怒りを甘くみてはいけません。怒りが生まれた瞬間に、からだには猛毒が入ってしまうのです。たとえわずかでも、怒るのはからだに良くないとしっかり覚えておいてください。怒りはまず自分を燃やしてしまいます。(『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ)
仏教
怒りとは人生を破壊する炎です。炎を消すためには水が必要です。(中略)怒りは思わぬ、ささいなことで点火されるので、日頃から心の井戸に水を溜めておくことが賢明です。(『怒り 心の炎の静め方』ティク・ナット・ハン)
仏教
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怒りは自分を壊し、自然を破壊し、挙句の果てには他人の幸福まで奪います。ですから、自分を甘やかしてはいけません。我々は怒りをなんとかするよう、真剣に努力すべきです。「怒らないこと」は個人の課題でもあり、生命全体からの要請でもあります。(『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ)
仏教
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斎藤宅でまだ指揮のレッスンのあったころ、小澤征爾は斎藤の怒りに靴もはかずに飛び出し、そのまま裸足で家に帰った。オーケストラの雑用をひとりでかかえ、指揮の勉強もままならないころだった。翌日、母があやまりにいって、靴をとってきた。秋山も、斎藤の怒りに腰が抜けるようになって動けなくなったことがある。(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪)
斎藤秀雄
斎藤秀雄
路上で寒さとひもじさをこらえながら、息をひきとる人もあります。年間、約300人の人たちが路上で死んでいくと聞いた時、どうしてそのような現状があるのか、皆目わかりませんでしたが、活動していくうちに、日雇い労働者のおかれている立場が少しずつわかってき、こんな現状を許してはならないと、怒りが強く湧いてきました。存在をかけて働いてきた人が人生を全うする時、誰からもみとられないで、コンクリートの上で言いたいことも言えないで死んでいくことはあまりにも悲しいことです。(『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美)
後悔も「怒り」です。罪です。過去のやったこと、やらなかったことにとどまっていますから、その人は前に進めなくなります。失敗を思い出すたびに足が止まってしまいますし、前に進んでいる人でもスピードが下がります。(『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ)
仏教
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ニュートンは、文句のつけようのない変人だった。計り知れない才能の持ち主ではあったものの、孤独を愛し、陰気な質(たち)で、病的なまでに怒りっぽく、始終、心ここにあらずというふうで(朝ベッドから出ようと足を床に下ろしたとたん、突然頭に湧き起こった考えに気を取られて、ぴくりともせずに何時間も坐っていつことがときどきあったと報じられている)、へんてこな事をしでかす名人だった。(『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン:楡井浩一訳)
ダンテは私にとっては近代第一の天才である。ダンテは深い闇の直中に光りかがやく太陽である。彼にあってはすべてが非凡である。彼の独創性は、とりわけ、彼に一つの特別な位置を与えている。アリオストは騎士小説と古代の詩とを模倣した。タッソもそうであった。ダンテはその霊感を他のいかなる人からも汲むことを肯(がえ)んじなかった。彼は自己に徹しようとした、ただ自己にのみ徹しようとした。一口にいえば創造しようとした。彼は広大な結構をとらえて、それを崇高な精神の持主の優越でもって満たした。彼は変化があり、恐ろしく、また優雅である。彼には奇想と、熱と、人の心を惹きつけるものとがある。彼は読者をして身ぶるいさせ、涙を流させ、敬意を覚えさせずにはいない。これは芸術の頂点である。いかめしくも偉大な彼は、犯罪に対しては恐ろしい呪いを浴びせかけ、悪徳を罰し、不幸を嘆いてる。共和国の法律によって追放された市民として、彼はその圧制者たちに対しては怒りを投げつけているが、故郷の町はこれを赦している。フィレンツェはいつになってもなつかしい、彼のやさしい祖国なのである。……私は、わが愛するフランスが、ダンテに匹敵する人物を産まなかったことについて、イタリアを羨む。(『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編:大塚幸男訳)
ナポレオン
ナポレオン
タリバーンは、反タリバーン地域を制圧すると、家と畑を焼き、男たちを連れ去ったと難民が訴えていた。娘や妻にガソリンをかけ家族の目の前で殺し、人々に恐怖感を植えつけて村に戻れないようにしたともいう。人が集まる市の立つ日を狙って爆撃を加えることもあった。「アフガン人なら、こんな残酷なことはできない」と住民は怒りを募らせた。マスードは「タリバーンの40%はパキスタン、アラブなど世界各国からの外国兵だ」と話していたが、アフガニスタンに世界の原理主義者たちが集うにようになったきっかけはソ連軍の侵攻だった。イスラムの聖戦に加わった各国の義勇兵の中で、原理主義組織のネットワーク作りが進んでいった。その中に、オサマ・ビンラディンもいた。(『マスードの戦い』長倉洋海)
あなた――あなたの身体、感情、思考――は、過去の結果です。あなたの身体はたんなるコピーなのです。例えば羨望や怒りなどのどんな感情も、過去の結果なのです。羨望について、それを抑圧したり、それを何かあるいは何らかの行為にしようとするなど、あなたが何をしようと、それもまた過去の結果なのです。そのように、あなたはたんに経験の輪のなかを動いているだけなのです(『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)
体育時間、余りにくにゃくにゃしているのを見兼ねた分隊長・唐木大尉より一発殴られた。士官教官が自ら手を出すのはよくよくのことである。
ところが菊地は、平然としてかえって斜になって分隊長の前に擦り寄って行った。何をしているのか、変なことをするな、と思って見ていると、分隊長も不思議そうに一、二歩下がった。さらに擦り寄って殴られなかった方の右頬を突き出して「こちらもどうぞ」とやった。私たちも驚いたが、分隊長の顔も怒りのためさっと赤くなった。それより早く回りで見ていた教官たちが「貴様ッ」とばかり殴りかかっていった。
顔の形が変わるほど殴られても「汝左の頬を打たれなば右頬をも出せ、だ。殴って気が済むなら気の済むまで殴ってもらおう」と、万事この調子なので、私の組では、精神教教育と称して彼が一番叩かれ通したが、遂に信念は曲げなかった。
(『修羅の翼 零戦特攻隊員の真情』角田和男)
日本近代史/戦争
ところが菊地は、平然としてかえって斜になって分隊長の前に擦り寄って行った。何をしているのか、変なことをするな、と思って見ていると、分隊長も不思議そうに一、二歩下がった。さらに擦り寄って殴られなかった方の右頬を突き出して「こちらもどうぞ」とやった。私たちも驚いたが、分隊長の顔も怒りのためさっと赤くなった。それより早く回りで見ていた教官たちが「貴様ッ」とばかり殴りかかっていった。
顔の形が変わるほど殴られても「汝左の頬を打たれなば右頬をも出せ、だ。殴って気が済むなら気の済むまで殴ってもらおう」と、万事この調子なので、私の組では、精神教教育と称して彼が一番叩かれ通したが、遂に信念は曲げなかった。
(『修羅の翼 零戦特攻隊員の真情』角田和男)
日本近代史/戦争
矛盾した信念と誤った意識は、心のソフトの傷ついたプログラムに当たる。このプログラムでは集中力を維持できず、目的を達成する能力を破壊してしまう。一方の足でアクセルを踏みながら、もう一方の足で同時にブレーキを踏んでいるようなまねをする。そして最初はトレード方法の習得が楽しく、挑戦という神秘性が魅力的に映るが、やがて正真正銘の怒りへと変わってしまう。(『ゾーン 相場心理学入門』マーク・ダグラス:世良敬明訳)
【人生は苦悩に満ちている】。
仏陀の四聖諦(四つの聖なる真理)の一番目を瞑想しながら、ランボーは表面が磨き上げられた、美事な作りの古代の竹弓を握った。その弓を左脇に垂らし、眼を閉じる。息を吸い込み、吐き出す。そして、心の動揺を鎮める。筋肉で覆われた上半身が波打つ。力強い胸部と背中が拡がり、縮む。
(『ランボー3 怒りのアフガン』デイヴィッド・マレル:沢川進訳)
ブッダ
仏陀の四聖諦(四つの聖なる真理)の一番目を瞑想しながら、ランボーは表面が磨き上げられた、美事な作りの古代の竹弓を握った。その弓を左脇に垂らし、眼を閉じる。息を吸い込み、吐き出す。そして、心の動揺を鎮める。筋肉で覆われた上半身が波打つ。力強い胸部と背中が拡がり、縮む。
(『ランボー3 怒りのアフガン』デイヴィッド・マレル:沢川進訳)
ブッダ
仏教では、性格タイプを次のように分類します。
1 欲の性格
2 怒りの性格
3 痴の性格
4 信の性格
5 思考の性格
6 智の性格
柱はこの6種類です。これがまた二重、三重、多重になっていきます。しかし、どれほど多重人格であっても、この六つの分類です。
(『忘れる練習 記憶のコツ 役立つ初期仏教法話14』アルボムッレ・スマナサーラ)
1 欲の性格
2 怒りの性格
3 痴の性格
4 信の性格
5 思考の性格
6 智の性格
柱はこの6種類です。これがまた二重、三重、多重になっていきます。しかし、どれほど多重人格であっても、この六つの分類です。
(『忘れる練習 記憶のコツ 役立つ初期仏教法話14』アルボムッレ・スマナサーラ)
迷いは、布の縦糸(たていと)、緯糸(よこいと)がほつれて片寄ること、とも言われます。混乱、混迷です。織る人の心に調和がなければ、織り成す糸が乱れることは必定でありましょう。立派な布も、簡素な衣も望めません。着る人の心もまた同じです。もし内に貪(むさぼ)りや怒りや愚癡(ぐち)といった煩悩や欲の偏りがあるなら、綾(あや)が失われるように、その言葉も行動も粗(あら)くならざるを得ません。(『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良)
仏教
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今、NHKの番組制作の現場に、全盲の職員は一人もいません。ラジオ第2放送の「視覚障害者の皆さんへ」という番組ですら、関わっている視覚障害者は全て外部の人たちです。(『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一)
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