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 実は、中世には私たちが考えるような「国家」はありませんでした。確かに、国はありますし王もいます。しかし、それらを上から支配していたのはキリスト教の長たるローマ教皇でした。フランスという国はあっても、フランスを動かすのは王ではなく教皇です。つまり、国の中心が不透明なのです。そうなればフランス王の支配領域、つまりフランスという区の領域(国境)も曖昧なものになってしまいます。要するに、国家の概念は、その中心も領域も曖昧でぼんやりとしたものでしかなかったのです。人々も自分がどこの国に所属しているのかはっきりとは意識していません。中世の人に「あなたはどこの人ですか」と問えば、荘園や教区の名を挙げるでしょう。もっと大きな枠組みで問えば「私はクリスチャンです」と答えるでしょう。中世という時代は、国が分立しているというより一つのキリスト教世界ととらえるべきです。しかし、キリスト教の時代は、教皇による十字軍の失敗によって崩れはじめます。(『歴史の見方がわかる世界史入門 いまにつながるヨーロッパ近現代史』福村国春)

世界史
ジャクリー 百年戦争による農地の荒廃、軍役奉仕の過重や重税などに反発してフランスの農民がおこした反乱。農民をジャックと蔑んだ封建諸侯を襲撃する光景を描いた15世紀の写本の挿絵(さしえ)である。(『山川 世界史総合図録』成瀬治、佐藤次高、木村靖二、岸本美緒監修)

世界史
安田●森の破壊の原因は、こうした精錬や貨幣を鋳造することが一つであったことは疑う余地がありません。(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)
石●こうした流れは、現在でもマルキストの間で受け継がれ、社会主義思想家がエコロジストに転向して、環境問題の論陣を張っている。「レッドからグリーンへ」というのが、最近の皮肉をこめたスローガンとなっているぐらいです。つまりマルキシズムの居城を失った思想家たちの一部が、環境に生きる道を見出したわけです。(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)
 歴史という文化は、地中海世界と中国世界だけに、それぞれ独立に発生したものである。本来、歴史のある文明は、地中海文明と中国文明だけである。それ以外の文明に歴史がある場合は、歴史のある文明から分かれて独立した文明の場合か、すでに歴史のある文明に対抗する歴史のない文明が、歴史のある文明から歴史文化を借用した場合だけである。
 たとえば日本文明には、668年の建国の当初から立派な歴史があるが、これは歴史のある中国文明から分かれて独立したものだからである。
 またチベット文明は、歴史のないインド文明から分かれたにもかかわらず、建国の王ソンツェンガンポの治世の635年からあとの毎年の事件を記録した『編年紀』が残っており、立派に歴史がある。これはチベットが、唐帝国の対抗文明であり、唐帝国が歴史のある中国文明だったからである。
 イスラム文明には、最初から歴史という文化要素があるけれども、これは本当はおかしい。アッラーが唯一の全知全能の神で、宇宙の間のあらゆる出来事はアッラーのはかり知れない意志だけによって決定されるとすれば、一つ一つの事件はすべて単独の偶発であり、事件と事件の間の関連を論理によってたどろうなどというのは、アッラーを恐れざる不敬の企てだ、ということになって、歴史の叙述そのものが成り立たなくなってしまう。(中略)
 しかし、もっと大きな理由は、イスラム文明が、歴史のある地中海文明の対抗文明として、ローマ帝国のすぐ隣りに発生したことである。地中海文明の宗教の一つであるユダヤ教は、ムハンマドの生まれた6世紀の時代のアラビア半島にも広がっていた。ムハンマド自身もその影響を受けて、最初はユダヤ教の聖地であるイェルサレムの神殿址に向かって毎日の礼拝を行っていた。
(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)
 マルティニの『中国古代史』にもどろう。これは中国最古の時代からイエス(=漢)の時代までを扱う歴史書であるが、最もヨーロッパの人々に衝撃を与えたのは、伏羲以後の時代を、疑いのない歴史的事実として承認したことであった。伏羲とは、「三皇五帝」の最初に数えられる、あの伏羲である。マルティニは、しかも、この伏羲の統治をイエス前2952年と計算し、伏羲・神農、黄帝の三皇から五帝へ、さらに前2207年に始まる夏、ついで商(殷)、周など、以後も連綿として続く諸王朝を、疑いのない事実として認めたのである。(『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世)
 慣習法の支配する、レッセ・フェールの国であったイギリスは、ある意味で結社(ソサエティ)の国でもある。そもそも成文憲法をもたないこの国にあっては、多くの社会的取決めは、公的な、成文化された法規によるのではなく、なかば私的な、集団内の慣習によって成り立っている。(川北稔)『結社の世界史4 結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄監修、川北稔編
 歴史を考えるとき、モンゴルのように、それまで周縁的としか思われてこなかったもの、むしろ排除されてきたものを軸として、歴史の見かたをガラリと転回させることができる。『世界史の誕生』を読み、私はそのことに感動するのです。史料の徹底的な探索をもとに、だれも思いもしなかった方向へ歴史イメージをかえてしまう。地道な学問的努力と、史的想像力の切っ先のするどさに心を打たれるのです。(『〈狐〉が選んだ入門書』山村修)
 歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)
 コロンブスの手紙の言葉は、ヨーロッパ人自身が、それまでの「化物世界誌」を自ら打破していく第一歩となった。その歩みはこのような状況の中では、急速に進むというわけにはいかなかった。(『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世)

キリスト教
「石原莞爾」
 という名には、さまざまなイメージが錯綜する。
 一方の評価として、満州事変をひきおこすことで、日本を戦争へと導いた、戦争犯罪人の一人だとするものがある。
 他方には、世界の趨勢にさきがけて、軍備の放棄をよびかけた平和主義の先駆だという見方もある。
 20倍にのぼる敵軍を壊滅させた天才的な戦略家である、とも云われ、狡猾な陰謀家とも評されている。
 霊的な資質をもった予言者とよばれると同時に、世界史の終焉を結論した精緻な理論家ともみなされている。
 近代文明のダイナミズムを信じた国家主義者であり、コスミックな感性から都市文明の解体を宣言したユートピア主義者でもあった。
 皇室を尊奉する帝国軍人であると同時に、日本という国家を超える理想と正義のヴィジョンを持っていた。
 ある歴史家は、日本においてヒトラーやムッソリーニに匹敵するただ一人のカリスマだと云い、晩年身近に接した婦人は、さながら菩薩のような温容だったと語る。これらの要素のすべてが、いくらかは石原莞爾に該当している。
(『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』福田和也)
 ギリシア人が使用し始めた「アジア」、「ヨーロッパ」の語源は、太田秀通氏によれば、【フェニキア語】のアシュー(陽の昇る場所、東)、エレブ(陽の沈む場所、西)であろうとされ、さらにこのフェニキア語自体の語源となったのは、アッシリア語の(始め)、(闇)であるといわれます。この場合注意したいのは、語源とされる言葉が朝の始まる方向と、そのときまだ暗い場所、つまりは東・西といった意味をもつだけで、どれも、優劣に関わる価値評価が含まれていないことです。ギリシア人がこれらの言葉を借用してヨーロッパ、アジアという単語を使用し始めたときも、それは同様だったと考えられます。
 しかし【ヘロドトス】では、ヨーロッパとアジアは、特質を異にする対立的な二大世界となっています。
(『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』岡崎勝世)
 哲学の世界では、17世紀にデカルトが現れ、「我思う故に我あり」と主張して、根本原理を神から人間の世界へと引き下ろした。(『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士)

仏教
 産業革命がまずイギリスに起こったのも、奴隷や砂糖の商人たちの富の力によるのだ、と主張する意見もあるくらいです。(『砂糖の世界史』川北稔)
 1812年、ロシア人の90%は農奴であった。地主階級の全くの所有物として売り買いされていた。気まぐれで売買されることもあり、かつての西欧の小作人よりむしろ奴隷に近い。1789-99年に起きたフランス革命の行動指針と理想は、ナポレオンの遠征軍とともに広がっていった。中世の社会秩序を壊し、政治的境界線を変え、国家主義(ナショナリズム)の概念を醸成した。彼の遺産は、実社会にも影響を及ぼし、一般的な国民主権と法体系が、地域的な決まりやしきたりという多様で不明確な習慣に取って代わった。そして故人、家族、財産権といった新しい概念が導入された。また、地域によってバラバラだった度量衡も統一された。(『スパイス、爆薬、医薬品 世界史を変えた17の化学物質』ペニー・ルクーター、ジェイ・バーレサン:小林力訳)
 ピカソは、他の著名親ソ知識人同様、知ってか知らずか、「監督」スターリンの振り付けに忠実に従う「スター俳優」であった。第二次大戦中パリに住んでいたピカソは、連合軍によるパリ解放後、フランス共産党に入党し、1950年にスターリン平和賞を受賞、スターリン批判後、同賞がレーニン平和賞と改称された後の1962年にも、再度受賞した。(『日本人が知らない最先端の「世界史」2 覆される14の定説』福井義高)
 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンがキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。
(『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世)
 ルネサンス期のイタリア、スペイン帝国、ルイ14世のフランスからネーデルランド連邦共和国、大英帝国、独立初期のアメリカにいたるまで、一国の浮沈のカギを握るのは政治の責任と誠実な会計だった。よい会計慣行が政府の基盤を安定させ、商業と社会不安を活性化するのに対し、不透明な会計とそれに伴う責任の欠如が金融の混乱、金融犯罪、社会不安を招いてきたことは、何度なく歴史が証明している。(『帳簿の世界史』ジェイコブ・ソール:村井章子訳)
 デカルトはこのように宇宙や地球の形成を、聖書によってではなく、粒子論的・機械論的な理論で説明した。そこではそれまでに続いてきた「閉じた宇宙」を否定して宇宙を「無際限」とし、また、アリストテレスのいう天上界の第五元素「エーテル」を否定して、宇宙も月下界と同じ物質から成ることが主張されている。天上界が神的存在の居住地であることや、諸天体が司る道徳や、その地上への影響力も否定される。(『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世)
●キリスト教と名前の由来
 パウロ(イエスの弟子、「異邦人の使徒」)→ポール(英)、パブロ(スペイン)
 ミカエル(天使の名)→マイケル、マイク(英)
 ヨハネ(イエスの洗礼者)→ジョン(英)、ジャン(仏)、イヴァン(露)
 ヤコブ(イエスの弟子)→ジェームズ(英)

●ゲルマン文化と名前の由来
 Karl(「男」を表すゲルマン系の言葉)→チャールズ(英)、シャルル(仏)、カール(独)、カルロス(スペイン)
 Hluodowlg(「高名な戦士」を表すゲルマン系の言葉)→クローヴィス(仏)
 →ルイ(仏)、ルードヴィヒ(独)、ルイス(英)
 Heinrich(「家の主」を表すゲルマン系の言葉)→ヘンリ(英)、アンリ(仏)、ハインリヒ(独)

(『ニューステージ 世界史詳覧』浜島書店編集部)