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 日本では台湾の先住民を、高砂(たかさご)族と呼んでいる。昭和天皇が1923(大正12)年に、皇太子として台湾を訪問された時に、高山蕃のアミ族の男女の踊りを、ご覧になった。それまで先住民族は「蕃人」と呼ばれていたのを、日本の統治のもとで引き継いで、そのように呼んでいた。裕仁(ひろひと)親王が「それでは、あまりに気の毒だ」といわれて、「高砂族」と名づけられた。(『日本と台湾 ――なぜ、両国は運命共同体なのか』加瀬英明)
 高砂族の首狩りは、つぎの要求から行なわれた。
 1.武勇を示すため……結婚の条件を得るため、または男性の名誉のため。
 2.成年男子の資格を得るため……成年にならなければ個人としての人格が認められない。
 3.身の潔白を示すとき……無実の罪をはらすため。
 4.復讐のため
 5.怨恨のため
 6.他種族、他部落との利害関係
 7.神霊を慰めるため……悪疫、災害のあった時、または豊作、豊猟をまねくため。
(『台湾 高砂族の音楽』黒沢隆朝)

台湾
「出草」とはいわゆる首狩りのことである。これが宗教的観念にもとづく行為であり、敵の勢力削減を目的とする戦闘とは性格が異なった。「出草」の対象は敵に限られず、異種族でさえあれば、たとえ通行人でもかまわなかった。かつての高砂族の道徳や宗教において、「出草」がどれほど重視されていたかを示す例は多い。(『霧社事件 台湾高砂族の蜂起』中川浩一、和歌森民男編著)

台湾
「台湾の高砂義勇隊がわが部隊に糧秣を担送していたが、彼らの律儀さには驚いたよ。自分は食べないで、担送してきた途端に死んじゃった」
 と、全羅南道の金在淵さんは語るのだった。
 その高砂義勇隊員は、ジャングルの湿地帯を通り、険しい山を越えて40キロの行程を、何日もかけて背負子で担送してきて、飢えのために死んだと説明した。
(『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい)

高砂族
「義勇隊にとられた時は、どんな気持がしましたか?」
「とられたのではありません。自分で行ったのです。自分の【精神】で行ったのだから、誰にも文句はいいません」
(『高砂族に捧げる』鈴木明)

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