今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。そのおかげで、根本的な法の少なくとも一部は、文句のつけようのないものとなり、結果として社会の安定が保証される。
 したがって宗教は、【超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度】と定義できる。
(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之訳)
 アメリカは日本に対して外貨(すなわち円)で交易しているわけではない。ここが国際決済通貨=ドルをかかえた国とそれ以外の国との基本的な差である。アメリカには対外貿易などないのである。
 また、アメリカが受け取る外国からの投資についても、これはアメリカの国としての統計上は対外債務として計上されるが、その大半は利子など払う必要もなく、たとえ払ったとしても、国内の債権者に払うのと同じドル建てであり、「対外」債務とはいいがたい。
(『ボーダレス・ワールド』大前研一:田口統吾訳)
 こゝから所謂志士「青年将校」の出現となり、この青年将校を中心とした国家改造運動が日本の軍部をファッショ独裁政治へと押し流して行く力の源泉となつたのであるがこの青年将校の思想内容には二つの面があることを注意する必要がある。その一つは建軍の本義と称せられる天皇の軍隊たる立場で、国体への全面的信仰から発生する共産主義への反抗であり、今一つは小市民層及貧農の生活を護る立場から出現した反資本主義的立場である。(『大東亜戦争とスターリン 戦争と共産主義』三田村武夫)

日本近代史
 沈黙には多くの性質がある。音と音の間の沈黙、ふたつの調べの間の沈黙があり、また思考と思考の間隙で広がっていく沈黙がある。あるいは田舎の夕暮れに訪れるあの不思議な静寂のうちに、四面に広がっていく沈黙がある。また、どこかの犬の遠吠えや急な斜面を登るときの汽車の汽笛の背後にある沈黙、家中の者がすべて眠りについたときに家の中に生まれる沈黙、さらには真夜中にただひとり目覚め、谷間でほうほうと鳴くふくろうの声を耳にしたときの異様に深々と強まりゆく沈黙。さらにはふくろうの仲間が応え返す前の沈黙がある。あるいは古い廃屋のまわりに漂う沈黙があり、山の持つ沈黙がある。さらには互いに同じものを見、おなじことを感じ、同じことをしたふたりの間に生まれる沈黙がある。(『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 実は、最古の宗教行為の存在を示唆するネアンデルタール人の墓や礼拝所は、最古の人類文化の存在を示唆する品々(陶器、複数の部品を組み立てて作った道具、原始的な生活雑貨など)と同じ時代に作られたことが分かっている。この事実は、ヒト科の動物が人間らしい振る舞いをはじめた途端に、存在の深遠な謎について思いをめぐらせたり、実存的な不安に苦しんだりするようになり、物語を作ることで解決を見出そうとするようになったことを意味している。彼らが作った物語のことを、われわれは今日、「神話」と読んでいる。(『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンスアンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳)

科学と宗教脳科学認知科学脳神経科学
 高砂族の首狩りは、つぎの要求から行なわれた。
 1.武勇を示すため……結婚の条件を得るため、または男性の名誉のため。
 2.成年男子の資格を得るため……成年にならなければ個人としての人格が認められない。
 3.身の潔白を示すとき……無実の罪をはらすため。
 4.復讐のため
 5.怨恨のため
 6.他種族、他部落との利害関係
 7.神霊を慰めるため……悪疫、災害のあった時、または豊作、豊猟をまねくため。
(『台湾 高砂族の音楽』黒沢隆朝)

台湾
 中庸とは、対峙する二つの理論や立場の中間の平坦な盆地に自分を安らわせることではなく、いかなる抽象的概念的な極端論にも与(くみ)せず、ひたすらに真実を求めて、自ら正道を切り開くことなのである。(『「自分で考える」ということ澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉)
 諸君もわかっていることと思うが、幸せというのは、非常に脆(もろ)いものだ。なぜなら、不幸がきちんとした基盤を持った確固たる具体的事実であるのに比べて、幸福は基本的には根拠も実態もない、「幸福感」という頼りのない気分であるに過ぎないからだ。(『「ふへ」の国から ことばの解体新書小田嶋隆
 歴史を考えるとき、モンゴルのように、それまで周縁的としか思われてこなかったもの、むしろ排除されてきたものを軸として、歴史の見かたをガラリと転回させることができる。『世界史の誕生』を読み、私はそのことに感動するのです。史料の徹底的な探索をもとに、だれも思いもしなかった方向へ歴史イメージをかえてしまう。地道な学問的努力と、史的想像力の切っ先のするどさに心を打たれるのです。(『〈狐〉が選んだ入門書山村修
 少年はうす汚れていた。衣服は破れ、洗われておらず、そして彼の顔は攻撃的なほど鋭く、もの言いたげだった。誰も彼に笛の吹き方を教えなかったし、また誰もそうしようとはしなかった。彼は自分の力でそれを覚えたのである。そしてその映画音楽がころがり出たとき、その調べの純粋さは途方もないものだった。不思議にも、精神はその純粋さの上に浮かんだ。数歩進んでから、精神は木立を抜け、家々の上を通って海へと向かい続けた。その運動は、時間と空間の中にではなく、純粋さの中にあった。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 神は、教会の中に、それともわれわれの心の中に見出されるべきものだろうか? 慰められようとする衝動は幻想を生むもとになる。教会、寺院、そしてモスクを創り上げるのは、この衝動なのだ。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 われわれの存在のあらゆるレベルに逃避がある。あなたは仕事によって、ある者は飲酒によって、ある者は宗教的儀式によって、ある者は知識によって、ある者は神によって、そしてさらにある者は娯楽に耽ることによって逃避する。あらゆる逃避は同じであり、優れた逃避も劣った逃避もない。神と飲酒は、それらがあるがままのわれわれからの逃避であるかぎり、同じレベルにある。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 改宗とは、ある信念またはドグマから別のそれへの、ある儀式からより満足のいくそれへの変更であって、それは真実へのドアを開くものではない。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1J・クリシュナムルティ:大野純一訳)