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 ヒトの脳に考えを行動に移そうとする強迫的な傾向があるならば、われわれが神話を演じずにはいられないことも、容易に理解できる。運命、死、人間精神の本質などの神話のテーマは、誰にとっても大きな関心事であり、注目すべき問題であるからだ。われわれの祖先が神話をイメージし、それを演じているうちに、リズミカルな動作の繰り返しによって超越的な感覚を誘発できることに気づく者が出てきた可能性は非常に高い。神話のテーマや物語に、このたしかな感覚が加わったとき、効果的な宗教儀式が創造(実際には「発見」)される。
 効果的な宗教儀式はどれも、神話のテーマと一定の神経学的過程とを結びつけ、神話に生命を吹き込む点で共通している。象徴的に神話の世界に没入した信者は、神話が内包する深遠な謎を正面から見据え、その謎が解決される過程を体験する。その体験は強烈で、ときには人生を変えることもある。ここで、儀式のリズムと内容は、どちらも非常に重要だ。儀式のリズムが、参加者たちの脳を神経学的に共鳴させられなくなったり、自律神経系や感情に適当な反応を誘発させられなくなったりしたとき、あるいは、儀式のテーマや象徴が新鮮味を失ったり、文化との接点を失ったりしたときには、儀式のスピリチュアルな意味は失われてしまう。
(『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳)

科学と宗教/脳科学/認知科学/脳神経科学
 儀式が誘発する一体感を、宗教的な人々は、神に近づいた経験として解釈する。この点で、宗教儀式は、人間と神との隔絶という大問題を神経生物学的に解決する手段になっている。(『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳)

科学と宗教/脳科学/認知科学/脳神経科学
 われわれ文明人の宗教にとつては第一義的に重要なものは教義であり、内的な信仰ないし【さとり】にあるのであるが、古代人にとつては逆に社会的歴史的に伝統化された儀式そのものに最大の意義があるのである。(『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎)
(1901年12月)17日の葬式は、彼(※中江兆民)の遺言により、一切宗教的儀式を排するために、「告別式」という形で行われた。これが日本における「告別式」の始まりである。然るに、すべてをあいまい化してしまう日本人は、やがて「告別式」のほかにも依然二重の手間をかけて「葬式」は行い、兆民の考えた「告別式」と別の形態のものにしてしまった。
 兆民は墓さえ作らせなかった。
(『人間臨終図巻』山田風太郎)
 われわれの存在のあらゆるレベルに逃避がある。あなたは仕事によって、ある者は飲酒によって、ある者は宗教的儀式によって、ある者は知識によって、ある者は神によって、そしてさらにある者は娯楽に耽ることによって逃避する。あらゆる逃避は同じであり、優れた逃避も劣った逃避もない。神と飲酒は、それらがあるがままのわれわれからの逃避であるかぎり、同じレベルにある。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳)