「ヤポンスキーよ、革命というものは恐ろしいものだ」
と私の傍らにいた50年輩の官吏らしいロシア人が、私の耳許でささやいた。
「王朝時代……と言ってもつい2~3ヵ月前までは金モールを身につけて威張っていた官吏や軍人をご覧なさい。気の毒なものです。ヤポンスキーよ。革命を見に来られたのか。この惨めな情況をよく見て、あなたの国の人々に伝えて下さい。決して、決して、このような革命を起こしてはなりませぬ」
(『誰のために 新編・石光真清の手記(四)ロシア革命』石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)
日本近代史
思えば当時の民間人の国家意識は強いものであった。日清戦争後の三国干渉に憤激した志ある人々は、軟弱な政府を頼むに足らずと、悲壮な気持を抱いて続々と大尉陸へ渡り、各自思うところに愛国の熱情を傾けていたのであった。或はまた、ロシア軍に蹂躙された満州の市場に日本商品の販路を獲得しようとする商人や実業家も、政府機関に援助を求めるわけでもなく、単身ウラジオストックに上陸してロシア軍の動静を探りつつ、満州深く足跡を印したのであった。(『曠野の花 新編・石光真清の手記(二)義和団事件』石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)
日本近代史
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「いつの世にも同じことが繰返される。時代が動きはじめると、初めの頃は皆同じ思いでいるものだが、いつかは二つに分れ三つに分れて党を組んで争う。どちらに組する方が損か得かを胸算用する者さえ出て来るかと思えば、ただ徒らに感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とする者もあり、新しいものといえば頭から軽佻浮薄として軽蔑する者も出て来る。こうしてお互いに対立したり軽蔑したりしているうちに、本当に時代遅れの頑固者と新しがりやの軽薄者が生れて来るものだ。これは人間というものの持って生れた弱点であろうなあ……」(『城下の人 新編・石光真清の手記 西南戦争・日清戦争』石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)
日本近代史
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冬籠りの3ヵ月、ついに最後の日が来た。明治38年3月8日である。この日が、わが第二軍の最後の死闘の日となり、また日露戦争における陸戦の幕が閉じられる日ともなった。
3ヵ月の間、氷原の友とまっていた日露両軍は、突如として凄惨な死闘の鬼となって、広大な野戦を展開したのである。戦線は入り乱れ、随所に白兵戦が起り、伝令は杜絶え補給は断たれ、司令部の命令は、辛うじて師団に達しても、師団命令は第一線の諸部隊には伝わらなかった。連帯命令でさえが徹底せずに、随所に分散した小部隊は、敵兵と見れば出会い頭(がしら)に射ち合い、弾が尽きれば銃を構えて飛びこんでいった。誰が命令するわけでもないし、誰が督戦するわけでもない。敵か味方か、この二つしかなかった。そこには作戦もなければ戦略もなかった。
(『望郷の歌 新編・石光真清の手記(三)日露戦争』石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)
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3ヵ月の間、氷原の友とまっていた日露両軍は、突如として凄惨な死闘の鬼となって、広大な野戦を展開したのである。戦線は入り乱れ、随所に白兵戦が起り、伝令は杜絶え補給は断たれ、司令部の命令は、辛うじて師団に達しても、師団命令は第一線の諸部隊には伝わらなかった。連帯命令でさえが徹底せずに、随所に分散した小部隊は、敵兵と見れば出会い頭(がしら)に射ち合い、弾が尽きれば銃を構えて飛びこんでいった。誰が命令するわけでもないし、誰が督戦するわけでもない。敵か味方か、この二つしかなかった。そこには作戦もなければ戦略もなかった。
(『望郷の歌 新編・石光真清の手記(三)日露戦争』石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)
日本近代史
いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。
(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人編著)
柴五郎/明治維新/日本近代史
多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。
(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人編著)
柴五郎/明治維新/日本近代史
余幼くして煩瑣(はんさ)なる政情を知らず、太平三百年の夢破れて初めて世事の難(かた)きを知る。男子にとりて回天の世に生まるること甲斐あることなれど、ああ自刃して果てたる祖母、母、姉妹の犠牲、何をもってか償わん。また城下にありし百姓、町人、何の科(とが)なきにかかわらず家を焼かれ、財を奪われ、強殺強姦の憂目をみたること、痛恨の極みなり。(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人編著)
柴五郎/明治維新/日本近代史
柴五郎/明治維新/日本近代史
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