ノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)といって、欧米では貴族や裕福な家に生まれた男は、社会のリーダーの義務として戦場に出るのが伝統だった。安全な後方から「突撃!」とけしかけるのではなく、「俺に続け!」と真っ先に切り込む者を「リーダー」と呼ぶ。だからアメリカの歴代大統領のほとんどが軍隊経験者である。たとえばケネディ大統領は太平洋戦争で魚雷艇に乗って戦い、兄は戦死している。
ところが現在、アメリカ議会の上下院議員のうち軍隊経験者はわずか5%、自分の子供を軍隊に入れている議員はたった7人しかいない。デューク大学の調査によれば、大統領の閣僚や議員に軍隊経験者が少ない時ほどアメリカは戦争を起こしやすくなるという。自分や身内が兵士でないと、戦争の痛みはわからない。
(『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』町山智浩)
日本は悪いことはしない誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が起きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑劣化した。気品を失った。
大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)
西鋭夫/日本近代史
そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑劣化した。気品を失った。
大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)
西鋭夫/日本近代史
ところが、ポツダム宣言を日本政府が受諾した直後から、連合国側、特にアメリカ政府の様子がおかしくなってくる。9月2日、米戦艦ミズーリの艦上で、交戦双方の政府代表が、政治的宣言であるポツダム宣言を条約化することによって法的拘束力のあるものとする「【降伏】文書」に調印した。日本政府は「ポツダム宣言」を受諾し、「日本国軍隊の無条件降伏」を一条件に休戦することに合意したのだから、調印したのは国際法上厳密に言えば「休戦協定」である。それを連合国側は意図的に「降伏文書」と名付けたのである。(『世界がさばく東京裁判 85人の外国人識者が語る連合国批判』佐藤和男監修)
東京裁判/日本近代史
東京裁判/日本近代史
増税につぐ増税、「失業者」の増大、マッチや砂糖すら配給(切符制)、……と全国民が一斉に「貧困者」への転落を強要された。それが日中戦争の結末であった。「ぜいたくは敵だ!」の立て看板が銀座など東京に初めて立てられたのは、1940年8月1日であった。婦人のパーマネントも禁止され、ネオンサインも廃止となり、ダンスホールも閉鎖となった。
このように、日本中が暗く貧しくなり、経済的にも破綻寸前にまでなったが、それは1941年12月のパール・ハーバー奇襲に始まる超大国の米英を相手の戦争によるのではなく、貧弱な兵器や未熟な軍隊の軍事「後進国」にすぎない中国を対手(あいて)とする戦争によってであった。日中戦争の不可解さは実はここにある。これこそはまた、表面上は「無目的」にみえる日中戦争にかけた近衛文麿らの“秘められた戦争目的”をあぶり出す鍵(かぎ)でもある。
(『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』中川八洋)
大東亜戦争
このように、日本中が暗く貧しくなり、経済的にも破綻寸前にまでなったが、それは1941年12月のパール・ハーバー奇襲に始まる超大国の米英を相手の戦争によるのではなく、貧弱な兵器や未熟な軍隊の軍事「後進国」にすぎない中国を対手(あいて)とする戦争によってであった。日中戦争の不可解さは実はここにある。これこそはまた、表面上は「無目的」にみえる日中戦争にかけた近衛文麿らの“秘められた戦争目的”をあぶり出す鍵(かぎ)でもある。
(『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』中川八洋)
大東亜戦争
これほど周囲に敏感になってことはこれまでになかった。戦争中、行動を起こす瞬間にこれに似た感情を経験したことはある。あらゆる動きがスムーズで正確になるのだ――走り、照準をつけるために身体を反転させ、そっと引金を引きしぼると、たしかな手ごたえが反動となって身体に伝わってくる。洗練された動きに生命がかけられていたのだ――そんなときのかれには肉体しかない。精神はどこかへ去っているのだ。その瞬間に存在しているのは、動きとまったく一致するかれの肉体だけなのだ。連合軍内にいた現地兵たちが、それは“ゼン”の境地だと教えてくれた。完全に停止した瞬間に到達する道で、長期にわたる困難な訓練と精神統一、そして固い決意でもってしなければ完成されないものなのだ。(『一人だけの軍隊 ランボー』デイヴィッド・マレル:沢川進訳)
20世紀のはじめには、選挙結果や野球の試合のスコアを聞くために、大都市の新聞社の外に群衆が集まるようになった。電信は軍事作戦でも重要な役割を果たした。はじめて使用されたのはクリミア戦争中の1854年、ヴァルナにおいてで、その後はアメリカ南北戦争でも使われている。エイブラハム・リンカーンは、戦場にいる軍隊をホワイトハウスから指揮することができた最初の合衆国大統領となった。電信が登場する以前には、大統領は遠くで行なわれる戦争の戦場報告を数日、ときには数週間も待ったのである。(『黒体と量子猫 ワンダフルな物理史』ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳)
科学
科学
故にこれを校(えら)ぶるに計を以てして、其の情を索(もと)む。曰く、主 孰(いず)れか有道なる、将 孰れか有能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練(なら)いたる、賞罰 孰れか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る。
【それゆえ、〔深い理解を得た者は、七つの〕目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。すなわち、君主は〔敵と身方(ママ)とで〕いずれが人心を得ているか、将軍は〔敵と身方とで〕いずれが有能であるか、自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、法令はどちらが遵守されている、軍隊はどちらが強いか、士卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、わたしは、これらのことによって、〔戦わずしてすでに〕勝敗を知るのである】
(『新訂 孫子』金谷治訳注)
孫子
【それゆえ、〔深い理解を得た者は、七つの〕目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。すなわち、君主は〔敵と身方(ママ)とで〕いずれが人心を得ているか、将軍は〔敵と身方とで〕いずれが有能であるか、自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、法令はどちらが遵守されている、軍隊はどちらが強いか、士卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、わたしは、これらのことによって、〔戦わずしてすでに〕勝敗を知るのである】
(『新訂 孫子』金谷治訳注)
孫子
須田●【大韓航空機爆破事件】も不思議で、死亡者は115人となっていますが、遺体はというと一体もあがっていないのです。
菅沼●爆破現場はタイの空域でしたが、あのとき私はタイの軍隊に協力を求め、部下を派遣して爆破の真相を調べさせました。そうしたら、ある段階まで調べたときに、タイの軍当局から「これ以上調べたらあなたの命はないかもしれないからやるな」と言われたのです。まだ明らかになっていない不思議なことがあるということです。
(『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)
菅沼●爆破現場はタイの空域でしたが、あのとき私はタイの軍隊に協力を求め、部下を派遣して爆破の真相を調べさせました。そうしたら、ある段階まで調べたときに、タイの軍当局から「これ以上調べたらあなたの命はないかもしれないからやるな」と言われたのです。まだ明らかになっていない不思議なことがあるということです。
(『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)
第一次世界大戦以来、肉体・精神両面に関してさまざまな研究がなされてきた。たとえば心的外傷後ストレス障害は、ヴェトナム戦争までは公式に認められておらず、名称も定まっていなかった。今日では、戦争の心的外傷がわれわれに及ぼす影響が、だいぶわかってきている。しかし、軍隊のほうも、兵士をより有能な殺し屋に仕立てあげるために、懸命の努力を続けている。(『本当の戦争 すべての人が戦争について知っておくべき437の事柄』クリス・ヘッジズ:伏見威蕃訳)
ポツダム宣言の第9項には、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」とあったが、この条項には“送還の期限”が定められていないとして、ソ連は日本人捕虜のシベリア抑留・強制労働を強行した。最近になって、全抑協(※全国抑留者補償協議会)の斎藤六郎会長が、ロシア国防省の公文書館に保存されていた資料を調べた結果、敗戦後、山田乙三(おとぞう)関東軍総司令官がワシレフスキー極東ソ連軍総司令官に対して、帰国するまで捕虜将兵を、満州でソ連軍の使役に従事させる、と申し出ていたことを明らかにしている。これが事実とすれば、関東軍総司令官は、シベリア抑留への道をみずから開いたことになる。(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治)
石原吉郎/強制収容所
石原吉郎/強制収容所
こゝから所謂志士「青年将校」の出現となり、この青年将校を中心とした国家改造運動が日本の軍部をファッショ独裁政治へと押し流して行く力の源泉となつたのであるがこの青年将校の思想内容には二つの面があることを注意する必要がある。その一つは建軍の本義と称せられる天皇の軍隊たる立場で、国体への全面的信仰から発生する共産主義への反抗であり、今一つは小市民層及貧農の生活を護る立場から出現した反資本主義的立場である。(『大東亜戦争とスターリン 戦争と共産主義』三田村武夫)
日本近代史
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