日本文明の自覚は喪失から始まる。それが日本民族の強さであつた。言ふまでもなく、我々が晒された「喪失」とは、第一に古代支那文明の大規模な流入であり、第二に黒船である。(『小林秀雄の後の二十一章』小川榮太郎)
 もともと魔術の本質は、ある特定の世界像をあたえて、それにしたがった行動をさせることだった。いま論理はまさにこれと同じ役目をしている。そしてインテリほど論理にたよって判断するから、インテリほど魔術にかかっている。(『昭和の精神史 竹山道雄セレクション第1巻竹山道雄
 語られる物語のなかに、その物語を聴き、語り継いできた複数の語り手、複数の声が存在し、一つの物語には無数の物語が存在するのだ。(『アラブ、祈りとしての文学岡真理
 ペリー来航後、横浜が開港される前から、八王子の商人たちは、特産品の生糸を横浜へ運び、オランダの東インド会社と貿易をしていたのだ。(中略)
 八王子の商人は、死角になっていた岬で荷物の受け渡しをして、いわゆる密貿易をおこなっていた。
 八王子~横浜間の“絹の道”は、「裏街道」「お目こぼし街道」と呼ばれ、幕府は見て見ぬふりをしていた。
(『雑学の日本地図300連発! たとえば、ギネスブックにも載った、世界一せまい海峡ってどこ?』博学こだわり倶楽部編)
「(鈴木)大拙クリシュナムルティに2回ほどしか会っていないが、『彼はいつも高いところから語っており、自らはお金にも触れず、手を汚さず、泥に少しもまみれていない』という内容の感想を漏らしたことがあるという。クリシュナムルティの表現には禅的なところがあり、回りの人に彼について度々問われたこともあったので、大拙も彼の著作を何冊か読んでいたという」(「J・クリシュナムルティの人間形成」小林一正)『クリシュナムルティの世界大野純一
 右翼には、純情だが頭の悪い人もいて、ひたすら日本を礼賛(らいさん)します。万邦無比(ばんぽうむひ)とはさすがに言わなくなったが、外国語も習わなくていい、外国へも行かない、そんな愛国主義者の中から、大東亜戦争は正しかった、などと三分(さんぶ)の理を主張するお山の大将が出てくるようでは困ります。(『日本人に生まれて、まあよかった平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉)
 愛国=反日というのは、近代史の過程ではごく常識的な現象であった。去る反日デモ、あるいは江沢民の登場をまつまでもない。じつは1910年代から明確なかたちをとってあらわれはじめた。
 1919年、北京の学生運動を皮切りに、全土にひろがった五四(ごし)運動は、そのもっとも初期、かつもっとも大きな事例である。そして満州事変をへて日中戦争で、反日運動は「抗日戦争」と名を変えて最高潮に達した。したがって「反日」の動きというのは、歴史上すでにいっそう甚だしい形でおこったことであり、われわれの祖先が、つとに経験ずみの出来事なのである。
(『中国「反日」の源流』岡本隆司)

中国
 もうひとつは、【政治や世界を理解する際に宗教の歴史を抜きにして理解することはできません】。例えば【アメリカの政財界人、最高裁判事等のエリートは、キリスト教のプロテスタント系の聖公会(せいこうかい)の信者が大多数です】。(『宗教で得する人、損する人林雄介
 すでに志(こころざし)があるならば、ことは果敢(かかん)に行(おこな)うべきである。――白川静(『白川静博士の漢字の世界へ』福井県教育委員会編)

漢字
 したがってエントロピー増大の法則は、秩序は無秩序へと移る傾向があるのに対して、無秩序はそのままで変化しない、ということに等しくなる。結論は絶対的なものではなく、非常に確率が高いというだけであるが、この確率は圧倒的に高いものである。無秩序化の傾向の方が勝るというのに賭ける方が安全というものであろう。(『冷蔵庫と宇宙 エントロピーから見た科学の地平』マーティン・ゴールドスタイン、インゲ・F・ゴールドスタイン:米沢富美子、米沢ルミ子、森弘之訳)
 家康たちが最初に注目したのは、江戸城東方にあった、芦(あし)が茂る半島状態の低湿地で、江戸前島と呼ばれていたところ。今の日本橋、銀座一帯である。すでに、この地域に運河をつくることで湿地のたまり水を排除して土地をつくり、土地造成に結びつけていたが、それだけでは不十分で、やはり新たに土が必要だった。そこで家康たちは、江戸城のすぐ北、当時神田山と呼ばれていた標高20メートルの台地の土を利用することにした。(『この一冊で東京の地理がわかる! 地図と歴史から見えてくる東京の「おもしろ雑学」』正井泰夫監修)