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 アリストテレスの自然観は間違っていたが、影響力が大きく、1000年以上もの間、よほど現実的な見方も含め、それと対立する見方をすべて脇に押しやっていた。西洋世界がアリストテレス自然学を――アリストテレスによるゼノンの無限の排除とともに――打ち捨てるまで、科学が進歩することはなかった。
 ゼノンは、知性にあふれていたにもかかわらず、深刻な問題に突き当たった。紀元前435年頃、エレアの圧政者ネアルコスを打ち倒そうと謀り、この大義のために武器を密輸していた。ところが、不運なことに、ネアルコスに陰謀を知られ、逮捕された。ネアルコスは、共謀者を知ろうと、ゼノンを拷問にかけた。まもなく、ゼノンは拷問者たちにやめてくれと頼み、共謀者たちの名前を言うと約束した。ネアルコスが近づくと、ゼノンは、名前は秘密にしておくのがいちばんだから、もっと近寄ってほしいと言った。ネアルコスは体を傾け、顔をゼノンのほうに寄せた。すると突然、ゼノンはネアルコスの耳に噛みついた。ネアルコスは悲鳴を上げたが、ゼノンは噛みついたまま放さなかった。拷問者たちは、ゼノンを叩き殺してやっと引き離すことができた。こうして無限なるものの大家は死んだのだ。
 やがて、古代ギリシアに無限なるものに関してゼノンを凌(しの)ぐ者が現れた。シラクサの変わった数学者アルキメデスだ。無限なるものを垣間見た、ただ一人の思想家だった。
(『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大訳)
 数学者アンドレ・ヴェイユは、「過去2500年を振り返っても、アリストテレスと肩を並べると誇張なく言えるのは、ゲーデルただ一人である」と述べた。(『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎)
 デカルトはこのように宇宙や地球の形成を、聖書によってではなく、粒子論的・機械論的な理論で説明した。そこではそれまでに続いてきた「閉じた宇宙」を否定して宇宙を「無際限」とし、また、アリストテレスのいう天上界の第五元素「エーテル」を否定して、宇宙も月下界と同じ物質から成ることが主張されている。天上界が神的存在の居住地であることや、諸天体が司る道徳や、その地上への影響力も否定される。(『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世)
 歴史学では、その本人またはその同時代人の資料がいちばん大事です。けれども、この絵の場合、その主題についてのどんな資料も残っていないのです。契約書もないし、ミケランジェロも口をつぐんでいます。キリスト教会は、この頃、ルターが出現する直前で、危険なことや、異端や、宗教裁判や、さまざまな流派が渦巻いていて、予断を許さない状況でした。
 彼が生きていた1475年から1564年という時代は、おそら西欧最大の危機のひとつでした。彼は一生涯システィーナ礼拝堂に何を描(えが)いていたかいいませんでした。(中略)
 1498年にサヴォナローラが火あぶりにされ、1600年にはジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられ、1632年にはガリレオが裁判にかけられています。この有名な絵のほんとうの意味がわからなくなったのは、それが隠されたからです。これが書物だったら、だれにも意味がわかってしまうから、『薔薇の名前』のなかでボルヘがアリストテレスの本を隠したように、書庫のおくに隠すか、実際にたくさんの本がそうであったように焼かれてしまったでしょう。けれども幾重(いくえ)にも複雑な意味をもった、曖昧(あいまい)な芸術作品は、解読するキーをもっていない人にはただの美しい画面にすぎませんから、生き残ったのです。
(『イメージを読む 美術史入門』若桑みどり)
 いまでは、チョムスキーの提起したさまざまな問題を研究する学者の数が、何千人にも達している。チョムスキーは、人文科学分野でしばしばその言が引用される人物トップテンに(ヘーゲル、キケロを抜き、マルクス、レーニン、シェークスピア、聖書、アリストテレス、プラトン、フロイトに次ぐ8位)入っている。しかも、トップテンでただ一人、存命中だ。(『言語を生みだす本能』スティーブン・ピンカー:椋田直子訳)
 今日になってみれば、プラトンのいうことは大まちがいである。アリストテレスが正しく指摘しているように、われわれの左右両腕は、生まれつき同じでは【ない】のである。大多数の人が右利きだというのは、人類の遺伝的傾向であって、信頼するに足る歴史によるかぎり、昔からそうなのである。左利きのほうが普通だという社会は、文化人類学者にもまだ知られていない。少数の部族についてさえ、そのようなことは知られていない。エスキモーにしても、アメリカ・インディアンにしても、マオリ人にしても、アフリカ人にしても、みな右利きである。(『自然界における左と右』マーティン・ガードナー:坪井忠二、小島弘、藤井昭彦訳)
 考察すること一般を、俗に「分析する」といったり(政治分析、経済分析、現状分析など)、理解すること一般を「分かる」といったりするのであるが、ただ、やみくもに分析したり分解したりすることで、つまりバラバラにすることで「わかった」ということにはならない。分析といっても、分析することで原理に到達し、そこから再構成してみてはじめて、「わかった」ということになるのである。そしてこの基本線は、アリストテレスからデカルトまで、古代哲学から現代科学まで貫かれているといってよいであろう。(『「分ける」こと「わかる」こと』坂本賢三)