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 鹿内さんは私に言ったことがありました。「美術館を持っているということは、大したことです」。世界中どこへ行っても、すべて「開け、ゴマ」なのだそうです。「ロックフェラーの本宅へ行った日本人はあまりいないと思うけど、私は呼ばれる」。本当に、周囲に何もないところに、一族が固まって住んでいるんだそうです。そこには美術館からなにから、すべて揃っている。そういうところに、日本人は普通呼ばれない。ロックフェラーは同格の人間しか呼ばないのです。
 そのレベルの交際がないと、情報戦に負けます。(渡部昇一)
『孫子 勝つために何をすべきか』谷沢永一、渡部昇一

孫子
 結局、ここではっきりしたことは、国内においてはあまり明晰(めいせき)には表現しないが、まず大江健三郎が天皇制反対、天皇制廃止、天皇制打倒、天皇制撲滅の論者であるということだ。しかも、それを外国に向かってはひじょうに強く言い、国内向けにはできるだけソフトに言う。そういう使い分けをしているということが明確になったわけである。(『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者 大江健三郎への告発状』谷沢永一)
 とにもかくにも、謝罪外交は屈辱の極(きわ)みでした。若干(じゃっかん)の例を挙げてみましょう。古くは、「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言した藤尾正行〈ふじお・まさゆき〉文部大臣は、ただちに罷免(ひめん)されました。奥野誠亮〈おくの・せいすけ〉国土庁長官は、国会で「日本に侵略の意図はなかった」と答弁したため、辞任に追い込まれました。最近では、「南京大虐殺はでっちあげ」と、事実を事実のとおりに表明した永野茂門〈ながの・しげと〉法務大臣が職を辞するに至りました。
 念を押して申しますが、これらの発言には、客観的な歴史認識として、いささかの間違いもないのです。すべて正当は観察であり、訂正の必要はありません。にもかかわらず、新聞とテレビは、向こう側の言い分だけがもっともであると肩を持ちました。
 そのため政府は慌(あわ)てふためいて大臣の首を差し出し、相手側のご機嫌を伺って膝を屈め、身を屈し、両手を突いて平伏しました。
 現在、こういう状況にあるわが国は、果たして真正(しんせい)の独立国家と言えるでしょうか。他国の言いなりになる国は、真っ当な独立国家ではなく、従属国家と規定されなければなりません。この卑屈な上目遣いのご機嫌伺いは恥辱の極みです。
(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉)
小室●しかし、避けられたか避けられなかったかは別にして、二つの大戦があったおかげでヨーロッパの世界支配は覆(くつがえ)り、アジア、アフリカ諸国も独立できた。これは事実です。だからこの二つの戦争は避ければ、あるいは避けられたかもしれなかったけれども、私は避けなくてよかったと思います。(『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹)