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 先に来たものは、壁際の自分の机を文庫と一所におろして、自分の席にもって行きますが、その時、先輩の人の机も並べておきます。あとから来た先輩はそれを見て鄭寧(ていねい)にお礼をいいます。これが小さい子には非常に嬉しかったものです。子供たちは先生からも教わりますが、塾長という、教生格の先輩が、先生に代って教えたり、注意したりもします。この「朝読み」の素読の声で、子供の頭の良し悪しはたいてい分ったもので、大勢の中で、「あれは誰さんの声」などといわれるようにハッキリしたのは、必ずしも大きい声ではなくても、際だって出来のいい子にきまっていたそうです。(『武家の女性』山川菊栄)

日本近代史
「要するにはっきりしたことは分からないので、ただ近世の百姓一揆の中で、この生瀬乱ほど残酷な処分をうけた例はほとんどないことを注意したい。当時小生瀬の人口がどれほどあったか知らないが現在1882人(40年3月31日)であるから、その4分の1としても500人に近い数であったろう。それが代官手代一人を殺したといってみなごろしにされたので、戦国の余燼(よじん)の消えないころであるにしても無惨な話である。今の住民は御代家をのぞいてはみな新しいので、私の家などもその中であるが、封建社会というものの暗さを表示する大きな一例といえる」(『覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄)

神無き月十番目の夜