釈迦は「仏教僧団」に帰依せよとは言っていません。まして、「僧侶」に帰依せよなどとは教えていません。また、釈迦は「釈迦牟尼仏」に帰依せよとも、その他の如何なる「仏陀」に帰依せよとも言っていません。(『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士)
キリスト教/エリザベス・クレア・プロフェット
イッサ(※=イエス)はひそかに父の家を離れてエルサレムに行き、東へ向かう隊商らとともに旅し、「神のことば」に生きる自らを完成させるため、偉大な仏たちの法を学ぼうとした。(『イエスの失われた十七年』エリザベス・クレア・プロフェット:下野博訳)
キリスト教/堀堅士
キリスト教/堀堅士
2世紀に作られたいくつかのパピルス文書の断片は別にして、手書きの福音書として、最も早いものでも4世紀になってからである。4世紀半ばに標準化されるまで、福音書テキストは流動状態にあり、神学上の理由、またその他の理由から、写本作成者による改変を免れることはできなかった。その結果、福音書がどの程度原形を伝えているか、またどの程度編集され、変更を加えられ、浄書の際にどんな誤りが生じたかについて、私たちには一切語る手段がなくなった。あるいはまた別に、たとえばグノーシス派のような、いわゆる異端を抑えようとして初期教会が苦しんだとき、正統を整える必要に合わせて改変があったか、なかったかも問題になるだろう。(『イエスの失われた十七年』エリザベス・クレア・プロフェット:下野博訳)
キリスト教/堀堅士
キリスト教/堀堅士
通説によれば、釈迦を殺そうとした悪人デーヴァダッタは、最後には、生きながら火焔に包まれて、「無間地獄」へ落ちて行ったとされていますが、釈迦の没後900年頃、経典を求めてインドにおもむいた法顕(340?-420?)が、その見聞録(『法顕伝』)の中で、調達(デーヴァダッタ)派の仏教僧団がネパール地方にあったと述べており、また、玄奘(600-664)も、その著『大唐西域記』の中で、ベンガル地方に提婆達多派の仏教僧団があったと述べていますから、釈迦の没後の後継者争いに敗れたデーヴァダッタが、彼の僧団をひきいて辺境の地に逃れ、バラモン階級出身者の手にその主導権がにぎられた中央の『正統派仏教僧団』からの激しい迫害と常に闘いながら、かなり長年月の間、生きながらえて、強烈な感化を及ぼしたことも、充分に考えられるのであります。そして、この釈迦の正統な後継者と称する中央の仏教僧団への反抗が、釈迦への反感や軽侮を産み出したようであり、大乗仏教で、釈迦の在世中に直接釈迦から説教を聞いた弟子たちが「声聞」(sravaka シュラヴァカ)――釈迦の声を聞いた者――と軽侮されて、最下位に置かれ、誰の声も聞かずに、独自の方法でさとった者たちが「独覚」(pratyekabuddha プライエティカブッダ)と呼ばれて、その上に位置し、更に、その上に、仏陀の声を聞いてさとりを求める者としての「菩薩」が置かれているのもそのためであると推定されます。(『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士)
キリスト教/エリザベス・クレア・プロフェット
キリスト教/エリザベス・クレア・プロフェット
登録:
投稿 (Atom)