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 学問が手段化されることは、一人一人の人間が手段化されることと無関係ではありません。学問は、自己目的であってはならないけれども、単なる手段であってもならない。学問の自己目的化と手段化という古くからの難関は、実は、社会を成して生きている個々の人間と社会とがどうかかわっているか、どうかかわるべきかということと深いところで結びついています。人間は孤立した存在ではないけれども、集団の単なる構成要素でもない。一人一人の人間が学問的思考を有効に身につける意味が、そこにあるのです。(『社会認識の歩み』内田義彦)
 人間行動遺伝学は、決して宿命論に結び付く学問でもなければ、人々を差別するための学問でもない。むしろ遺伝によって一人一人がいかに豊かな内的資源を与えられているのか、そして一人一人がこの自然の中でいかに特別な存在であるのかを解き明かしてくれる学問である。(『心はどのように遺伝するか 双生児が語る新しい遺伝観』安藤寿康)
(※米・英・露と和親条約を結んだ日本の、国内における擾乱を予想しつつ)
「こういうときにわたしたちはどうしたらよいでしょう、教えていただきたいのです」
「学問に身を入れるのです」
「いえ、いつ擾乱(じょうらん)が起こるかもわからないこの時代を、見て見ぬ振りはできません」
「だから学問をするのです」
「は?」
「力をつけるのです。世の中はこれから大きく変わっていくでしょう、かならず福沢でなければならないということがある。そのときにすぐ役立つためには力をつけておかねばなりません。さらにいうなら、世の中を動かしていく福沢になってほしい。そのために力をつけなさい」
「はい」
「この塾は全精力を注ぎ込んで、一途に学問するところです。勉強は君がするのです」
(『洪庵塾の人々』池上義一)

福澤諭吉
 中世のあいだ、学問は教会によって厳しく監督され、上流階級の一員でも、聖職者にならないかぎりは無学になりがちだった。
 ルネッサンス初期の商人階級の台頭によって、学問を奨励するような雰囲気が作り出され、印刷機の発明がそれを助けた。
(『黒体と量子猫 ワンダフルな物理史』ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳)

科学
 あらゆる学問のうちまず最初に生まれるのは、神の存在照明をする学問「神学」です。次いでそれを証明するための知的な技術として「哲学」が生まれます。西洋では哲学の発祥は古代ギリシャです。哲学が精緻化するためにはキリスト教神学と結びつく必要があり、神学と哲学は密接な連携を保ちながら深化していきます。
 化学や物理学なども神学から生まれたものです。はじめは錬金術のように、どこまでが神学でどこまでが科学か明確でないようなかたちで誕生しました。少なくとも当時の科学的知見というものは、すべて神の世界のカラクリを解明するのが目的でした。
(『宗教の秘密 世界を意のままに操るカラクリの正体』苫米地英人)

キリスト教/科学と宗教
「学問についていえば、学問は人を助成するとはかぎらず、そこなうことがあるのです」(『孟嘗君』宮城谷昌光)
 およそこういう風で、外に出てもまた内にいても、乱暴もすれば議論もする。ソレゆえ一寸(ちょいと)と一目(いちもく)見たところでは──今までの話だけを聞いたところでは、如何にも学問どころのことではなく、ただワイワイしていたのかと人が思うでありましょうが、そこの一段に至っては決してそうではない。学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政3年の3月、熱病を煩(わずろ)うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕(くくりまくら)で、座蒲団が何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図(ふと)思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時(なんどき)でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻(しき)りに書を読んでいる。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥(ぷ)して眠るか、あるいは床の間の床側(とこぶち)を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為(し)ようはないというほどに勉強していました。(『新訂 福翁自伝』福澤諭吉)

氷川清話/日本近代史
 キネシオロジーはもともと、【人間の体や動きを観察する学問】でした。ギリシャ語のキネシス「運動、動き」と+ロゴス(学問)が語源です。

 日本語では、「人間行動学」や「人間運動学」など、様々な言葉に訳されています。

(『筋肉反射テストが誰でもできる! 1からわかる!キネシオロジー』齋藤慶太)
 その延長線上に、それでもなぜ戦争は起こるのか、それを研究する立場の人たちがいます。これはリアリズム(現実主義)という立場の人たちです。そのリアリズムの範疇(はんちゅう)に地政学というものもあるわけです。地政学というのは、地理的な概念の上に展開されていく国家の政治軍事戦略を研究する学問で、それぞれの国が何を考えているのか、例えば、国家と国家の、国境線近くには常に活断層と言ってもよい危険が存在する。その活断層はどういう条件のときに活動して戦争をもたらしてきたか、それらを歴史的な具体的事例にもとづいて常に考察し理論的に体系づける、将来を展望する学問です。(『日本人が知らない地政学が教えるこの国の針路』菅沼光弘)
 寛治が潔の学問のためにしたことはそれだけではなかった。それは潔が少し長じてからのことであるが、寛治は潔に金銭の勘定は一切させなかった。金銭感覚が身につくと学問の邪魔になると考えたからである。(『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利〈おびがね・みつとし〉)

岡潔
 比較認知科学というのは、人間とそれ以外の動物を比較して、人間の心の進化的な起源をさぐる学問のことである。
 人間の体が進化の産物であるのと同時に、その心も進化の産物である。いったんそう理解してしまえば、教育も、親子関係も、社会も、みな進化の産物であることがわかる。チンパンジーという、人間にもっとも近い進化の隣人のことを深く知ることで、人間の心のどういう部分が特別なのかが照らしだされ、教育や親子関係や社会の進化的な起源が見えてくる。それはとりもなおさず、「人間とは何か」という問いへの一つの解答だろう。
(『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』松沢哲郎)
 熱力学の法則――物質のかたまりに含まれる原子の運動を支配する法則――は、すべての根底にある、情報についての法則だ。相対性理論は、極度に大きな速さで動いている物体や重力の強い影響を受けている物体がどのように振舞うかを述べるものだが、実は情報の理論である。量子論は、ごく小さなものの領域を支配する理論だが、情報の理論でもある。情報という概念は、単なるハードディスクの内容よりはるかに広く、今述べた理論をすべて、信じられないほど強力な一つの概念にまとめあげる。
 情報理論がこれほど強力なのは、情報が物理的なものだからだ。情報はただの抽象的な概念ではなく、ただの事実や数字、日付や名前ではない。物質とエネルギーに備わる、数量化でき測定できる具体的な性質なのだ。鉛のかたまりの重さや核弾頭に貯蔵されたエネルギーにおとらず実在するのであり、質量やエネルギーと同じく、情報は一組の物理法則によって、どう振舞いうるか――どう操作、移転、複製、消去、破壊できるか――を規定されている。宇宙にある何もかもが情報の法則にしたがわなければならない。宇宙にある何もかもが、それに含まれる情報によって形づくられるからだ。
 この情報という概念は、長い歴史をもつ暗号作戦と暗号解読の技術から生まれた。国家機密を隠すために用いられた暗号は、情報を人目に触れぬまま、ある場所から別の場所へと運ぶ方法だった。暗号解読の技術が熱力学――熱機関の振舞い、熱の交換、仕事の生成を記述する学問――と結びついた結果生まれたのが情報理論だ。情報についてのこの新しい理論は、量子論と相対性理論におとらず革命的な考えである。一瞬にして通信の分野を変容させ、コンピューター時代への道を敷いたのが情報理論なのだが、これはほんの始まりにすぎなかった。10年のうちに物理学者と生物学者は、情報理論のさまざまな考えがコンピューターのビットおよぎバイトや暗号や通信のほかにも多くのものを支配することを理解しはじめた。こうした考えは、原子より小さい世界の振舞い、地球上の生命すべて、さらには宇宙全体を記述するのだ。(『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ:林大訳)
 呂不韋(りょふい)は孫氏(※荀子)の、
 ――学は没するに至りてしかるのちに止(や)むべきなり。
 という教えを体現し、死ぬまで学問をつづけた人である。
(『奇貨居くべし』宮城谷昌光)
 私たちが教わった先生方が、暗黙のうちに教えていた「知」とは、技法とは違う「知」です。古いことを言うようですが、論語に書いてある「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」ということです。「道を聞かば」という表現は、学問することを意味します。それを「道を聞く」という。
 もし本当に「あなたは、癌だよ」と言われたら、自分が変わってしまう。そういう体験を繰り返していけば、しょっちゅう自分が死んで生まれ変わることになります。それなら夕方、改めて本当に死んだとしても、驚くことはないだろうと、そういう意味だろうと私は思うんです。自分が変わっていくという経験を繰り返し積み重ねていっている以上は、本当に死んだって何も怖がることはないだろう。それを怖がっているのは、一度も自分が変わったことがない人だということになる。本気で変わったことがない、大きく変わったことがない。
(『養老孟司特別講義 手入れという思想』養老孟司)
「よいか、おのれの目でよく視(み)て、おのれの耳でよく聞いて、書物によってではなく、見聞によって学問をするのだ。商賈(しょうこ)は利のみを追求して、道義を知らぬといわれているが、人民を済(すく)う紳商(しんしょう)もいる。范(はん)氏が紳商であれば、主人から大いに学べ」(『湖底の城』宮城谷昌光)
「僕はこんな類の学問には興味はないんだ。結局のところ、ほんの少しの銀貨、多少のお米や野菜のためじゃないか」(『ラーマクリシュナ』堀内みどり)

ラーマクリシュナ
 したがって、すべての神学にとっての問題は、それが合理的に納得されるためにはこの意味はいかに解釈されるべきか、ということである。(『職業としての学問』マックス・ウェーバー:尾高邦雄訳)
 ただ、左右いずれであれ、実証的な研究を顧(かえり)みず、みずからの思い込みにもとづいて煽動(せんどう)的な議論を重ねる人々とは、対話と議論が成り立たない。その意味で、「慰安婦」問題について実証的基礎もないまま元「慰安婦」を売女呼ばわりする「論客」は、まともな議論の対象にならない。本書で「慰安婦=公娼」論への言及と反論がすくないのは、それをよしとしているからではなく、およそ学問的論議の対象にならないと考えているためである。(『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』大沼保昭)
 私は、確信の根底には、意志の力では変えられない神経学的要素があることを明らかにして、確信の力を削ぐことを目指している。もし科学の力で私たちがこれまでを反省し、確信の本質を問い始めたならば、私たちは反対意見にもっと寛容になり、別の意見も前向きに考えてみようとするかもしれない。それが宗教や学問上の反対意見であれ、食卓で食いちがう意見であれ。(『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン:岩坂彰訳)

脳神経科学/科学と宗教
 実際には、生物のいろいろな性質(「表現型」といいます)は、DNAだけで決まっているのではなく、環境と生物との相互作用の中で決定され、それが細胞分裂や世代を超えて維持されるのです。「生まれ」という基板が、「育ち」によって影響を受けながら、やがて固定的な表現型を生み出すと考えるのが、現在の生物学の常識となっています。エピジェネティクスは、そのような環境要因がDNAの使われ方にどう影響するか、ということを扱う学問なのです。(『エピゲノムと生命 DNAだけでない「遺伝」のしくみ』太田邦史)