ダーウィンは、今日の学者を悩ませつづける問題をもうひとつ突き止めていた。実生活では、人間は近縁や遠縁の者だけでなく、血縁関係のない人をも助ける――生物学の見地からは、遺伝的共通性がないので、そんな利他的な援助は自分の適応度にとってコストが高いとしても。すると、こうした血縁関係のない受益者からなんらかの形でほぼ同程度の見返りがないかぎり、あるいは何かほかの種類の「補償」でもないかぎり、そうした行動をとる個人は、みずからの適応度を下げて相手の適応度を挙げていることになってしまう。端的に言って、進化が教えてくれることはあまりにも明白だ。理論上、利他行動を避ける身内びいきの者は利他行動をする者より優位に立てるので、寛大さは血縁関係のなかに限られるはずなのである。(『モラルの起源 道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』クリストファー・ボーム:斉藤隆央訳、長谷川眞理子解説)

フランス・ドゥ・ヴァール
 骨格筋は、筋トレなどで鍛えることにより、その働きを強化することができる。筋トレの主要な効果である「筋力アップ」と「筋肥大」は密接に連動し、原則として、筋力は筋肉の太さ(筋断面積)に比例する。(『筋肉の使い方・鍛え方パーフェクト事典』石井直方〈いしい・なおかた〉監修、荒川裕志)
 インナーマッスル(深層筋)とは、身体の深層に位置する筋肉のこと。それに対し、身体の表面にある筋肉をアウターマッスル(表層筋)という。一般的に、インナーーマッスルは「身体を安定させる役割(スタビリティ)」があると考えられている。反対に、アウターマッスルは「関節を動かす役割(モビリティ)」をもつという認識が一般的である。(『プロが教える 筋肉のしくみ・はたらきパーフェクト事典石井直方〈いしい・なおかた〉監修:荒川裕志)
 ただし、【有酸素運動でカロリーを消費できるのは運動を行っている間だけ。筋肉を増やすことで、何もしなくてもカロリーが消費される基礎代謝が上がるのとは違い、有酸素運動によるカロリー消費は運動中のみ】という限定的なものです。(『速トレ 「速い筋トレ」なら最速でやせる!』比嘉一雄)

筋トレ
Q10 北朝鮮による拉致(らち)事件はなぜ起きたのですか?

A 拉致しても日本が奪還できないことを、北朝鮮は知っていたからです。

 これも憲法第9条が絡む問題です。北朝鮮は、たとえ拉致事件を起こしても、それに対して日本は何もしない、何もできないことを読み切っていました。だからこそ日本人を拉致しにきたのです。
 世界中どこの国でも、自国民を守るのは政府の義務です。ですから自国民が他国に拉致されたとなれば、決して黙ってはいません。アメリカ相手にこのようなことをしでかしたら、間違いなく特殊部隊が乗り込んできますし、場合によっては戦争が始まります。つまり国家というものは、それほどの覚悟を持って自国民を守っているのです。

(『日本の真実50問50答 わかりやすい保守のドリル和田政宗
 寛治が潔の学問のためにしたことはそれだけではなかった。それは潔が少し長じてからのことであるが、寛治は潔に金銭の勘定は一切させなかった。金銭感覚が身につくと学問の邪魔になると考えたからである。(『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利〈おびがね・みつとし〉)

岡潔
 なぜ「お金」が十分に動かないのか。それは「お金」だけでは購買力にならないからです。第三の波の中では時間がないと買えない商品が増えているからです。
「お金」は第三の波の中ではもう一度裏付けを変えないといけないのです。第三次産業を伸ばして、経済活動を盛んにしなくてはいけないのですが、思うように伸びなくなった原因は第三次産業向けの「お金」が足りなくなっているからだと思うのです。
 では、第三次産業向けの「お金」は何かというと、消費のための時間です。
(『「可処分時間」がデフレを解決する!! なぜConsumeは「消費」になりさがったのか?』滝本泰行)
「群れは意識をもつのか」という問いにおいて、群れを、神経細胞の群れと置き換えてみる。神経細胞の群れとは脳だ。意識は脳の産物であると誰もが思うものの、単独で培養される神経細胞は、意識や心の片鱗も見せない。ところが、千数百億の神経細胞が集団となったとき、そこには単なる集団を超えた「意識」が出現することになる。
 群れの場合に否定された集合的意識が、脳では逆に自明なもの、説明すべき問題となっている。ムクドリの群れの場合には全否定され、神経細胞の場合は全面的に肯定される。その違いは、集合的意識の存在に対する、素朴な信念だけではなかろうか。「神経細胞の集団は意識をもつ」が疑いもなく正しいと判断することと、「ムクドリの群れは一つの意識をもっている」が疑いもなく間違っていると判断することとは、コインの表裏を成している。いずれの判断も安易で、暴力的だ。
(『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序郡司ペギオ幸夫
 単純な規則が複雑なパターンを生み出す過程は【自己組織化】と呼ばれる。自然界では、原子や分子が自然発生的に近づいて結晶を作ったり、結晶が組み合わさって貝殻の込み入った模様(パターン)を描いたりするときに、この過程が生じている。また、砂漠の砂の上を風が吹いて手の込んだ砂丘の形にあるときにもお、私たちの体の中で、個々の細胞が集まって心臓や肝臓などの構造をなしたり、顔という形をなしたりするときにも、私たちが集まって、家族、都市、社会といった複合的な社会的パターンを形成するときにも、自己組織化が起きている。(『群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 群知能と意思決定の科学』レン・フィッシャー:松浦俊輔訳)
 もちろん、こんな興味深い行動を取るのはアリだけではない。ミツバチからニシンまで、さまざまな生き物の集団はリーダーからの指示もなく、難しい問題を解決していく。科学者はそのプロセスを「自己組織化」と呼ぶ。これこそ賢い群れを特徴づける第一の原理だ。(『群れのルール 群衆の叡智を賢く活用する方法』ピーター・ミラー:土方奈美訳)
 たとえば、警察庁や外務省など霞が関の局長級官僚が集まる関係閣僚会議の「専門幹事会」という組織がある。拉致を含めた北朝鮮問題を議論し、今後の政府の方針を決める重要な機関だが、主宰するのは官房副長官が通例だった。当時、官房副長官だった安倍が、その機関の実権を握ろうとしたところ、官邸内で福田康夫官房長官と激しく対立したという。
北朝鮮外交は田中均局長(当時)を通せ」
 外交の実権を握ろうとする安倍に対し、福田は常に釘を刺した。いつしか田中均審議官ら「宥和派」を重視する福田と安倍とのあいだには溝ができた。すなわち、外務省内の「強硬派」と「柔軟派」の論争がそのまま首相官邸に持ち込まれるようになったのだ。
(『「北朝鮮利権の真相2 日朝交渉「敗因」の研究」野村旗守〈のむら・はたる〉編)
 もう一つは、筋トレの「頻度」です。もっとも効率よくトレーニング効果を得るには、超回復が起きたところで、タイミングよく次の筋トレが行われる必要があります。そのためには、前述したように、【1日おきくらいに行うのが適切なのです】。(中略)1回の筋トレがそれほど充実していなくても、必要な強度にさえ達していれば、週に3回行うことで、はるかに大きな効果を得ることができます。(『「筋トレを続ける技術」 自宅で気軽に体脂肪燃焼』森俊憲)
【ICE(冷却)】冷却=アイシングです。患部を冷やすことで感覚をマヒさせ、痛みを軽減できます。ケガをした現場では15~20分冷やすのが原則です。患部やケガの状態によって冷やす時間は多少異なりますが、感覚がマヒした状態で終了するいことが大切です。医療機関を受診するまでは、40分おきにアイシングをくり返しましょう。また、受診時に指導があるはずですが、受信後も自宅でアイシングを継続し、24~72時間、アイシングをくり返します。(『サッカーで痛めた体を自分で治す本 太もも・ひざ・ふくらはぎ・足首のセルケアとトレーニング』松田悦典)
 これらの証言からわかることは、すなわち村山は、文言として飛躍している「侵略」「植民地支配」を、内閣総理大臣談話として発表することで既成事実化することを狙ったわけである。村山は、戦後50年で過去の行為について謝罪して終わらせるのではなく、その後もそれを餌に付け入ろうとする勢力の発生すら意識し、未来永劫、日本が戦後史観の呪縛にとらわれることを意図したのである。(『村山談話20年目の真実 和田政宗、藤井実彦、藤岡信勝、田沼隆志)
 作家の小田実氏は朝鮮総聯の手引きで訪朝し、77年1月から雑誌『潮』に「『北朝鮮』の人びと」を連載したが、その中で何度も公式視察を離れて、あてずっぽうに「なだれこみ」取材をしたと誇らしげに書いている。しかしこの取材も北朝鮮側が巧妙に仕組んだヤラセである疑いが強い。小田氏は「テレビはどこの家にももっているだろう。冷蔵庫もたいていの家にはあった」と書いているが、小田氏の見た家は特権階級である党幹部などの家ではないのか。亡命者の話では70年代では、平壌を除く地域では一般家庭で冷蔵庫は無論、テレビを持っているのは特権階級の家だけだった。
 小田実氏の北朝鮮ルポは、北朝鮮をいたく満足させたらしい。77年1月、北朝鮮から朝鮮総聯に伝達された「77年度総聯の事業方針」の中に「小田実のような人物を2~3名工作獲得すること」との項目があったという。
(『北朝鮮利権の真相 「コメ支援」「戦後補償」から「媚朝派報道」まで!野村旗守〈のむら・はたる〉編)
 孫子の兵法は、戦場という現実的な闘争の場がすべてではない。その場に到るまで、あるいは、その場に到らないで勝つことの重要さを説いている。もしも人生を個人的な戦場であるとみなせば、その兵法は生きかたにも応用できる。(『湖底の城宮城谷昌光
 ――戦いとは、情報戦である。
 そのことに最初に気づき、自身の兵法にそれを盛り込んだのも孫武である。敵にみせるべきものと敵にかくすべきものを自在につかって、
「敵を虚(きょ)にする」
 というのが、孫武の兵法の真髄(しんずい)である。
(『湖底の城宮城谷昌光

孫子
 こがらな人である、とわかってはいたが、いかにも短軀(たんく)であった。長身の子胥(ししょ)とならべば童子のようにみえるはずであるが、
 ――その威は、尋常ではない。
 と、むしろ子胥が畏縮(いしゅく)した。
 晏嬰(あんえい)はよく光る目をもっていたが、その眼光は相手を威圧するような力をもたず、意外なほど邪気がなかった。容姿全体に軽みがあり、淡々としてそこに在(あ)る、という感じであった。が、子胥の目には、それが怖かった。
(『湖底の城宮城谷昌光
 ところで、かんたんな送風機である韛(ふいご)が、いつ、たれによって発明されたのかはわかっていないが、この発明によって鉄器の量と質が飛躍的に向上した。発明の時期は春秋時代の末、戦国時代の初めであろうといわれている。とにかく韛をもったことで、人は強い火力をやすやすと手に入れることができるようになった。(『湖底の城宮城谷昌光
 ――人生の転機は、明日にもある。(『湖底の城宮城谷昌光
 ――ほんとうの偉大さは、開かれていることにある。
 孫武にそう気づかされた。それを政治におきかえれば、最高の善政とは、もっともわかりやすい政治、臣民がなぜと問わない政治であり、それが開かれた政治であろう。
(『湖底の城宮城谷昌光

孫子
「よいか、おのれの目でよく視(み)て、おのれの耳でよく聞いて、書物によってではなく、見聞によって学問をするのだ。商賈(しょうこ)は利のみを追求して、道義を知らぬといわれているが、人民を済(すく)う紳商(しんしょう)もいる。范(はん)氏が紳商であれば、主人から大いに学べ」(『湖底の城宮城谷昌光
 ところがこの状態も、岸信介が1957年2月から1960年7月まで首相を務めることによって終わりを告げた。日本が「自らの独立的選択」によってアメリカの忠実な同盟国となったことを岸首相が完全に明確化したからだ。
 このことの意味は、数年後に明らかになる。アメリカがベトナムにおいて大規模な軍事介入をした時のことだ。韓国は、数年間にわたって数十万人もの戦闘部隊をベトナムに派兵したが、日本政府はまったく派兵しなかった。これは憲法の制約によるものではない。「自らの独立的選択」にこそ、その理由があった。
(『戦争にチャンスを与えよ 』エドワード・ルトワック:奥山真司訳)
 筋肉に強い収縮を起こさせるスポーツ動作により急激な張力が筋肉に作用して、筋肉の一部に何らかの損傷をきたした状態が肉離れである。受傷部位は【ハムストリングス】が最も多く約【70】%を占め、大腸直筋、腓腹筋、大腿内転筋と続く。ハムストリングスの肉離れは、短距離走者、ラグビー・サッカー選手の疾走中に最も多く発生している。(『ぜんぶわかる筋肉・関節の動きとしくみ事典 部位別・動作別にわかりやすくリアルに徹底解説』川島敏生:栗山節郎監修)
「生後10カ月から叩くようにしました。集会で泣いたり、騒いだりすると、おしめを取って恵美のお尻を竹のモノサシで叩きました。王国会館の物置部屋が『懲らしめの部屋』になっていて、静かにしないとみんな子どもをそこに連れていってムチを打ちました」(『カルトの子 心を盗まれた家族米本和広

エホバの証人ヤマギシ会オウム真理教統一教会
 ――こういうすごみは、みたことがない。
 人をみぬく目をもっている高傒(こうけい)でも、ひそかに感嘆の声を挙げた。進退によって、その人の真価がわかるというが、退くことが進むことよりもはるかにまさった例がここにあり、鮑叔(ほうしゅく)ほどみごとな男をみたことがない、と高傒は感動した。鮑叔のここまでの行動が、私欲をともなわなかったことで、すべて君主と国家のためであることがあきらかになり、桓公を射殺しようとした管仲(かんちゅう)を薦(すす)めたことも、窮極の友情の象(かたち)であるとはいえ、人間わざとはおもわれない。
(『管仲』宮城谷昌光)
 人は何年もかかって変わる場合もあるが、一瞬にして変わる人もいる。後者には自己を信じきる強さがあり、その強さは、自己を完全に棄て去る強さにひとしい。(『管仲』宮城谷昌光)
1 梅干しを入れる 揚げ油が黒ずんできたら、揚げものの最後に梅干しを1~2個入れる。
2 きつね色に揚げる 梅干しがきつね色になるくらいまで揚げると、油がサラッとする。
(『おばあちゃんからの暮らしの知恵』NPO法人 おばあちゃんの知恵袋の会監修)
 じめじめした追想なんてまっぴらだ。
  肺腑(はいふ)をえぐる悲しみなんぞに用はない。

 どうにかこうにかくぐり抜けてきた55年の歳月。
  そんな一顧(いっこ)の価値もない過去などきれいに消し飛んでしまっている。
   そして、あるかなしかの余生が眼前にだらしなく横たわっている。

(『ぶっぽうそうの夜 完全版丸山健二
 モズが高音を張って冬を招き寄せた。(『野に降る星丸山健二
 脳の消費するエネルギーの量はほかの器官と比べてとても大きく、大きな脳をもつことには相当に大きなコストがかかります。ヒト(成人)では、脳が体全体に占める体積は2%程度ですが、消費するエネルギーは全体の20%にも上ります。そのような高いコストがかかるにもかかわらず、類人猿がとくに大きな脳を獲得・維持してきた理由は、コストに見合うだけの必要があったからだと考えざるを得ません。そしておそらくその必要とは、群れ(社会集団)の増大に伴う、情報処理量(認知、判断、言語、思考、計画など)の飛躍的な増大だったと考えられます。(『モラルの起源 実験社会科学からの問い』亀田達也)
 みかんの皮は畳の掃除に、レモンはキッチンの掃除に活躍する。
「汁を搾ったあとのレモンの皮でステンレスシンクやガラス類を拭くと見事に汚れが落ちます。黒ずんだ電気ポットの内側やアルミ鍋もレモンできれいになりますよ」
(『クロワッサン特別編集 昔ながらの暮らしの知恵。』)
 旧暦は、暦としては精度が低く、もしも現代で使われていたら、不便さをかこつことになったでしょう。
 しかし、旧暦には、新暦にはない情緒がありました。それは、二十四節気や季節の行事など、暦に季節感が織り込まれていたからです。人々は、季節を繊細に感じながら、日々の暮らしに行事という彩りを添えて、心豊かに生きることを楽しんでいたのです。
(『和ごよみの暮らし 四季折々の生活の知恵』大泉書店編集部編)
 Tシャツやトレーナーなど木綿衣類の色は、洗ううちにあせてきます。色落ちを防ぎたいなら、塩を洗剤と同じ量入れて洗ってください。あるいは、洗濯すると色が出てくるようなものは、洗剤に酢を半カップほど加えて洗うといいですよ。酢が色止めの役目を果たしてくれますから。
 ジーンズは買った日にでも濃い塩水に漬けて丸1日置けば、その後、洗濯を繰り返しても色落ちしないようになります。
(『これは、こうするんじゃ! おばあちゃんが教える暮らしの基本』NPO法人おばあちゃんの知恵袋の会監修)
南●坐禅をしていると音を聞いた瞬間に、自分の存在の全領域がぱっとわかってしまうときがある。聞くつもりがなくて聞いているという状態が非常に大事なです。普通、人は自己と他者、あるいは対象という意識の枠組みを前提にして、ものを聞いているわけです。聞こえた音に対して何の音か判断したくなる。けれど判断してそれで終わり。ところが、あることに気をとられて夢中になっている人は、対象を判断するという態勢にない。そこに突然パーンと音が響くと、存在の場全体が意識されることがある。それで、自己と他者というフレームはつくりものだということが一遍にわかっちゃう。(『人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答茂木健一郎南直哉〈みなみ・じきさい〉)
『史記』のなかで、司馬遷は幾多の金言名句を吐いているが、その一つに、「死するは難(かた)きにあらず、死に処するの難きなり」というのがある。――死に処して生きてゆくことのほうが死ぬことよりずっと難しいのだ、というほどの意味であるが、これこそは、司馬遷ならではの実感に裏打ちされた名言であった。生きながらえる道を選んで以来、わが胸ふかく刻みつけられた彼の哲学でもあった。(『司馬遷 起死回生を期す』林田慎之助)
「ヤポンスキーよ、革命というものは恐ろしいものだ」
 と私の傍らにいた50年輩の官吏らしいロシア人が、私の耳許でささやいた。
「王朝時代……と言ってもつい2~3ヵ月前までは金モールを身につけて威張っていた官吏や軍人をご覧なさい。気の毒なものです。ヤポンスキーよ。革命を見に来られたのか。この惨めな情況をよく見て、あなたの国の人々に伝えて下さい。決して、決して、このような革命を起こしてはなりませぬ」
(『誰のために 新編・石光真清の手記(四)ロシア革命石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)

日本近代史
 冬籠りの3ヵ月、ついに最後の日が来た。明治38年3月8日である。この日が、わが第二軍の最後の死闘の日となり、また日露戦争における陸戦の幕が閉じられる日ともなった。
 3ヵ月の間、氷原の友とまっていた日露両軍は、突如として凄惨な死闘の鬼となって、広大な野戦を展開したのである。戦線は入り乱れ、随所に白兵戦が起り、伝令は杜絶え補給は断たれ、司令部の命令は、辛うじて師団に達しても、師団命令は第一線の諸部隊には伝わらなかった。連帯命令でさえが徹底せずに、随所に分散した小部隊は、敵兵と見れば出会い頭(がしら)に射ち合い、弾が尽きれば銃を構えて飛びこんでいった。誰が命令するわけでもないし、誰が督戦するわけでもない。敵か味方か、この二つしかなかった。そこには作戦もなければ戦略もなかった。
(『望郷の歌 新編・石光真清の手記(三)日露戦争石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)

日本近代史
 思えば当時の民間人の国家意識は強いものであった。日清戦争後の三国干渉に憤激した志ある人々は、軟弱な政府を頼むに足らずと、悲壮な気持を抱いて続々と大尉陸へ渡り、各自思うところに愛国の熱情を傾けていたのであった。或はまた、ロシア軍に蹂躙された満州の市場に日本商品の販路を獲得しようとする商人や実業家も、政府機関に援助を求めるわけでもなく、単身ウラジオストックに上陸してロシア軍の動静を探りつつ、満州深く足跡を印したのであった。(『曠野の花 新編・石光真清の手記(二)義和団事件石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)

日本近代史
「いつの世にも同じことが繰返される。時代が動きはじめると、初めの頃は皆同じ思いでいるものだが、いつかは二つに分れ三つに分れて党を組んで争う。どちらに組する方が損か得かを胸算用する者さえ出て来るかと思えば、ただ徒らに感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とする者もあり、新しいものといえば頭から軽佻浮薄として軽蔑する者も出て来る。こうしてお互いに対立したり軽蔑したりしているうちに、本当に時代遅れの頑固者と新しがりやの軽薄者が生れて来るものだ。これは人間というものの持って生れた弱点であろうなあ……」(『城下の人 新編・石光真清の手記 西南戦争・日清戦争石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)

日本近代史
 それに“貧困”は、人々が怠けているから生じているのではない。むしろ私はアフリカで、人々のとてつもない粘り強さを学んだ。貧困という現実があるのは、ただ障害が多すぎるからだ。一人でも重病の子がいたり、夫が死んだりすれば、一家の貯金は吹き飛び、借金地獄に陥り、永久に貧困から抜け出せなくなる。(『ブルー・セーター 引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語』ジャクリーン・ノヴォグラッツ:北村陽子訳)
 ナスのへたを二つに切り、その切り口をいぼに当て、気長にこすります。
 小さないぼなら、これでとれるといわれています。
(『食べて治す・自分で治す大百科』長屋憲監修)
1月1日
【1959年 日本もメートルとグラムに】1921年の度量衡法改正から40年、やっと全面実施になった。これまで“100匁いくら”で買っていた牛肉が100グラム単位になって、とまどう人も多かった。
(『科学・今日は何の日』畑中忠雄)
「では、自ら死を選ぶことは悪いことではないのですね」
「善悪を言うのは、意味がない。それは人の一時の判断で、なんら確かな根拠はない。しかし、友よ。人は自ら死ぬべきではない。たとえ、それが悪いことでなくても、その人にとって生きることが死ぬことよりはるかに辛(つら)いことだとわかっていても、自ら死ぬべきではない」
「それはなぜですか? 師よ、なぜそうなのですか?」
「なぜと問うてはいけない。理由を求めてはいけない。理由はないのだ。これは決断なのだ。友よ、君は自ら死を選んではいけない」
(『老師と少年南直哉〈みなみ・じきさい〉)
 ひとつの戦争から別の戦争へと、200万人のアメリカ人がイラクアフガニスタンの戦争に派遣された。そして帰還したいま、その大半の者は、自分たちは精神的にも肉体的にも健康だと述べる。彼らは前へと進む。彼らの戦争は遠ざかっていく。戦争体験などものともしない者もいる。しかしその一方で、戦争から逃れられない者もいる。調査によれば、200万人の帰還兵のうち20パーセントから30パーセントにあたる人々が、心的外傷後ストレス(PTSD)――ある種の恐怖を味わうことで誘発される背音信的な障害――や、外傷性脳損傷(TBI)――外部から強烈な衝撃を与えられた脳が頭蓋の内側とぶつかり、心理的な障害を引き起こす――を負っている。気鬱、不安、悪夢、記憶障害、人格変化、自殺願望。どの戦争にも必ず「戦争の後」があり、イラクとアフガニスタンの戦争にも戦争の後がある。それが生み出したのは、精神的な傷害を負った50万人の元兵士だった。(『帰還兵はなぜ自殺するのか』デイヴィッド・フィンケル:古屋美登里訳)
第3章 「転職・失業」でもらえるお金
 雇用保険制度
 失業給付の「基本手当」
 所得税の還付
 教育訓練給付金
 公共職業訓練
 技能習得手当・寄宿手当
 求職者支援制度
 各種延長給付制度
 就業手当
 再就職手当
 常用就職支度手当
 高年齢雇用継続基本給付金
 高年齢再就職給付金
 広域求職活動費
 U・J・Iターン奨励金
 職人育成支援
 自治体の資格取得講座
 起業支援
(『知らないと損をする 国からもらえるお金の本』井戸美枝〈いど・みえ〉)
 攻守にわたる幅広い働きをこなす腸には、他の臓器にはない際立った特徴がある。
「実は体外である」ということだ。消化管は、文字どおり「中空のパイプ」である。【ちくわ】を思い浮かべていただければよくわかるように、腸は「内側を向いた体表」」であり、おなかの中に広がる“外界”なのである。
(『からだの中の外界 腸のふしぎ』上野川修一)
 ガスレンジの汚れはビールでひと拭き ガスレンジまわりのこびりついた汚れには、飲み残しのビールが重宝します。さらし布に残ったビールを含ませて拭けば、汚れがサラッときれいになります。多少ビールの臭いが残ることもありますが、10分もすれば消えてなくなりますのでご安心を!(『おばあちゃんの知恵袋大事典』和の暮らし研究会)
 なぜヒバリなのかといえば、「すかいらーく」の前身の「(有)ことぶき食品」の創業地が東京都西東京市の「ひばりが丘団地」だったからだ。そこでファミリーレストランを出店するにあたり、店名を「skylark(スカイラーク)」とした。
 初めはカタカナだったが、イメージが堅いということで、ひらがなの「すかいらーく」に改められた。
(『思わず話したくなる社名&商品名の謎 なぜか気になる社名・商品名の由来760』田中ひろみ)
 大宝律令のころは「日本」と書いて「やまと」とか「ひのもと」と読んでいましたが、奈良時代になると漢字の知識が広がり、訓ではなく音読みするようになりました。「にほむ」と発音していたようです。
 これが時代が下って、室町時代になると、東国の発音で読まれるようになり、「にほん」あるいは「にっぽん」となったのです。
(『つい誰かに話したくなる雑学の本』日本社)
 この超巨大地震では、三陸沖から茨城沖にかけての日本海溝沿いで、およそ500km×200kmの領域が平均10~20mもずれました。政府・地震調査委員会の長期評価では、このような巨大地震は想定されていませんでした。しかし、ボーリングなどによる津波堆積(たいせき)物の調査から、仙台平野や福島のかなり内陸まで、複数回の津波が到達した痕跡が1990年にはすでに明らかになっていました。したがって、地震後に言われた「想定外」というこでは、けっしてなかったのです。(『地震前兆現象を科学する 』織原義明、長尾年恭)
 とにもかくにも、謝罪外交は屈辱の極(きわ)みでした。若干(じゃっかん)の例を挙げてみましょう。古くは、「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言した藤尾正行〈ふじお・まさゆき〉文部大臣は、ただちに罷免(ひめん)されました。奥野誠亮〈おくの・せいすけ〉国土庁長官は、国会で「日本に侵略の意図はなかった」と答弁したため、辞任に追い込まれました。最近では、「南京大虐殺はでっちあげ」と、事実を事実のとおりに表明した永野茂門〈ながの・しげと〉法務大臣が職を辞するに至りました。
 念を押して申しますが、これらの発言には、客観的な歴史認識として、いささかの間違いもないのです。すべて正当は観察であり、訂正の必要はありません。にもかかわらず、新聞とテレビは、向こう側の言い分だけがもっともであると肩を持ちました。
 そのため政府は慌(あわ)てふためいて大臣の首を差し出し、相手側のご機嫌を伺って膝を屈め、身を屈し、両手を突いて平伏しました。
 現在、こういう状況にあるわが国は、果たして真正(しんせい)の独立国家と言えるでしょうか。他国の言いなりになる国は、真っ当な独立国家ではなく、従属国家と規定されなければなりません。この卑屈な上目遣いのご機嫌伺いは恥辱の極みです。
(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉)
菅●実際スチールバイクは完成車でほぼ9kg台。ハイエンドカーボンバイクより2kg以上重い。それでも走りの軽さがありますよね。
雷太●全体での粘りとかしなりが軽さを出すのだと思う。ペダリングのリズムに合ったときの伸びだね。
(『クロモリロードバイクの本』ライダースクラブ編集部編)
「使えるカラダ」「美しいカラダ」を育むためには、骨格を正しく組み上げたカラダが、まずは求められます。
 では、「軸」、つまりは骨組みの形成が整っていない状態でウェイトトレーニングを行い、筋力ばかりをアップさせるとどうなるでしょうか。軸ができていないと、その筋力を骨格で支え切れずに、自分のカラダを壊すことになってしまいます。これが、スポーツ障害の正体なんです。
(『体脂肪を燃やす体幹トレーニングで究極のカラダを手に入れる』廣戸聡一〈ひろと・そういち〉指導)

体幹
 大塩平八郎が蜂起前に蔵書を売り払い、窮民に金一朱ずつの施(ほどこ)しを行ったことは、江戸でもよく知られていた。
「大塩が あまたの本を 売り払い これぞまことの 無ほんなりけり」
「ちょっと出て 颯(さ)っと引きたる 大塩が またも来るやと 跡部騒動」
 橋本町の願人坊主が一文(もん)で売って歩く木版刷りの紙札(かみふだ)にも、大塩平八郎の反乱に関する落首(らくしゅ)が度々載せられた。大塩平八郎の人気は、日々困窮する江戸市中でも高まる一方で、平八郎を題材にした落首や替え唄の刷り物は格別によく売れた。
(『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉)
 なぜ真ん中を読むか。時間が足りずに雑に作って出している本は、真ん中あたりに誤植が多い。
 それから、自分が知っている分野の固有名詞がでたらめな場合もダメ。そんな本を出している出版社は、いい加減な本を作る傾向があるから、警戒した方がいいでしょう。
(『「知的野蛮人」になるための本棚佐藤優
 キリシタンに対する火あぶりの刑は、1本の太柱に手足を後ろで縛りつけ、周囲に薪を積んで、初めは遠火にてあぶり、次第に薪を受刑者の縛られている柱へ寄せていく。後ろ手で両足に縛りつけた藁縄(わらなわ)は1本だけで、それも緩(ゆる)く、背後には薪を積まず、いつでも逃げ出せるように退路を確保してある。燃えさかる灼熱(しゃくねつ)の苦痛に逃げ出せば、それは棄教したことと見なされ、そこで刑の執行は取りやめられる。刑を受ける者にとっては何より殉教への意志が試されることとなっていた。(『出星前夜飯嶋和一
「人々は至るところで、自分のナイフとフォークを使って無意識のうちに食卓で自殺行為を行なっている。このようにしてほとんどの人は、不適切な食生活によってもたらされる病気で死んでいくのだ」セネカ(『フィット・フォー・ライフ 健康長寿には「不滅の原則」があった!』ハーヴィー・ダイアモンド、マリリン・ダイアモンド:松田麻美子訳)
 死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。(『にぎやかな天地』宮本輝)
 シゼンのなかにジネンをみなくなったとき、そして自分たちの帰りたい「祈り」の世界をみなくなったとき、自然と人間の関係は変容した。この変容が、人間がキツネにだまされない時代をつくりだしたのではないかというのが、6番目の節である。(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節〈うちやま・たかし〉)
 たとえば、ものがないことを表す記号である0を考えてみよう。ゼロの概念の一部は、紀元前300年頃にバビロニアで誕生した。完全な形になったのは、それから1000年後、インドでその概念と無を表す記号とが結びつけられたときだった。さらに400年経ち、この記号はヨーロッパに伝わったが、はじめのうちは危険な概念として遠ざけられていた。17世紀になると広く受け入れられ、現在では、使われているあらゆる数を定義する上で欠かせなくなっている。(『「無」の科学』ジェレミー・ウェッブ:水谷淳訳)
 今日になってみれば、プラトンのいうことは大まちがいである。アリストテレスが正しく指摘しているように、われわれの左右両腕は、生まれつき同じでは【ない】のである。大多数の人が右利きだというのは、人類の遺伝的傾向であって、信頼するに足る歴史によるかぎり、昔からそうなのである。左利きのほうが普通だという社会は、文化人類学者にもまだ知られていない。少数の部族についてさえ、そのようなことは知られていない。エスキモーにしても、アメリカ・インディアンにしても、マオリ人にしても、アフリカ人にしても、みな右利きである。(『自然界における左と右』マーティン・ガードナー:坪井忠二、小島弘、藤井昭彦訳)
 要するに、ひとことでいえば、それらの人々が「信じる」ため、「皆殺しにする」ために行ったことを、理解しようと試みたのである。(『ナチスの知識人部隊』クリスティアン・アングラオ:吉田春美訳)

ナチス
 私としては、しかし、この映画がベトナム戦争の現象論的描写には成功しても、その思想的核心に迫ることに失敗した根本的な理由は別にあり、しかも、その理由もまた、コンラッドの『闇の奥』から必然的に移ってきたウイルスに『地獄の黙示録』が冒されたからだと考える。(『『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷藤永茂
 日本では、コメは神事で使われることが多い。コメにはイネの霊が籠(こ)められたものという意味で特別なときに「コメ」と呼ばれるようになったと民俗学者は分析する。「コモル」という言葉は古くは神聖で、籠もることは生命の再生の準備段階という大切な意味があったという。朝鮮語の酒の醸造はコメン(コム)、朝鮮祖先神の熊はコム、高麗をコマ、日本での醸造は「醸(かも)す(カモス)」、お供え物は「供米(クマ)」、そして神(カミ)も同系統の言葉との説がある。中世以後の日本でコメと呼ばれるのは、朝鮮半島から稲作と酒文化が流入したことに関係する可能性がある。(『おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで』井上直人)

雑穀
「(父親の葬儀で)香典はいくら戴いたか」と嵩(たかし/実弟)に聞かれたので「先生から100万円も戴いた。嵩からもよくお礼を申し上げてくれないか」といいますと、嵩はしばらく黙り込んでいました。その顔には、無知な私に対する哀れみとも同情とも取れる表情が浮かんでいました(中略)
 それから十余年の歳月が流れ、弟が池田の数々の謗法と反社会的体質を告発すべく立ち上がった頃、ようやくあの時の複雑な表情の意味を、私に説明してくれました。香典の額は、弟が把握しているだけでも、7000~8000万円にもなるとのことでした。
(『池田大作と原島家 池田大作を会長にした原島宏治とその家族』原島昭)

創価学会
 古代語の言葉で「イ」は生きる、勢い、稲妻といって生命エネルギーの勢いを表す言葉。
「ネ」は根っこ、根源を表す言葉、「イ」と「ネ」をつなげた「イネ」は命の根源、生きるエネルギーの根源という意味になる。
「イネ」は米だけでなく穀物を含めて畑に実る穀物の姿を表す言葉だった。
(『雑穀の書 毎日がおいしい、きもちいい 雑穀のすべてがわかる』大谷ゆみこ)

雑穀
そばの実ごはんの炊き方

 米に対して2~3割くらいのそばの実を加えて炊くと、そばの風味がついたごはんができます。そのままはもちろん、とろろをかけたり、雑炊や汁かけにしても楽しめます。

 材料-2人分
 そばの実-大さじ4
 米-1合(180ml)
 酒-大さじ1
 水-290ml

作り方
 そばの実はさっと水洗いし、水(分量外)に30分ほどつけてあくを抜く。米はといでざるにあげておく。炊飯器の内釜に米と、そばの実は水けをきって加え、酒と分量の水を注いでひと混ぜし、普通に炊く。炊き上がったら5分ほど蒸らし、上下を返すようにしてそばの実を混ぜ込む。

(『雑穀美食』植木もも子)

雑穀
 漢字で「米」と書くと、語源的には穀物の粒のことを指しており、あわもきび、ひえも、すべてを米と呼びました(『角川新字源』角川書店刊)。
 ところが、いつのまにか、「米」の粒だけをいうようになってしまったのです。つまり、日本人にとって、米は、それほど重要な食物だったのです。
(『米の力 雑穀の力』永山久夫)

雑穀
 歯はその動物が食べるべきものを食べやすい構造に設計されています。
 肉食動物は獲物を殺し、肉をひきちぎるために犬歯という尖った歯を持ち、草食動物は草や穀物を噛み切るために前歯の門歯があり、すりつぶすためにほとんどが臼歯を持ちます。
 では人間はどうでしょうか?
 人間は肉も草も食べる雑食ですが、その割合は【穀物をすりつぶす臼歯が62.5%、植物を噛み切る門歯が25%、肉を噛みちぎる犬歯が12.5%。】
 つまり、このバランスで食べるべきだというのが、長い歴史の中ででき上がった自然のルールなのです。
(『好きなものを食っても呑んでも一生太らず健康でいられる寝かせ玄米生活』荻野芳隆)

玄米
 これまで、相手と対峙したときの心理テクニックをいくつかご紹介しましたが、実は対峙するその前、相手に近づくときから心理的なかけひきははじまっています。そのテクニックが【「相手のどちら側から近づくか」】です。
 人間にはどんなときでも無意識に心臓を守ろうとする心理が働いています。そのため、心臓のある左側に立たれると人は無意識に圧迫感を感じてしまうのです。まったく面識のない初対面の場合はなおさらです。それほど親しい間柄でないうちは、【相手の右側から近寄る】ことを心がけるとよいでしょう。
(『他人を支配する黒すぎる心理術』)
 体温計を振る動作はラケットを振る回内運動に似ている(『基礎からのバドミントン』中田稔監修)
 フェアバリューに対して割高になれば売られるというのは株式市場の話であって、為替の場合、そもそもフェアバリューという概念自体がありません。(『FXプロの定石 仕掛けから、利乗せ、ナンピン、手仕舞いまで』川合美智子)
 那覇市内に「久米」(クニンダー)と呼ばれる地域がある。いまでこそ那覇と陸続きになっているが、18世紀ごろまでは「浮島」と呼ばれる島であった。
 その久米は「三十六姓」と呼ばれる中国帰化人の子孫たちの居住区として、一種の租界を形成していたといえる。そして琉球は、この久米の中国帰化人子孫たちによって、間接支配されてきたのである。
 ここでは19世紀になっても中国語が話されており、彼らは日清戦争の終了まで、沖縄を中国圏に留めようと画策していた。そして現在も県民の3000人以上が彼らの子孫を自認しており、約10億円の共有預金と会館を有し、いまなお団結は強い。
 仲井眞知事、稲嶺惠一前知事はいずれも、この久米三十六姓の子孫である。知事選に当たっては、稲嶺氏は中国帰化人「毛家」の子孫であることを、仲井眞氏は「蔡家」の子孫であることを、リーフレットで誇っていた。
(『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)
表18 沖縄の租税特別措置(減免税)などの例

揮発油税:1リットルあたり5.5円の減税
酒税:ビール1缶350ミリリットルあたり15.4円の減税
   泡盛1升当(ママ)たり126円の減税
航空機燃料税:ボーイング777満タン180キロリットルあたり162万円の減税
石油石炭税:免税(納税額ゼロ)
高速道路:沖縄特別割引制度で3割安
NHK受信料:年額1740円の割引(衛生契約)

(『報道されない沖縄基地問題の真実 マスコミが報じない沖縄の“本音”篠原章監修)
 オーウェルが、1949年に存在を予言した「ビッグ・ブラザー」は、彼の設定した『一九八四年』よりやや遅れて、「アサヒ」に姿を変え日本に現れた。
 在ったことが無かったことに、無かったことが在ったことにされ、平然と造られた嘘を流布させるデマゴギーが、良心派のような温和な表情で、実は暴力的な言葉による卑怯なテロを行い続ける。全体主義の支配者は暴力と洗脳でしか、人々を統治、管理できないからだ。
(『反日マスコミの真実2 メディアの情報支配から逃れる方法西村幸祐編)

朝日新聞
 これらの国では共産党独裁はそれぞれ人類史に例を見ない自国民に対する大量虐殺を行ったことが後に明らかになっているが、朝日新聞紙面ではスターリンは「子供ずきなおじさん」毛沢東の文革は「近代化への模索」と報じられ、また、ポルポト軍は「アジア的な優しさに溢れ」ていて金正日の北朝鮮は「ばく進する馬」と形容されていた。(山際澄夫)『「反日マスコミ」の真実 日本を中国、韓国の奴隷にするのか?!西村幸祐
 朝日の記者がサンゴに落書きをつけて、その落書きを見つけたと捏造報道したときには、社長が辞めたけれども、植村記者の捏造は自分が特ダネを取るためにウソをついただけではなくて、義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いたということだから、悪質の度合いも2倍だと思う。彼らの意図的捏造報道により日韓関係が、そして最近では日米関係までもがいかに悪くなったか。その責任は重大だ。(『よくわかる慰安婦問題西岡力〈にしおか・つとむ〉)

日本近代史朝日新聞
「帰省」には「省(かえり)みる」という行為が含まれている。故郷に帰って、父母を省みる。親の安否をうかがう。それが「帰省」の本来の意味である。単に故郷に帰るだけでは「帰省」とはいえないのである。(『親を切ると書いてなぜ「親切」 二字漢字の謎を解く』北嶋廣敏〈きたじま・ひろとし〉)
 1930年代に少年期を過ごした日本人にとって、世界は今とはまったく異なるさまに映じていた。狭い日本列島には閉塞感はなく、日本は台湾と朝鮮の支配者であり、1931年には満州の広大な空間と鉱物物資をわがものとしていた。そして1937年以降は中国沿岸全域が日本に押さえこまれていた。
 強い国が弱い国を併合し、なおかつ何の責めも受けないのが普通であった時代のことである。こうした行為はよこしまな不道徳な行為であるとか、世界が植民地時代から移り変わりつつあるなどと考える日本人はほとんどいなかった。私自身、日本が世界を――少なくともアジアを救済しているという誇りを抱きつつ大きくなった。
(『チベット偽装の十年』木村肥佐生〈きむら・ひさお〉:スコット・ベリー編:三浦順子〈みうら・じゅんこ〉訳)

日本近代史チベット
「この世から虚偽はなくならず、虚偽は虚偽でありつづけることだろう」(『狂気のモザイクロバート・ラドラム:山本光伸訳)
 日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。戸塚は次のように自慢げに書いている(『戦争と性』第25号2006年5月)。
〈筆者は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した。〉
 この規定が国際社会での反日謀略のスタートだった。日本人が国連まで行って、事実に反する自国誹謗(ひぼう)を続けるのだから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。(西岡力〈にしおか・つとむ〉)
(『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』SAPIO編集部編)
 酵素栄養学は、量子力学(古典力学に代わる新しい運動法則から見出された力学)の範疇(はんちゅう)で、目に見えないクォーク(もっとも基本的な素粒子)の世界であり、最先端科学なのです。
 そんなつかみどころのない酵素ですが、これだけは断言できます。
 人間の寿命は「酵素の内在量に左右される」ということです。体内の酵素の多い少ないによって、病気になるかならないか、そして寿命は、長くも短くもなります。
(『「酵素」の謎 なぜ病気を防ぎ、寿命を延ばすのか』鶴見隆史〈つるみ・たかふみ〉)