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 大規模なショックあるいは危機をいかに利用すべきか、フリードマンが最初にそれを学んだのは、彼がチリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官〔本来の発音は「ピノチェー」だが、1973年の軍事クーデター以来、日本では多くの場合「ピノチェト」と表記されてきたため、本訳ではそれに準ずる〕の経済顧問を務めた1970年代半ばのことだった。ピノチェトによる暴力的な軍事クーデターの直後、チリ国民はショック状態に投げ込まれ、国内も超インフレーションに見舞われて大混乱をきたした。フリードマンはピノチェトに対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、規制緩和、といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイスした。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)

ショック・ドクトリン/ビクトル・ハラ
 米中央情報局(CIA)の元諜報員で、民間セキュリティー会社カスター・バトルズ社を創設した34歳のマイク・バトルズは、ずばりこう言った。「イラクに広がる恐怖と無秩序は、わが社に有利な将来を約束している」。バトルズは、まだ無名で経験もない自分の会社にとって侵攻後のイラクの混乱状態はじつに好都合であり、連邦政府から約1億ドルの契約を受注するチャンスも夢ではない、と嬉々として語っている。彼の言葉は、現代資本主義のキャッチコピーとしても使えそうだ。「恐怖と無秩序は躍進の新たな一歩を導くきっかけになります」といったところだろう。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)

ショック・ドクトリン
 軍人たちは怒って彼のギターを取り上げた。
 彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって、歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に撃ち込まれた。
 そのとき軍人は言ったという……「歌ってみろ、それでも歌えるものならな」
(『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代)

ショック・ドクトリン
 IMFの構造調整政策――国家を現在の危機に対応させると同時に、もっと永続的な不均衡にも対応させる調整政策――は、多くの国で飢餓と暴動を生みだした。(『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』ジョセフ・E・スティグリッツ:鈴木主税訳)

ショック・ドクトリン
「私たちはゲノムやコホートの研究自体を否定してはいません。しかし被災地では住居やコミュニティを失った方たちが、今も必死で生活を再建しようとしている最中です。そのような人たちをゲノムという複雑で繊細な研究の調査対象にし、さらに負担をかけるというやり方には断固反対です。機構側は「被災地は人の出入りが少なく三世代同居が多いので、ゲノムコホートに適している」と説明しています。しかしそれは被災地のニーズとは関係のない、研究者側の都合に過ぎません。それに三世代コホートで、自ら判断を下すことができない胎児のゲノムまで採るということも大きな問題を孕んでいます」(『東北ショック・ドクトリン』古川美穂)

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