近代以降の世界において、危険なものが2つある。金銭と国家だ。いずれも強大な力をもっている。したがって、余程注意深く接しないと、人間は金銭や国家を神のような崇拝の対象としてしまう。(『インテリジェンス人生相談 個人編佐藤優
 権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争である。(『権利のための闘争』イェーリング:村上淳一訳)
 要するに、服装の乱れは心の乱れ、いさぎよく自分の運命と対決せんとするときの男は服装を厳正にするよう心がけたのであるが、逆に見れば、服装の厳正であることが、心理に作用して、いさぎよい行動を生むことにもなろう。(『男の衣裳箪笥』古波蔵保好)
 貴族・武家などごく少数をのぞき、庶民が寺と寺檀関係をもつようになったのは、1635年以降であり、庶民が墓を作るようになるのも1700年頃からのことである。(『庶民信仰の幻想』圭室文雄、宮田登)

信仰
 マルタ遠征(1854年)の指揮官は、イギリスの英雄と謳われたラグラン卿で、ウェリントン公の軍事秘書を務めていた。ラグランは勇敢で、ワーテルローで外科医が麻酔なしで彼の片腕を切り落としたとき、「わが片腕を持ってきてくれ。妻がくれた指輪が指にはまっているはずだ」とだけ言ったという。(『戦争報道の内幕 隠された真実』フィリップ・ナイトリー)
 草が目覚めて
 夜が涙を流していたと
 確信した
(セルバン-ジョルジュ・パトリシウ 14才 ルーマニア)

(『地球歳時記'90 世界こども「ハイク」コンテスト'90』日航財団編)
 ところが、アジア太平洋戦争という大消耗戦において、国家財政はさらに逼迫(ひっぱく)する。政府はこの苦境を乗り切るために、郵貯簡保に加えて、次なる預金部への強制預入制度の導入に踏み切る。それが「厚生年金」である。(『「お金」崩壊青木秀和
 古代ギリシアから今日に到るまで、多くの人々によって唱えられてきた死をめぐる箴言(しんげん)がある。“人は自分の死を体験できない。体験できるのは他者の死だけである”。この箴言が妥当視されてきたからこそ、古代の宗教祭典において人々は動物や時には人間の惨殺を凝視することで自身の死を疑似的に体験し、中世社会では「メメント・モリ(死を想え)」が時代的な標語となった。(『死は共鳴する 脳死・臓器移植の深みへ』小松美彦)
鎌倉時代の)人口を抑制した要因として考えられるのは戦争と飢饉である。1181~82年(源頼朝の挙兵養和の飢饉)、1231年(寛喜の飢饉)、1258~59年(正嘉の飢饉)と短い期間に集中して起きた3つの大きな飢饉により、この期間の死亡率は上昇したと推測される。(『図説 人口で見る日本史』鬼頭宏)
 ジェロニモについて行きたければついけ行けばいいし、いきたくなければ、行かなくていい。一人ひとりに権限があるので、それぞれがやりたいようにする。「するべきだ」という言葉はアパッチ族の言語に存在しない。「強制する」という概念は、彼らには理解しがたいものだ。(『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つオリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム:糸井恵訳)

インディアン
 彼らは相場観に基づいたトレーディングはけっして行なわない。
「マーケットで成功するには、市場に身を任せることです」
 身を任せるということは、ある意味では放棄することです。それは、マーケットに対する意見、判断、そして結論をすべて放棄することです。これは大変難しいことなのです。
(『ワイルダーのアダムセオリー 未来の値動きがわかる究極の再帰理論』J・ウエルズ・ワイルダー・ジュニア:長尾慎太郎訳)
 日本に手持ちのドルを売り切らせる作戦として、日本の国家破綻に煽られ円高が最も進んだ段階でドル資産の売却をしてくれれば、日本にとって最大の実現損となり、それはとりもなおさず米国にとって最大の実現益となる。借金から解放されて身軽になった米国はまた新たな借金をすべく、ドル高のステージを演出して世界中から資金を集めることだろう。今でも世界最大の米国の金保有額であるが、そして2011年になってメキシコ中銀までもが100トンほど金を購入していたことがIMFのデータによって明らかとなった。地域通貨(※アメロ)としての金本位制度復活ならば辻褄があう。それでも現代の経済規模から考えると、かつてのような100%の本位制では実物の金が足りないため、部分本位制を採用するしかない。(『為替占領 もうひとつの8.15 変動相場制に仕掛らけれたシステム岩本沙弓

為替ゴールド
 しかし少なくとも、1971年のニクソン・ショックと言われる金本位制の廃止宣言、1985年のプラザ合意によるドル安措置に関しては、米国発の借金棒引き政策が堂々と行われたと言えよう。また、その他の時期においても実に米国に都合のよいタイミングでドル安が発生しているのである。(『新・マネー敗戦 ドル暴落後の日本岩本沙弓

為替
アフォーダンス理論」によれば、私たちは「眼で見ているのではない」し、「耳で聞いているのでもない」ことになる。そうは言っても、もちろん、アフォーダンス理論には読者を幻惑する神秘的な部分は一つもない。むしろ現在のところ、もっとも「科学的」で「真実に近い」知覚についての説明である、と筆者は思う。(『アフォーダンス 新しい認知の理論佐々木正人
 ある組織、ある信念や活動に身を委ねることは、消極的にはそれらによって所有されることであり、積極的には所有することである。(『クリシュナムルティの神秘体験J・クリシュナムルティ:中田周作訳)
 日本では、「量的緩和はマクロ経済効果がない」という日銀の考えが定説になっているため、いつまでもデフレから抜け出すことができないでいる。
 またリーマン・ショック以降、各国中央銀行は通貨を増やしているが、日銀だけが増やしていないために、円はほとんどの通貨に対して円高になっており、これも不況を抜け出せない原因となっている。
(『高橋教授の経済超入門高橋洋一
 オニヤンマもカマキリと同様、肉食の虫だ。彼らは飛んでいるものなら鳥以外の何だって襲う。同種のトンボたちが彼らの一番の獲物だ。初めて狩りに出た日、オニヤンマが空中でシオカラトンボを捕捉して、バリバリと音を立てて食べるところを見た。(『風の中のマリア百田尚樹
 ここでのハイゼンベルクの飛躍は、アインシュタインが成し遂げた例の飛躍を思い出させる。あのときアインシュタインは、自明と思われていた時間と場所の観念をもう一度じっくり検討したから、相対論へと導かれたのだ。当然とされていることを疑問視するのが、おそらくは天才のしるしなのだろう。(『そして世界に不確定性がもたらされた ハイゼンベルクの物理学革命デイヴィッド・リンドリー阪本芳久訳)
 そのとき、私に一つの啓示がありました。
「苦しみ闘う人々の支えになる音楽……それは、誰よりも苦しみ闘った者の手からしか決して生まれえないのだ! そんな音楽を成しえたいと望むのなら、その『闇』に満足し、そこにとどまれ!」
 神の声がハッキリそう聞こえたのです。もちろん「闇の中の心の耳」で。
(『交響曲第一番』佐村河内守)
 あと千人しか残らなくなっても、よし、私は踏みとどまろう!
 あと百人しか残らなくなっても、私はなおスラに刃向かおう。
 十人残ったら、私は十番目の者となろう。
 そして、たったひとりしか残らなくなったら、そのひとりこそはこの私だ!
(『ユゴー詩集ヴィクトル・ユゴー:辻昶・稲垣直樹訳)

詩歌
「初めにビットありき」と私は話を切り出した。(中略)「事物、すなわち“It”は、情報、すなわち“ビット”から生まれます」(『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?セス・ロイド水谷淳訳)
 その瞬間、なにを思ったか、フェーナーはあとで正確に思いだすことができなかった。心の奥底で、その金属が固く鋭く光りはじめた。その光のなかで、すべてがはっきり見えた。まばゆいほどに。(『犯罪』フェルディナント・フォン・シーラッハ)
 地上における人間の全生涯の像(イメージ)が彼の心にひらめいた。人間の生涯とは、果しらぬ恐ろしい暗黒の中に、ちらと燃え上る、小さな焔の閃きにすぎないように思われた。人間の偉大さ、悲劇的尊厳、その英雄的栄光は、この焔のささやかさと、命の短さに由来しているのだ。彼は己れの生命は短く、そしてかき消されてしまうだろうこと、ただ闇のみが広大無辺にして永劫に続くことを知った。彼はまた知った。自分が挑戦の言葉を叫びながら死んでいくだろうこと、そしてその拒否の叫びが、心臓の最後の鼓動とともに、すべてを呑みこむ暗夜の深淵の中へと鳴り響くであろうことを。(『汝再び故郷に帰れずトマス・ウルフ:鈴木幸夫訳)
 わたしが大切にしてきた教義も信仰も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった。ピダハンからすればたんなる迷信であり、それがわたしの目にもまた、日増しに迷信に思えるようになっていた。(『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観ダニエル・L・エヴェレット:屋代通子訳)

キリスト教
 35歳になったしあわせな二人はいまや完全に『ラットレース』に巻き込まれ、退職の日までがむしゃらに働き続けなければならない。彼らは会社の持ち主に利益をもたらすために働き、政府に税金を払うために働き、銀行にローンを返すために働き、クレジットカードでの買い物の支払いをするために働く。(シャロン・レクター)『金持ち父さん貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター:白根美保子訳

マネー
 健全な哲学を創造するためには形而上学を打ち捨ててよき数学者にならなければならない。
  ――バートランド・ラッセル(ある講義で、1935)
(『数学をつくった人びとE・T・ベル:田中勇、銀林浩訳)
 どんな動物においても、捕食者の数やその恐ろしさを見積もったり、二つの食物源それぞれから得られる食物量を推測して比較したりすることは、生死に直結する問題であるはずだ。(『数覚とは何か? 心が数を創り、操る仕組み』スタニスラス・ドゥアンヌ:長谷川眞理子、小林哲生訳)
 アンジェロウはテレンス・アファーの言葉を引用して締めくくることが多い。テレンスは古代ローマに奴隷として連れてこられたアフリカ人で、最後には自由の身となった人物である。「私は人間だ。人間に関わることであれば、私には無関係ではない」。(『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へデヴィッド・ボーム
 また、「結論に賛成だと、途中の推論過程も正しいと思ってしまう」というバイアスは昔から知られている。(『考えることの科学 推論の認知心理学への招待』市川伸一)

認知科学
「わたしたちは、耳が聞こえる人たちを“外の世界の人”と呼ぶの。でも、“外の世界の人”のなかには、わたしたちみたいな人もいるのよ」
「どういう人間たちのことをいうのかね?」
「自分の心に従って生きてる人たちのことよ」
(『静寂の叫びジェフリー・ディーヴァー
 生きているあいだ 何事も先へのばすな、
 きみの生は行為また行為であれ
(『ゲーテ全集8 ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代ゲーテ
 スッタ(sutta)は「糸」という意味ですが、それよりも英語のフォーミュラ(formula)という言葉の意味がふさわしいかもしれません。フォーミュラは数学でいえば「式」という意味です。哲学や文法を語る場合も、まず「式」を作ってから語ることは、インドではよくあるやり方なのです。(『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章アルボムッレ・スマナサーラ

仏教スッタニパータ
「お前はこうした冒険にはよほど疎いと見えるな。実は、あれらはいずれも巨人なのじゃ。だが、怖いなら、ここから離れておればよい。そして、拙者がった一騎で多勢の巨人どもを向こうにまわし、死闘を繰り広げるあいだ、お祈りでも唱えておるがよい。」
 こう言うが早いか、乗り馬ロシナンテに拍車を当てたドン・キホーテは、従士のサンチョがうしろから、旦那様が攻めようとなさっているのは、間違いなく風車であって巨人なんかじゃありませんよ、と注意する声に耳を貸そうとはしなかった。
(『ドン・キホーテセルバンテス:牛島信明訳)
 100人の死は悲劇だが
 100万人の死は統計だ。(アイヒマン

 ジェノサイド(大量虐殺)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、【ひとりひとりの死】がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものだ。

(『望郷と海石原吉郎岡真理解説)

詩歌シベリア抑留強制収容所
 これらの先生方は「六師外道」といわれる人たちです。仏教では、六師外道を「仏教以外の教えを説いている6人の先生」という程度の意味で使っています。でもここに登場する人々は、外道という蔑称で簡単に切り捨てられるものではありません。本当は、インドの当時の宗教世界の革命家として、厳密に考えなくてはいけない人々だったのです。(『沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になるアルボムッレ・スマナサーラ
 トマス・ウルフ(1900-38)という男は、一言でいうなら、20世紀の開幕と同時にアメリカ南部の山国で生まれ、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸を数回遍歴し、アメリカ生活の万華鏡と若者の飢渇を、噴きあふれる河のように書き、『天使よ故郷を見よ』、『時間と河』、『蜘蛛の巣と岩』、『帰れぬ故郷』の四大作その他をのこし、1930年代の、彼の同時代作家らがアメリカ喪失に陥っている時に、いち早くアメリカ発見に到達し、ナチス・ドイツ抬頭のころ、いわば、第二次世界大戦の前夜に、37歳の若盛りで死んだ、並外れたスケールの、不敵な、人生派作家である。(『20世紀英米文学案内 6 トマス・ウルフ』大澤衛編)
 あなたは雪の色は「白」だと思っているかもしれないが、実際には無色透明だ。(中略)
 では、白く見えているところは何かというと、それは雪の結晶のふちや角の部分、つまり「エッジ」だ。光はエッジ部で拡散する。雪が白く見えるとき、あなたはあらゆるエッジから拡散する光を見ていることになる。
(『雪の結晶』ケン・リブレクト:矢野真千子訳)