愛国=反日というのは、近代史の過程ではごく常識的な現象であった。去る反日デモ、あるいは江沢民の登場をまつまでもない。じつは1910年代から明確なかたちをとってあらわれはじめた。
1919年、北京の学生運動を皮切りに、全土にひろがった五四(ごし)運動は、そのもっとも初期、かつもっとも大きな事例である。そして満州事変をへて日中戦争で、反日運動は「抗日戦争」と名を変えて最高潮に達した。したがって「反日」の動きというのは、歴史上すでにいっそう甚だしい形でおこったことであり、われわれの祖先が、つとに経験ずみの出来事なのである。
(『中国「反日」の源流』岡本隆司)
中国
「インターネットは便所の落書き」と語ったのは筑紫哲也氏だが、現在、マスコミの偏向・捏造報道が、インターネットネット上で厳しく批判されている。「反日マスコミ」という、おそらくインターネット発であると思われる言葉も、ここ数年で一般でも見聞きする機会が増えてきた。インターネットの普及によって情報の受けてのメディアリテラシーの能力、意識が高まってきた結果、このような「反日マスコミ」などという穏やかならざる言葉が生まれ、流通し、一般にまで浸透してきているのだ。(『TBS「報道テロ」全記録 反日放送局の事業免許取り消しを!』)
終戦直後から今日まで、延々と繰り返されている反日史観(日本断罪史観)の根底は、東京裁判史観と1932年(昭和7年)のコミンテルン・テーゼ(「32年テーゼ」)にある。
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾(だんがい)したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹)
日本近代史
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾(だんがい)したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹)
日本近代史
ところが、当時の実情を知る世代が高齢化していく中で、1980年代から90年代初めになり慰安婦問題が作り出された。日本人反日運動家が韓国まで出かけていって煽動し、朝日新聞などが捏造(ねつぞう)キャンペーンをした結果、慰安婦問題が日刊両国間の外交問題の大きなテーマになった。宮沢首相から謝罪を受けた盧泰愚大統領が「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚(た)きつけ、国民を憤激させてしまいました」と述べているとおりだ(『文藝春秋』1993年3月号)。(『朝日新聞「日本人への大罪」』西岡力〈にしおか・つとむ〉)
日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。戸塚は次のように自慢げに書いている(『戦争と性』第25号2006年5月)。
〈筆者は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した。〉
この規定が国際社会での反日謀略のスタートだった。日本人が国連まで行って、事実に反する自国誹謗(ひぼう)を続けるのだから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。(西岡力〈にしおか・つとむ〉)
(『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』SAPIO編集部編)
〈筆者は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した。〉
この規定が国際社会での反日謀略のスタートだった。日本人が国連まで行って、事実に反する自国誹謗(ひぼう)を続けるのだから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。(西岡力〈にしおか・つとむ〉)
(『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』SAPIO編集部編)
白いところに黒のペンキを塗りこむ。そうなったら最後、いくら消そうとしても、完全な白に戻るのは、ほぼ不可能だ。もちろん、強力なペンキを上から塗りたくる方法もある。しかし時間が経てば、最初にはがれるのはそんな上塗りの部分であり、後からやはり、あの「黒み」が中から顔を出してくるだろう。
日本は戦後、「東京裁判史観」なるものによって多大な被害を受けてきた。
(『日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人)
日本近代史
日本は戦後、「東京裁判史観」なるものによって多大な被害を受けてきた。
(『日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人)
日本近代史
私が無知なだけかもしれませんが、たとえば、「英国がマレーシアや香港をレイプした」「スペインが南米諸国を犯しまくった」という喩えを聞いたことがありません。いわんや「イングランドがアイルランドを手籠めにした」という表現も知りません。「ドイツがオーストリアを強姦した」わけでもなく、「新羅が高句麗や百済を強姦した」わけでもないようです。日本は朝鮮半島からの渡来人が作ったと主張してやまない韓国の歴史学者が「弥生人が縄文人をレイプした」あるいは「百済が倭を陵辱した」と言わないのも解(げ)せない話です。
韓国人の意識の中に、歴史において、とりわけ「日韓併合」だけを強姦に喩えたい“何か”があるのではないでしょうか。
(『韓国呪術と反日』但馬オサム)
韓国人の意識の中に、歴史において、とりわけ「日韓併合」だけを強姦に喩えたい“何か”があるのではないでしょうか。
(『韓国呪術と反日』但馬オサム)
さらに驚くべきは、日本の“侵略”なるものを批判し続ける反日国家・中国の毛沢東首席もが日本の戦争に感謝の言葉を述べていたのである。
昭和39年7月10日、北京を訪れた佐々木更三(こうぞう)日本社会党委員長が過去の戦争に対する中国への謝罪を口にしたとき、毛沢東はこう返したのだった。
《何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです》(毛沢東著『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房)
『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦
日本近代史
昭和39年7月10日、北京を訪れた佐々木更三(こうぞう)日本社会党委員長が過去の戦争に対する中国への謝罪を口にしたとき、毛沢東はこう返したのだった。
《何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです》(毛沢東著『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房)
『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦
日本近代史
かつて(1989年)天安門事件というのがありました。そのときに、天安門を占拠した若い学生のなかから「中国共産党打倒」のスローガンが出たのですね。これに、その当時の、鄧小平を中心とする古い指導者たちは物凄くショックを受けたわけです。そこで、鄧小平たちが考えたのは、「これでは駄目だ。若者に愛国教育をやらんといかん」ということでした。愛国教育とは、「中華人民共和国をつくるについて(ママ)、中国共産党が日本軍国主義の侵略を排除するためにどれだけ苦労したか」ということを教えるということです。
つまり彼らの言う愛国教育というのはイコール反日教育です。これを江沢民体制の10年ずっとやってきた。そして、今も続けています。
(『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘)
つまり彼らの言う愛国教育というのはイコール反日教育です。これを江沢民体制の10年ずっとやってきた。そして、今も続けています。
(『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘)
鄧小平こそ反日の元凶なんですよ。
江沢民がどうのこうのと言いますけれど、南京大虐殺の記念碑をつくったのは、鄧小平です。「南京大虐殺30万」と一番最初に言ったのは、鄧小平なんです。
(『戦争を作り報道を歪める者たちの正体 事件のシナリオを見抜かねば日本は再び戦場となる!』菅沼光弘)
江沢民がどうのこうのと言いますけれど、南京大虐殺の記念碑をつくったのは、鄧小平です。「南京大虐殺30万」と一番最初に言ったのは、鄧小平なんです。
(『戦争を作り報道を歪める者たちの正体 事件のシナリオを見抜かねば日本は再び戦場となる!』菅沼光弘)
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