芸術家が絵画や工芸品の中に潜ませたシンボルを探しだし、それらのつながりを解読することができたとき、その作品の背後に隠されている意味と寓意の豊かな世界が眼前に開けてくる。なぜなら、シンボリズムの普遍的な力に導かれ、芸術家も鑑賞者も、創造媒体の物質的制約や文化的境界線を踏み越え、深く人間精神の根源に辿り着くことができるからである。(『シンボルの謎を解く』クレア・ギブソン)
 真実を追求する時が来た。
 事情聴取や取り調べにおけるキネシクス分析のプロセスは、“ベースライン”を見きわめることから始まる。ベースラインとは、分析対象が事実を語っているときに示すボディランゲージの目録のようなものだ。両手をどの位置に置くか、答えるとき視線をどちらに向けるか、その方角をどの程度の頻度で見るか、唾を呑みこんだり咳払いをしたりといったことを繰り返すか、“えーと”といった間投詞を頻繁に使うか、爪先で床を叩いたりするか、背を丸めるか、身を乗り出すようにするか、答える前にためらうか。
(『ロードサイド・クロスジェフリー・ディーヴァー池田真紀子訳)
 ディオニュシオスが死の床にあるとき、臣下たちが彼に、以前の借金の返済を求めた。すべて貨幣による借金だった。するとディオニュシオスは、一枚のドラクマ硬貨を、これは2ドラクマであると刻印しなおすことで、硬貨の価値を半分にした。この細工によって、彼は自分の手元にあるすべての貨幣の額面価値を取り戻し、残り半分で借金を支払うことができた。(『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン:松本剛史訳)

マネー
 古代ウパニシャッドには、ヴェーダの祭式主義がなお名残(なご)りをとどめているが、はっきりとその表面に浮かび出てくるのは、祭式主義を脱皮して、宇宙の根源や人間の本質を主知主義的に究めようとする態度である。ウパニシャッドを転回点として、インド思想史上に新しい時代が開けてくる。表現はまだ理論的ではなく、神話的・直観的であるが、後代に学説化されるさまざまな思想の芽生えがそこには見られ、そして、宇宙原理ブラフマンと個体原理アートマンとの合一説に至って、哲学的な深まりは極致に達する。インド人の人生観に強い影響力をもつ(ごう)・輪廻(りんね)の思想もここにはじめて確立される。(「インド思想の潮流」長尾雅人、服部正明)
(『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集)

バラモンヒンドゥー教
情報の環(わ)が、生命の単位となる」(生物物理学者ヴェルナー・レーヴェンシュタイン)
(『インフォメーション 情報技術の人類史ジェイムズ・グリック楡井浩一訳)
 もし暗殺が決行され、木村が東條とともに死んでも、牛島も間違いなく逮捕されて死刑になっていただろう。だから牛島は木村に仕事を押しつけたわけではない。決行するには若い木村の方が成功率が高くなると考えていたのだ。天覧試合時にも木村だけにきつい思いをさせることは絶対になかった牛島だ。全国民を守るため弟子の木村もろとも玉砕の覚悟だったのだ。
 勝負師牛島は、国の大事に、絶対に成功させなければならない計画に、自身が最も信頼する超高性能の“最終兵器”木村政彦を選んだのだ。もし内閣総辞職があと数日遅れれば、木村が東條暗殺を決行し、人間離れした身体能力と精神力で間違いなくそれを成功させたであろう。日本史は大きく塗り替っていたに違いない。
(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也
 アジアの信仰では、謙遜、慈善、誠実に力点が置かれ、それは徳を実現するのに「障壁」となる罪をかわし、克服するために必要な道具であると教えられる。たとえばブッダは、貪欲や憎悪、惑いといったものを正しい生き方をする上での障害物であるととれ、「三つの毒」と呼んだ。
 一方アブラハムの息子たちは、罪を媒介物ととらえた。もっと限定的にいえば、ヘンリー・フェアリーが言うところの「構造としての罪」はキリスト教だけの考え方で、キリスト教ほど罪を実体化し、潤色した宗教は世界ではほかに例がない。

(『強欲の宗教史』フィリス・A・ティックル:屋代通子訳)
 簡単に言うと、一見したところ人間は、おのれの存在を創り出し、おのれ自身を基礎づける自由な存在のように見えるが、他方では制約や限定に従っているもののようにも見える。それらの全体が、人間が生まれ、地上に存在する者となって以来、彼に対して与えられているものである。私はそれを人間の条件と呼ぶ。彼の自由、あるいは自分は自由であるという感情・錯覚・不安もまた同様に人間の条件の部分になっている。なぜならこのような条件においても彼は真の人間だからである。そして私は、人間が人間の条件を引き受けなくてはならない必然性に対して、儀礼がどのような関係を持つことができるかを探求したいと考える。その仕事は、人間の条件となっているあらゆるものから、できる限り解放されるように努めること、あるいはその反対に、そこに閉じこもることにおいて成立することができよう。(『儀礼 タブー・呪術・聖なるものJ・カズヌーヴ:宇波彰〈うなみ・あきら〉訳)
 釈尊の宗教の中に潜在、あるいは顕在する秘密行の要素は、従来決して看過されていただけではない。
『中阿含』『超阿含』並びに『四分律』等によると、仏は最初、弟子たちに対し、世俗の呪術密法を行なうことを厳禁し、もしそれを犯すものは波逸提を犯すと説き、さらにパーリ経典の小品小事篇第五には、この世俗の密法をもって「畜生の学」とまで弾訶せられた事実が早くから学者の指摘するところとなっている(拇尾祥雲『秘密仏教史』、昭和8年、高野山大学出版部、6頁)。
 しかし、この禁は【年と共に】ゆるみ、かの羅什訳『十誦律』第四十六(大正蔵、二十三巻、337頁以下)等に説くごとく、仏道修行の妨害になるような悪呪密法はもちろんこれを禁じたけれども、治毒呪とか、治歯呪とかいうごとき、一身を守護し、みずから慰安を得るがごとき善呪は、それを誦持するも妨げなしとして、ついにそれを黙許するにいたっている(同前、7頁)。このような理解のあと、近時、ようやく学者の注目――奈良康明氏等の――を浴びるにようなった『防護呪』の出現に触れてゆく(同前)。

(『密教成立論 阿含経典と密教金岡秀友

密教
 呪術とはシンボリズムの体系ということができる。なぜなら呪術の世界では、シンボル――すなわち、形が呪力を生み出すと考えるからである。キリスト教世界では十字形が悪魔を祓うなどの力を発揮することはよく知られているが、このほかにもさまざまな呪的シンボリズムが私たちの周りには溢れている。たとえば神域の注連縄(しめなわ)、引き出物の水引、神木に結ばれたお神籤(みくじ)、これらはみな、魂などをつなぎ止める「結び」の呪術を表わしている。古墳の壁画や石棺・埴輪(はにわ)などの装飾に使われる直弧文(ちょっこもん)も結びの呪術の一種で、古墳に葬られた人の魂を護り、悪霊(あくりょう)の立ち入りを阻止する意味があった。(『呪術・占いのすべて 「歴史に伏流する闇の系譜」を探究する!瓜生中〈うりゅう・なか〉、渋谷申博〈しぶや・のぶひろ〉)
 それから数千年(人類300万年という長い歴史からすればほんの一瞬)が経過して、人類は初めて新しい表現方法を発見した。文字の祖先である芸術だ。オーストラリアとタンザニアで発見された人類最古の洞窟絵画は、4万5000年以上前のものだ。私たちの祖先は、30万年前から石に奇妙な形を刻んだりしているが、これはそれとはまったく異なったもので、はっきりと動物や人間が描かれている。しかも、ある特定の集団、あるいは地域の限定されるものではない。今日までに、五大陸の160の国々で1000万以上の旧石器時代の絵画や印刻が発見されている。古代民俗学者エマニュエル・アナティ〔イタリア人、1930年生まれ〕は、こうした洞窟芸術の遺跡――宗教的用語を用いれば多くは「聖堂」ともいえる洞穴――を、「文字の発明以前の人類の歴史に関する最も膨大な資料」と言っている。(『人類の宗教の歴史 9大潮流の誕生・本質・将来フレデリック・ルノワール今枝由郎訳)
 アルフレードはうれしそうにいいました。「ほんとうに小さな植物もかわいらしい松ぼっくりも、せいたかのっぽの花も大きな海の波も、はるかかなたにある壮大な銀河も、みんなきみの数でできているんだよ、レオナルド」(『フィボナッチ 自然の中にかくれた数を見つけた人』ジョセフ・ダグニーズ文、ジョン・オブライエン絵)
 文明が人間の適応能力を越えて生んだもう一つのものは、情報である。
 アメリカのエール大学の図書館の蔵書は、18世紀のはじめ、およそ1000冊しかなかった。これがほぼ16年ごとに倍増している。これが今後とも同じくらいの割合で増大していくと、2040年には、蔵書は2億冊を数え、書棚は総延長6000マイル、そのカード目録室は8エーカーの広さになり、毎年新規に入ってくる1200万冊のカード作りのために6000人の司書が必要になる。
 科学論文雑誌の数も、指数関数的にふえていく。1750年には、科学論文雑誌は世界に10種類しかなかった。それが50年ごとに10倍になっていき、1830年には、約300種となった。これは1人の人間の読書可能量を越える。
 そこで、重要な論文のレジュメを集めた抜粋誌が現われた。ところがこれも50年ごとに10倍のテンポで増加し、ついに1950年には抜粋誌が300種類も出るようになってしまった。
 知識の量の増大とともに、知識の分野の細分化が起こりはじめている。(中略)
 全米科学技術者登録名簿に記載されている専門分野の内容を見ると、これがよくわかる。1945年には、900以上の専門分野が数えられている。
 こういった事実に象徴的に現われているように、現代の人間は、情報の洪水に溺れつつある。ヒトの生物的適応能力の面だけではなく、人間の精神的な適応能力の面でも、人類は文明のスピードに追いつけなくなってきているのではないだろうか。先進国での精神病患者数の増大は、この一つの現われであるように見受けられる。
(『文明の逆説 危機の時代の人間研究』立花隆)
 水俣を体験することによって、私たちがいままで知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました。(『不知火 石牟礼道子のコスモロジー石牟礼道子
 読書が人間の習慣になったのは新しい現象で、日本で読書の広がりが出てきたのは円本が出版された昭和の初め頃からでしょうから、まだ80年くらいのものではないですか。円本が出るまでは、本は異常に高かった。いずれにせよ、現代でも日常的に読書する人間は特殊な階級に属しているという自己意識を持つ必要があると思います。
 読書人口は、私の皮膚感覚ではどの国でも総人口の5パーセント程度だから、日本では、500~600万人ではないでしょうか。その人たちは学歴とか職業とか社会的地位に関係なく、共通の言語を持っている。そしてその人たちによって、世の中は変わって行くと思うのです。
(『人間の叡智佐藤優
 ルクレティウス(※紀元前99年頃-紀元前55年)は次のように提唱した。宇宙は、宇宙空間を不規則に動きまわる無数の原子で構成されており、それらが日光の中に漂うほこりのように、衝突し、つながりあい、複雑な構造を形作り、またばらばらになり、創造と破壊のプロセスを絶え間なくくりかえしている。このプロセスから逃れる道はない。夜空を見上げ、わけもなく感動し、無数の星々に驚嘆するとき、見えているのは、神の創造物でもなければ、われわれの仮の世から切り離された透明球体でもない。そこに見えているのは、人間がその一部をなす物質界、人間を構成するのと同じ元素からなる物質界である。神の基本計画も、造物主も、知性ある設計者も存在しない。われわれが属する種を含め、万物は、茫漠たる歳月を経て進化してきたのだ。進化は一定ではない。ただし生物の場合、自然選択の原理を伴う。すなわち、生存と繁殖に適した種が、少なくとも一定の期間は、存続するのだ。適していない種は短期間で滅びる。だが、われわれの種も、われわれが生きる惑星も、毎日輝く太陽も、どれも永遠に続くものではない。ただ原子のみが不滅である。(『物の本質について』)『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』スティーヴン・グリーンブラット
「この幸三」
 と書いて点を入れ、いっぺん筆にスミを含ませた。大きく深呼吸し、あとは息を止めて一気に書いた。
「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
 母が縫い物するのに使う三尺の物差し、その裏側に、こう書いたんです。われながらあっぱれなカナクギ流でね。(中略)
 そう、日本一の将棋指しになるために、私は家出したんです。時は昭和7年の2月、数えの15歳、満では13歳でした。手にした風呂敷包みの中には、昼のうち用意しておいた握りめしと、着がえの下着が何枚かだけ。ゼニは一銭も持っておらなかった。
(『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』升田幸三)
 逆命利君という言葉がある。これは、中国は漢時代の「説苑」(ぜいえん)にある「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂(い)う」という一節からきている言葉だ。これは、主君、社長、上司はもちろんのこと、友人や他人を問わず、権力者に直言して、国益や社益を誤らせずに、賢い指導者としてのイメージも正すという意味である。(『アメリカ殺しの超発想 「奴隷」日本よ、目を醒ませ! 制度疲労をすぐ正せ!霍見芳浩
 兄の異常な真剣さは、先ず自分の仕事、それから、それまで夢中になって来た陶器や画のすべてにみられる。鉄斎の六曲一双の大屏風を3時間以上ながめていたり、雪舟の「山水長巻(さんすいちょうかん)」の五十何尺とある長い絵巻の前を行ったり来たりているうちに、全く絵の中の二人の男と一緒に自分も小道を歩き、丘にのぼり、洞門のうちに休み、一緒に山水を眺める。高野山で「来迎図」を見るために、何度となく博物館に行っては。何もかも忘れて長い時間をすごす。
「錬金術師のような執念と、きびしく深さをたたえた美意識……」
 と誰かが兄を批評していたが、それは仕事に対しても勿論強く出るのだが、純粋に美だけの探求には、魔物がその上に顔を出す。
(『兄 小林秀雄との対話 人生について』高見沢潤子)

小林秀雄
 不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種をいうのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と闘い環境に打勝つという言葉もほとんど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けているところも、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは、社会改良家という大仰(おおぎょう)な不平家には大変難しい真理である。彼は、人間の本当の幸不幸の在処(ありか)を尋ねようとした事は、決してない。
(『モオツァルト・無常という事小林秀雄
東●さらに言い換えれば、これ(池田小事件酒鬼薔薇事件など)は事件の物語化ができないということです。いかなる社会でも一定数の犯罪は必ずある。それにぶつかるかどうかは、個人の視点からは偶然でしかない。だからそれを封じこめるためにセキュリティの装置がはりめぐらされる。そして他方では、その物語の不在を埋め合わせるため――この部分では大澤さんと同じロジックになるわけですが――過剰に物語的な物語、いわゆる「トラウマ」や「癒し」といった言説が流行する。社会秩序は基本的には環境管理で守って、それでも起きてしまった事故を物語化するため、別のレベルでわかりやすい言説が要請される。そういう二層構造があるような気がします。
(『自由を考える 9.11以降の現代思想』東浩紀、大澤真幸)
 アイヒマンアウシュヴィッツとマイダネック強制収容所を視察した結果、そこでの抹殺工程を考え出した人物でもあった。ただし、彼は他人が苦しむのを見て快楽を覚えるサディストではなかった。アイヒマンはほとんど事務所の中で自らの仕事に専念し、結果として数百万の人間を死に追いやったのである。一官僚として、彼は死に追いやられる人間の苦痛に対し、何の感情も想像力も有してはいなかった。(『アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録ヨッヘン・フォン・ラング編:小俣和一郎訳)
 この高い所から、このように自慢を申し上げる藤原ていという婆ちゃんは、あるいは幸せ者かも知れません。(中略)ただ今、お話ししましたことは、すべて私ごときにもできたことです。皆様方にできないはずはございますまい。勇気を持っていただきたいと思います。(『妻として母としての幸せ藤原てい

藤原正彦
 なるほど現代商品経済社会もまた、多くの片仮名語や新造漢語を生んだ。それもまた人類史上の文化的価値にはちがいない。しかしその一方で、理想の人間の共同を語る言葉は次第に痩せこけてきた。その衰弱した現代日本語を背景に、神戸のなんともやりきれない事件は起こっている。人間の共同社会の理想を明るみに出し、未来のあるべき仕事と生活のスタイルを思い描き、その希望を語る生き生きとした言葉を我々の周囲に満ちあふれさせることができれば、確実に、神戸のような事件は姿を消していく。しかし、言葉の再建に失敗するなら、神戸のような、否それ以上の事件が陸続するにちがいない。
(『逆耳の言 日本とはどういう国か石川九楊

山下京子
 新しい媒体は必ず、人間の思考の質を変容させる。長い目で見れば、歴史とは、情報がみずからの本質に目覚めていく物語だと言える。(『インフォメーション 情報技術の人類史ジェイムズ・グリック楡井浩一訳)
 私たちがふだん目にするマクロの世界の物質に光を当てても、物質の質量が十分に大きいので、その位置が変わってしまうようなことはありません。しかしミクロの世界の小さな物質の場合には、たとえばその物質が「どこにいるのか」を観測しようとして光を当てると、当てた光のエネルギーによってミクロの物質が動いてしまうために、もともといた位置がわからなくなったり、物質の運動方向が変わってしまうといったことが起こります。つまりミクロの世界を「見る」場合には、その対象物を「見る前の状態のまま」で見ることはできないのです。
(『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!佐藤勝彦監修)
「合理的な投資・リスク判断」とは、目先の相場変動が上がるのか下がるのかを予想できるようになることではない。合理的な判断とは、不必要なリスクを採らず、採るに値するリスクを選ぶ目を持つことである。(『マネーの動きで読み解く外国為替の実際』国際通貨研究所編)

為替
安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』でも書きましたが、昔は生活空間の中で「危ない地域」と「危なくない地域」が明確に分かれていました。「危ない地域」がいくらあっても自分が行かなければ怖くなかった。そもそも「治安が悪い」というのは警察の手が届かない地域がどれだけあるかということです。日本はそうした地域が少なかったから非常に治安はよかったのですが、むろん、警察の手の届かない場所があってもそんな場所へ行かなければ一般人には関係がないわけです。
 それでは犯罪が減少傾向にある中で、なぜ体感不安を感じるようになったのか? それは「危ない地域」と「危なくない地域」、すなわち、繁華街と住宅街、昼と夜といった境界がなくなったからだと思います。たとえば、最近話題になっているコンビニエンスストアの終夜営業規制、これは非常に大きいのです。治安のためにはむしろコンビニエンスストアは開いていたほうがいいという意見がありますが、夜に外を出歩く人が減れば治安は格段によくなります。治安をよくするための最強の手段は夜間外出禁止令であることを思い出してほしい。警察の取締りが、格段に楽になります。夜歩いている人は、皆不審人物ですから。(河合幹雄
(『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編)