ダーウィンは、今日の学者を悩ませつづける問題をもうひとつ突き止めていた。実生活では、人間は近縁や遠縁の者だけでなく、血縁関係のない人をも助ける――生物学の見地からは、遺伝的共通性がないので、そんな利他的な援助は自分の適応度にとってコストが高いとしても。すると、こうした血縁関係のない受益者からなんらかの形でほぼ同程度の見返りがないかぎり、あるいは何かほかの種類の「補償」でもないかぎり、そうした行動をとる個人は、みずからの適応度を下げて相手の適応度を挙げていることになってしまう。端的に言って、進化が教えてくれることはあまりにも明白だ。理論上、利他行動を避ける身内びいきの者は利他行動をする者より優位に立てるので、寛大さは血縁関係のなかに限られるはずなのである。(『モラルの起源 道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』クリストファー・ボーム:斉藤隆央訳、長谷川眞理子解説)
フランス・ドゥ・ヴァール
フランス・ドゥ・ヴァール
しかし、存続が目的であるとすれば、もっとも成功した社会とは、もっとも変化しなかった社会、彼らの伝統とアイデンティティとを保持してきた社会、または、環境の搾取を合理的に制限することで、存続をはかってきた社会なのだ。これまでもっとも長く続いてきた社会、変化の恐れにうまく抗してきた社会とは、今でも狩猟採集生活をしている社会である。南アフリカのクン・サン、またはブッシュマンと呼ばれる人々、オーストラリアの先住民、森の奥深く、めったに出会わない人々などだ。(『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト:長谷川眞理子訳)
種はあいまいで、さまざまに変る境界を持っているのである。何がそれを種としているのかは、場合によって異なる。もしも種に全体を統一させる性質があるのならば、それが何であるのか、私たちにはわからない。何かに属するということは、何かのクラスに属するということであって、何らかの本質が存在するという証明ではない。ある意味でそれは一時的な状態であり、やり直し可能である。決して、永遠で必然的なものではないのだ。私たちが人間という種に属するのであれば、それは、私たちが何か特別な性質を持っているからではなく、私たちが、自分の系統にそのように線引きをするからなのである。(『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト:長谷川眞理子訳)
進化
進化
私たちは、自然界の生物は幸せで健康なものだと考えたがるが、自然淘汰は、私たちの幸福には微塵も関心がなく、遺伝子の利益になるときだけ、健康を促進するのである。(『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー、ジョージ・C・ウィリアムズ:長谷川眞理子訳)
脳はナノ単位の大きさのニューロン(神経細胞)で動いている。1ナノは100万分の1ミリである。一つのニューロンは数ナノの大きさで、大脳には1立方ミリに約10万個のニューロンがあるとされる。ニューロン間の伝達時間もまたミクロの世界である。脳の情報伝達の基本はスパイク発火と呼ばれる電気信号である。スパイクは1ミリ秒以下、つまり1000分の1秒より短い時間の反応である。これほど小さい細胞のほんの瞬間的な変化を間接的に測って分かることには限界があり、全体の変化の様子からおおよそを把握するにとどまる。(井上)『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
科学と宗教
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