儒家は、外部からの強制をよしとしない。それは法家の発想である。それと同時に、無為自然をもよしとしない。それは老荘の発想である。儒家は、人間の本性に根ざしながら、それに基づく作動を他者と調和させ、学習して成長する道を求める。(『生きるための論語』安冨歩)
儒教
人間の魂は本来何者にも束縛されずにその生をまっとうしうる力をもっている。にもかかわらず、生きる過程において、人間はさまざまな呪縛を身にまとい、囚われ、自らのありようを制約する。
このように自ら囚われることを「自己呪縛」と呼ぶ。何者かによって呪縛されているということを認め、認識することは難しいが、「自己呪縛」にある状態を認識することは、さらに困難である。
(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子)
安冨歩/魂の脱植民地化
このように自ら囚われることを「自己呪縛」と呼ぶ。何者かによって呪縛されているということを認め、認識することは難しいが、「自己呪縛」にある状態を認識することは、さらに困難である。
(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子)
安冨歩/魂の脱植民地化
必要なことは、「東大話法」に代表されるような、日本社会に蔓延する欺瞞話法を鋭く見抜くことです。他の人が仕掛けてくる「東大話法」を感知して、騙されないことです。(『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩)
このように「盲点」を隠蔽しあう関係が成立すると、人間は合理的思想を喪失します。そうなると、人間はもはやロボットになってしまいます。人間がロボットになると、もう自律性も創造性も何もなく、集団の相互作用が生み出す力に翻弄されるようになります。こうして暴走が起きるのです。(『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩)
魂が植民地化されていると人は、自分自身の地平ではなく、他人の地平を生きるようになります。自分自身の感じる幸福ではなく、他人が「幸福」だと考えることを追求するようになるのです。(『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩)
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