戦に追い回され逃げ回るなど想像もしなかったろう。
この太平洋戦争は300年も植民地支配されて虐(しいた)げられてきたアジアに自信と勇気をもたらした。
(『余命三年時事日記』余命プロジェクトチーム)
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