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 軍人たちは怒って彼のギターを取り上げた。
 彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって、歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に撃ち込まれた。
 そのとき軍人は言ったという……「歌ってみろ、それでも歌えるものならな」
(『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代)

ショック・ドクトリン
 大規模なショックあるいは危機をいかに利用すべきか、フリードマンが最初にそれを学んだのは、彼がチリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官〔本来の発音は「ピノチェー」だが、1973年の軍事クーデター以来、日本では多くの場合「ピノチェト」と表記されてきたため、本訳ではそれに準ずる〕の経済顧問を務めた1970年代半ばのことだった。ピノチェトによる暴力的な軍事クーデターの直後、チリ国民はショック状態に投げ込まれ、国内も超インフレーションに見舞われて大混乱をきたした。フリードマンはピノチェトに対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、規制緩和、といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイスした。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)

ショック・ドクトリン/ビクトル・ハラ