われわれが何かを情熱的に追求するということは、必ずしもそれを本当に欲していることや、それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合、われわれが最も情熱的に追求するのは、本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから、待ちに待った熱望の実現は、多くの場合、われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
いかなる情熱的な追求においても、重要なのは追求の対象ではなく、追求という行為それ自体なのである。
(『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳)
「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのではくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりすることを厳に慎しまねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって闘うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」(『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市)
大東亜戦争/日本近代史/チャンドラ・ボース
大東亜戦争/日本近代史/チャンドラ・ボース
その昔ツール・ド・フランスは、約2500キロを6ステージで走ったという。コースは未舗装がほとんどで、自転車が壊れても自分で修理しないとペナルティを取られた。レースは徹夜で行なわれ、変速機も禁止だった。1日400キロ以上の道のりは、トップの選手でさえ15時間以上かかり、平均速度こそ違うが、その過酷さは想像しがたい。しかし、この信じがたい距離を信じがたい状況で走り切ることを実現させたのは自転車なのだ。その情熱は時代を超えて語り継がれ、より遠くへ、より速く走るために生まれたのがロードバイクだ。(『ロードバイクの科学 明解にして実用! そうだったのか!理屈がわかれば、ロードバイクはさらに面白い』ふじいのりあき)
助手に採用されるということはアカデミアの塔を昇るはしごに足をかけることであると同時に、ヒエラルキーに取り込まれるということでもある。アカデミアは外からは輝ける塔に見えるかもしれないが、実際は暗く隠微なたこつぼ以外のなにものでもない。講座制と呼ばれるこの構造の内部には前近代的な階層が温存され、教授以外はすべてが使用人だ。助手―講師―助教授と、人格を明け渡し、自らを虚しくして教授につかえる。その間、はしごを一段でも踏み外さぬことだけに汲々とする。雑巾がけ、かばん持ち。あらゆる雑役とハラスメントに耐え、耐え切った者だけがたこつぼの、一番奥に重ねられた座布団の上に座ることができる。古い大学の教授室はどこも似たような、死んだ鳥のにおいがする。
死んだ鳥症候群という言葉がある。彼は大空を悠然と飛んでいる。功成り名を遂げた大教授。優雅な翼は気流の流れを力強く打って、さらに空の高みを目指しているようだ。人々は彼を尊敬のまなざしで眺める。
死んだ鳥症候群。私たち研究者の間で昔からいい伝えられているある種の致死的な病の名称である。
私たちは輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る。見るもの聞くものすべてが鋭い興味を掻きたて、一つの結果が次の疑問を呼び覚ます。私たちは世界の誰よりも実験の結果を早く知りたいがため、幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭(いと)うことがない。経験を積めば積むほど仕事に長(た)けてくる。何をどうすればうまくことが運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。するとますます仕事が能率よく進むようになる。何をやってもそつなくこなすことができる。そこまではよいのだ。
しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。仕事は円熟期を迎える。皆が賞賛を惜しまない。鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える。しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ。鳥の中で情熱はすっかり燃え尽きているのである。
(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一)
死んだ鳥症候群という言葉がある。彼は大空を悠然と飛んでいる。功成り名を遂げた大教授。優雅な翼は気流の流れを力強く打って、さらに空の高みを目指しているようだ。人々は彼を尊敬のまなざしで眺める。
死んだ鳥症候群。私たち研究者の間で昔からいい伝えられているある種の致死的な病の名称である。
私たちは輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る。見るもの聞くものすべてが鋭い興味を掻きたて、一つの結果が次の疑問を呼び覚ます。私たちは世界の誰よりも実験の結果を早く知りたいがため、幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭(いと)うことがない。経験を積めば積むほど仕事に長(た)けてくる。何をどうすればうまくことが運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。するとますます仕事が能率よく進むようになる。何をやってもそつなくこなすことができる。そこまではよいのだ。
しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。仕事は円熟期を迎える。皆が賞賛を惜しまない。鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える。しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ。鳥の中で情熱はすっかり燃え尽きているのである。
(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一)
「非凡な盆栽になるよりも未完の大樹となれ。調和のとれた枝ぶり、美的な姿態、そんな盆栽には欠陥はないかも知れん。だが、荒々しくて、雄渾な生命力に乏しい。人間に重要なのは未完のエネルギーと情熱だ」(『北の大地に燃ゆ 農村ユートピアに賭けた太田寛一』島一春)
人間の本来的な不幸は飢えと寒さであると、ある人は書いている。これは確かであるが、だれもあまり気にしていない。それよりも恋愛とか友情、嫉妬とか出世とか、要するに人間関係にその情熱のほとんどを使っている。文学を読んでも、映画やテレビを見ても、現代人の関心は自然的条件に対するよりも、圧倒的に人間関係に向いている。人間関係とは人間間における情報の交換であると極論できる。これからの社会に死活的に重要なのは、広い意味における情報の取得、処理、発信なのである。(『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』松田卓也)
マダム・ガイヤールはまだ30にもなっていないのに、もうとっくに人生を卒業していた。外見は齢相応にみえた。と同時にその倍にも見えたし3倍にも見えた。100倍も歳月を経たミイラ同然だった。心はとっくに死んでいた。幼いころ、父親に火掻き棒で一撃をくらった。鼻のつけ根のすぐ上。それ以来、嗅覚がない。人間的なあたたかさや冷たさ、そもそも情熱といったもの一切に関心がない。嫌悪の感情がない代わりにやさしさもない。そんなものは、あの火掻き棒の一撃とともにふきとんだ。絶望を知らない代わりに喜びも知らない。齢ごろになって男と寝たとき、何も感じなかった。子どもが生まれたときもそうだった。生まれた子が次々と死んでいっても悲しいとは思わなかった。生き残ったのがいても、うれしいというのではない。夫に殴られているとき、からだをすくめたりしなかった。その夫がコレラのために収容所で死んだとき、ホッとしたりもしなかった。彼女が感じる唯一のものは月経のはじまり。ほんの少しだが気分がめいる。月経が終わると少しばかり気が晴れる。ほかにこの女は何一つ感じない。(『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント:池内紀訳)
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