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保坂●陳立夫氏はもうひとつ、重大な発言をしていました。彼から「日本と中国の戦争を起こした張本人は誰だと思う」と問われて、「日本の関東軍の軍人たちです」と私が答えると、「違う。あれはソ連が演出したのです」というんです。僕が驚いていると、陳氏は「日本陸軍のなかに共産主義者がいたでしょう?」という。「分からない」と答えると、「いや、絶対にいる。我々が見たところ、共産主義者ないしその同調者がいる」と断言するんですよ。(『あの戦争になぜ負けたのか』半藤一利、保阪正康、中西輝政、戸高一成、福田和也、加藤陽子)

戦争/日本近代史
 その(『ブリタニカ国際大百科事典』の)人選の折りに、しだいに気づいていったが、いわゆる“左翼”と評されている研究者はリストに挙げないのが編集者たちの暗黙の諒解であった。私が担当している専門分野にもどちらかといえば“左翼”に擬せられる研究者がいないわけでもなかったが、しかしそうした人物は決してこの分野で最高レベルに到達しているとはいい難かった。(『風来記 わが昭和史 1  青春の巻』保阪正康)
 スパイにとっては『スパイである』という身元を洗い出されることがいちばん困るのだから、自分が殺されるというぎりぎりの限界まで『殺し』という最後の武器を使うことはない。
 また『殺されない』ということも大事で、スパイは『探りだした』だけではななんいもならない。『探りだしたことを報告して』こそ、はじめて任務の達成ができるのである。だから、たとえ手足を斬(き)られて歩けなくなっても、転びながら帰る。舌を抜かれて、目をえぐりとられても、心臓の動いているかぎりは死なずに帰って報告するのが、まず第一の任務とされている。
(『秘録 陸軍中野学校』畠山清行著、保阪正康編)

中野学校/小野田寛郎