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 皆があっと驚いたのは砲術師範の娘、山本八重子の出で立ちだった。着物も袴(はかま)もすべて男装し、麻の草履をはき、両刀をたばさみ、元込め7連発銃を肩にかついで城に入ってきた。弟の三郎が鳥羽伏見の戦いで戦死しており、弟の仇(かたき)をとらねばならない。命の限り戦う覚悟だった。八重子はすぐに城壁に駆けのぼり、7連発銃で敵兵を狙い撃った。(『偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実』星亮一)

会津/日本近代史
 慶応4年(1868)正月3日から4日にかけて戦われた鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いは、幕府、会津の思わぬ惨敗だった。
 決定的な敗因は、戦いの最中に将軍徳川慶喜(よしのぶ)と会津藩主松平容保(まつだいらかたもり/1835-93)が大坂から軍艦開陽丸で江戸に逃げ帰ったことだった。
 死を賭(と)して戦っているときに最高指揮官が敵前逃亡したことは、稀有(けう)の不祥事であり、その衝撃は大きかった。
(『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇』星亮一)

日本近代史
 アメリカの捕鯨業は、日本のように鯨(くじら)を食べるためではなく、油を取るためだった。アメリカはイギリスを追って機械工業の時代に入っており、どうしても夜間照明用の油が必要だった。技術革新によって蒸気船が発明され、加えてパナマに鉄道が開通し、太平洋がきわめて近い存在になった。カリフォルニアと中国のあいだに航路が開設され、捕鯨船を含めて日本列島周辺での遭難も増え、石炭を確保する上でも日本の港が必要だった。(『偽りの幕末動乱』星亮一)

日本近代史