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『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』でも書きましたが、昔は生活空間の中で「危ない地域」と「危なくない地域」が明確に分かれていました。「危ない地域」がいくらあっても自分が行かなければ怖くなかった。そもそも「治安が悪い」というのは警察の手が届かない地域がどれだけあるかということです。日本はそうした地域が少なかったから非常に治安はよかったのですが、むろん、警察の手の届かない場所があってもそんな場所へ行かなければ一般人には関係がないわけです。
 それでは犯罪が減少傾向にある中で、なぜ体感不安を感じるようになったのか? それは「危ない地域」と「危なくない地域」、すなわち、繁華街と住宅街、昼と夜といった境界がなくなったからだと思います。たとえば、最近話題になっているコンビニエンスストアの終夜営業規制、これは非常に大きいのです。治安のためにはむしろコンビニエンスストアは開いていたほうがいいという意見がありますが、夜に外を出歩く人が減れば治安は格段によくなります。治安をよくするための最強の手段は夜間外出禁止令であることを思い出してほしい。警察の取締りが、格段に楽になります。夜歩いている人は、皆不審人物ですから。(河合幹雄)
(『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編)
 この点はライプニッツも同様であった。しかし同じく偉大な論理学者・数学者であったかれは、デカルトとは少し違っていた。かれは完全なものとして考えられた神の概念が、最大数のような矛盾を含まないかどうかを問題にした。そして神の概念が矛盾を含まないことを論証する。(『パラドックス 論理分析への招待』中村秀吉)
 知識が前に進むのを止めようとしても無駄だ。知っているより知らない方がいいということは決してない。――エンリコ・フェルミ
(『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ)
 いえいえ、わからないのも無理ありません。というのは協調にしても裏切りにしても、どちらが本当に合理的な選択なのかわからないのです。その意味で、囚人のジレンマはパラドックスなのです。(『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』高橋昌一郎)

・『不可能、不確定、不完全 「できない」を証明する数学の力』ジェイムズ・D・スタイン
 ナチスドイツの諜報機関ほど謎に包まれ、十分に理解されていない諜報機関はあまりない。頭文字をとってアプヴェーアと呼ばれるドイツ国防軍情報部は、嘘偽りと、相容れない事実のベールで覆い隠されている。これはかなりの部分が、ドイツのスパイマスターのなかでもひときわ抜きん出ていた一人の人物、1935年1月から1944年3月まで国防軍情報部の長官をつとめたヴィルヘルム・カナリス提督に起因する。カナリスは当初ヒトラーの熱烈な支持者だったが、第二次世界大戦が進むにつれてナチスに幻滅するようになった。彼は、総統のために忠実なスパイマスターの役割を演じようとする一方で、敵に対しては、わずかながらでも礼儀正しく接し続けようとした。それどころか、ほとんと活動を停止していたものの常に存在し続けていたドイツの反体制運動を支持していたのである。ヒトラーの壮大な野望を実現しようとした組織、ほかならぬドイツ国防軍が、同時にヒトラー抵抗勢力の源ともなっていたことは、第三帝国の摩訶不思議なるパラドックスの一つであった。ドイツ国防軍の中でも、情報部ほど強烈にヒトラー政権に反対を唱え、さまざまな階級に共謀者を抱えていた組織はほかにない。最終的に、カナリスとその忠実な部下のほとんどは、命を代償にしてヒトラーに抵抗した。(『ヒトラーのスパイたち』クリステル・ヨルゲンセン:大槻敦子訳)
 アルキュタスはプラトンの友人で、常勝将軍と称えられた軍人にして政治家でもあり、音楽、天文学、物理学の分野で優れた仕事をし、古代世界ではきわめて高く評価されたピュタゴラス派の学者だった。そのアルキュタスが、「しかし、宇宙の果てとは何だろうか?」と問いかけたのである。
 もしも宇宙に果てがあるなら、なんとかしてそこまで行き、そこから外に向かって槍を投げたとしたら、その槍はどうなるのだろうか? 槍はこの世から消滅するのだろうか? それとも壁のようなものにぶつかって、はね返ってくるのだろうか? その壁はどれぐらい厚いのだろうか? 壁の向こうはどうなっているのだろうか?
 アルキュタスは槍投げのパラドックスにより、宇宙に果てがあるとすれば厄介な問題が生じるということを示したのである。
(『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』青木薫)
 ペンフィールドが1930年代に行なった古典的な脳の実験は、ある有名な謎の元になった。その後ずっと哲学の学徒からは「水槽の脳」と呼ばれている問題である。こんな話だ。「あなたはそこに座ってこの本を読んでいると思っている。実はあなたは、どこかの実験室で体から切り離され、培養液の入った水槽に入れられた脳だけの存在かもしれない。その脳に電極がつながれ、あやしげな科学者(マッド・サイエンティスト)が電気刺激を流し込み、それでまさにこの本を読んでいるという体験を引き起こしているのだ」
(『パラドックス大全』ウィリアム・ストーン:松浦俊介訳)
 本物の逆説の単純な例は、「嘘つきの逆説」である。エウブリデスという紀元前4世紀のギリシア哲学者が考案したこの逆説は、誤ってエピメニデスのものとされているが、エピメニデスは仮託された語り手にすぎない(プラトンの対話篇に出てくるソクラテスのようなものだ)。クレタのエピメニデスは、「クレタ人はみな嘘つきだ」と言ったとされる。これを完全な逆説に転換するために、少しずるをして、戯れに、嘘つきとは、言っていることがすべて本当ではない人のことだと定義しよう。するとエピメニデスは、要するに「私は今嘘をついている」、あるいは「この文は間違っている」と言っていることになる。(『パラドックス大全』ウィリアム・ストーン:松浦俊介訳)