津波が来たら一刻も速くめいめいで逃げろという「津波てんでんこ」を呼び掛けてきた大船渡市の津波災害研究家山下文男さん(87歳)が、入院先の岩手県立高田病院(陸前高田市)で東日本大震災の大津波に襲われた。
 逃げ遅れ、震災翌日に助け出された。「てんでんこを提唱した人間として、責任を感じている」と、あの日を振り返る。
(『ともしび 被災者から見た被災地の記録』シュープレス編著)
 近年、国民が「問題を把握する力」はじりじりと増しています。これはインターネットのおかげです。しかし他方で、おおかたの論筆家や政治家や政策官僚が、軍事について一知半解の段階で学習をやめてしまっています。エリート意識を抱き、大きな国策判断に臨んでいる人々のなかの「不勉強」の部分が、心ある者の不安を誘います。“松下政経塾”的な“用語だけ外交”の心もとなさ、危なっかしさは、そこからくるのではないでしょうか。(『日本人が知らない軍事学の常識兵頭二十八
 核武装問題に限らぬが、「日本に足りないのは何か」とよく言われる。
 それは、原材料でも、技術でもないだろう。いわんや地面の広さなどではない。
 そして勘違いする者がとても多いが、組織でもない。組織はすでに腐るほどある。組織が、それじたいで役に立つと思ってはならない。憲法が改正できたとしてもこれは同じことで、人が組織に頼ってしまえば、組織は建物の構造以外、全部腐るものなのである。
 答えは、「人」である。
(『ニッポン核武装再論 日本が国家としてサバイバルする唯一の道兵頭二十八
 理念的な原理・原則は人間の脳の働きである。人間の脳の中で考えた原理・原則など、自然が機嫌を損ねれば吹き飛んでしまう。自然のご機嫌がくるくる変わる日本列島で生きていくには、自然に合わせめまぐるしく変化しなければならなかった。
 多くの識者が「日本人は確たる原理・原則を持たない」と指弾する。その通りだから誰も反論できない。しかし見方を変えれば、気ままで巨大な自然の支配下でしぶとく生きてきた日本人の強靭さの秘密は、この融通無碍な無原則性に潜んでいた。
(『日本文明の謎を解く 21世紀を考えるヒント竹村公太郎
「日本の天皇は神である」――明治4年(1871年)に行われた廃藩置県を見て、英国の駐日公使パークスは歎(たん)じてこう言った。「ヨーロッパに於いて、こんな事を行おうとすれば何十年、いや事に依(よ)ったら百年以上の血腥(ちなまぐさ)い戦争の後に初めて可能であろう。それを、一片(いっぺん)の勅令(ちょくれい)に依って、一気に断行してしまうなんて、日本の天皇は正しく神である」(『天皇畏るべし 日本の夜明け、天皇は神であった小室直樹
 たとえば東大合格率ナンバーワンの筑波大学附属駒場の中学受験合格者数に占める「サピックス小学部」出身者の割合は、2015年で7割を超えている。また大学受験の最難関である東大理III(医学部)の合格者のうち6割以上が「鉄緑会」出身者で湿られている。
 たった2つの塾が、この国に「頭脳」を育てていると言っても過言ではない。「学歴社会」ならぬ「塾歴社会」である。
(『ルポ 塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』おおたとしまさ)
 たくさんの考え方――「正しさ」と言い換えてもいいですが――を受け入れるということは、それだけ自分の人生が広がるということです。結果的に、2倍にも、3倍にもなるでしょう。「受け入れる脳」を持つことは、ヨーロッパ的な利己的な正義や、日本に蔓延する空気的正義に対しての、対抗手段にもなります。自分が「正しい」と信じ込まされてきてしまったことに対し、他人の「正しさ」を受け入れることは、盲信してきた「誤った正しさ」を正すきっかけになります。(『武田教授の眠れない講義 「正しい」とは何か?武田邦彦
 時間の矢の問題は、従来から熱力学第二法則と関連して論じられてきた。熱力学第二法則はエントロピーの増大法則ともよばれ、孤立系のエントロピーは増大することを示している。エントロピーが増大すると無秩序の方向に向かう。だからこの世界は、秩序だった状態から、より無秩序な方向に向かい、最終的には熱的死に向かうと予言されてきた。(『時間の本質をさぐる 宇宙論的展開松田卓也二間瀬敏史

時間論
 太陽の底の密度は100グラム/ccだという。これは我々の身近にある物質に比べてはるかに大きい密度である。たとえば液体の中で密度の最も大きい水銀でも、14グラム/ccである。金や白金などは固体の中でも重い方であるが、それでも1ccの重さは20グラムにすぎない。
 これから考えると太陽の中心は当然固体であろうと思われる。しかし実は太陽の内部は気体なのである。
(『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで松田卓也、中沢清)
 地球の生物圏の秩序が局所的に増大すると、エントロピーは減少するが、それは地球と太陽の熱交換を計算に含めるときに生じる総体的なエントロピーの増大で相殺され、なお余りが出る。木で椅子をつくるときには、工作の過程が進むにつれて秩序のレベルは上がり、エントロピーは減少する。しかし、このときも熱力学の第二法則に反することはない。全エントロピー――われわれの体内にデンプンや糖として貯蔵されていたエネルギーの消費、労働によって消費されたエネルギーの分も含む――は増大するからである。(『宇宙が始まるときジョン・バロウ松田卓也訳)
 後漢から約100年あと、4世紀前半の東晋時代になると、儒教に代わって老荘思想が流行してきた。そのため、老荘思想をもって仏教を解釈しようとする風潮が生まれるようになった。これを「格義仏教」という。格義とは中国の老僧の「無」の思想によって、仏教の「般若皆空」の思想を理解しようとしたもので、「無」と「空」とを同一視する考え方である。(『無限の世界観〈華厳〉 仏教の思想6』鎌田茂雄、上山春平
 気づきには偏見がありません。映し出したものを裁くことのない鏡のように、どんなものに対しても賛成も反対もしません。気づきにはそのもの自体を見ること以外には何の目的もありません。何とかして向上させようとして、起こっていることに何かを付け加えようとしたり、あるいはそこから何かを差し引いたりするようなことはありません。(『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ:井上ウィマラ訳)

ヴィパッサナー瞑想
 天台本覚思想は、日本独自の天台思想である。この天台本覚思想は、インド中国にはもちろんなく、最澄にすらなく、良源源信以後に日本でつくられたものであろうが、この煩悩がすなわち菩提であり、煩悩を離れて菩提はないとする天台本覚思想は、鎌倉時代の新仏教ばかりか、日本の文学・芸術を考えるにあたっても、重要な意味をもつ思想である。(『絶対の真理〈天台〉 仏教の思想5』田村芳朗、梅原猛
【小林さん、私はね22歳まで日本人だったんですよ、岩里政男という名前でね】。
 私は日本人として、非常に正統な日本教育を受けた。後に中国の教育も受け、アメリカにも学びましたが、【私の人生に一番影響を与えたのは、この日本時代の教育だったんです】。
 日本の思想、伝統、文化といったものの影響は、私の中では非常に大きい。日本の古典もよく読みましたよ。『古事記』を読み、それから本居宣長の『玉勝間』を紐解き、『源氏物語』や『枕草子』、『平家物語』などに至るまでね。
 岩波文庫なども読み漁って、当時700冊以上は持ってました。日本の思想家や文学、たとえば西田幾多郎、和辻哲郎、夏目漱石、倉田百三の『出家とその弟子』などは熟読しました。私は『出家とその弟子』に出てくる親鸞和尚の「すべてが、よかった」という、その境地に大変感銘を受けてね、親鸞和尚が大好きだった。
(『李登輝学校の教え』李登輝、小林よしのり

台湾
 世界は心の中に収められ、その心は生じた瞬間に滅して次の瞬間の心と交替し、こうして生滅する心が一つの流れを形成する。人間存在は「心の流れ」(心相続)であり、心を離れて外界に存在すると一般に認められているものも、心が生み出した表象にすぎない。外界の物質的存在が心に映写されて表象が形成されるのではなく、心がみずから表象を生みだすのである。(『認識と超越「唯識」 仏教の思想4』服部正明、上山春平

唯識
 どの『般若経』にも次のことがくり返し述べられている。菩薩がたとい無数の人々を解脱に導いたとしても、じつはいかなる人も解脱にはいったわけではないし、解脱に導いた菩薩がいるわけでもない、と。菩薩に、自分は菩薩だ、という観念があり、他人を迷える人だとする観念があれば、彼は菩薩ではない。それはとらわれの心であり、区別する心である。(『空の論理「中観」 仏教の思想3』梶山雄一、上山春平
 身体性認知科学という分野では、触覚が、私たちの意思決定や心のあり方に影響を及ぼしているという実験結果がつぎつぎと明らかになってきています。(中略)どうやら、ふだん何気なく行っている厖大(ぼうだい)な選択行為が、たまたま手にしていた温かいコーヒーや、洋服の着心地などに左右されているようなのです。(『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』アクタイル:仲谷正史、筧康明、三原聡一郎、南澤孝太)
瞑想」とはどういうことか、かんたんにご説明します。「勝手に走りまわっているこころをストップさせること」。これが瞑想です。(『ブッダの集中力 役立つ初期仏教法話9アルボムッレ・スマナサーラ
 心身は一瞬のまばたき、あるいは、電光一閃の瞬間より何倍も速く生じたり滅したりしています。それにもかかわらず、こうした速い速度で生じたり滅したりしている心身を、次々と知るのが可能な程度に追いかけて念じていれば、それに従って智慧も熟してくるので、生滅をありのままに抜け目なく知ることができるようになります。(『ミャンマーの瞑想 ウィパッサナー観法』マハーシ長老:ウ・ウィジャナンダー大僧正訳)

瞑想
 ヨーガの修行に成功すると、人を傷つけるような考えも起きないだけではなく、そのヨーガ行者の前では、相手の方も人を傷つけるような考えを一切起こさないようになる。だから、そのヨーガ行者の周りでは、誰一人として暴力的な行為も考えも起こさないようになる。
 それほどアヒンサーというのは深い内容の修行だから大変なのである。
(『呼吸法の極意 ゆっくり吐くこと』成瀬雅春)

呼吸
 軍備拡張競争は、「内閣総理大臣ノ監督」がなくなって、再び陸海両軍のあいだの抗争となった。両者が競争をつづければ、陸軍は海軍に負けまいとして、同じように海軍は陸軍に負けまいとして、それぞれが潜在敵国の脅威を説くようになった。そうなれば、日本はアメリカと戦う運命にあるのだと人びとは思い、いつかはロシアと戦うことになると同じ人びとが思うようになるのは目に見えていた。(『日米開戦の謎』鳥居民)

日本近代史
 私たちが教わった先生方が、暗黙のうちに教えていた「知」とは、技法とは違う「知」です。古いことを言うようですが、論語に書いてある「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」ということです。「道を聞かば」という表現は、学問することを意味します。それを「道を聞く」という。
 もし本当に「あなたは、癌だよ」と言われたら、自分が変わってしまう。そういう体験を繰り返していけば、しょっちゅう自分が死んで生まれ変わることになります。それなら夕方、改めて本当に死んだとしても、驚くことはないだろうと、そういう意味だろうと私は思うんです。自分が変わっていくという経験を繰り返し積み重ねていっている以上は、本当に死んだって何も怖がることはないだろう。それを怖がっているのは、一度も自分が変わったことがない人だということになる。本気で変わったことがない、大きく変わったことがない。
(『養老孟司特別講義 手入れという思想養老孟司
 私たちの生命は、あたかも、大海の水を手でかこっているようなものです。そして、これを「私だ」と称しているのです。
 なるほど、自分の手でかこっているから、私の水だと言ってもいいでしょう。
 しかし、水そのものから見れば、これは大海の水です。
 手のかこいを解けば、中の水はそのまま大海の水に帰りますが、手でかこっている間も、それは常に大海の水と交流しています。
 これを交流させないでいれば、中の水は腐ってしまうでしょう。
 心の目で見れば、手でかこっていても、手を放したあとも、大海に水には少しも変わりがないということです。
(『氣の呼吸法 全身に酸素を送り治癒力を高める』藤平光一)

呼吸
 自我が破壊された時、世界が現れ出る。(『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音那智タケシ
台湾の高砂義勇隊がわが部隊に糧秣を担送していたが、彼らの律儀さには驚いたよ。自分は食べないで、担送してきた途端に死んじゃった」
 と、全羅南道の金在淵さんは語るのだった。
 その高砂義勇隊員は、ジャングルの湿地帯を通り、険しい山を越えて40キロの行程を、何日もかけて背負子で担送してきて、飢えのために死んだと説明した。
(『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい)

高砂族
 目も脳の一部だということはご存じだろうか? 目はいわば脳の出先機関として外に露出しており、光に対する感受性を持っている。そのおかげで私達は、外の世界で起きていることを見ることができる。(『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』ロビン・ダンバー:藤井留美訳)
 歴史というのは、政治戦争などを中心に語られがちだ。「誰が政権を握り、誰が戦争で勝利したのか」という具合に。
 だが、本当に歴史を動かしているのは、政治や戦争ではない。
 お金、経済なのである。
(『お金の流れでわかる世界の歴史  富、経済、権力……はこう「動いた」大村大次郎
 ではブラック・ホールとは何だろう。それは重力源としての質量はあるのに、大きさが無限小のものである。質量の値はいくらでもよいが、ここで登場しているのは地球の1000万分の1ぐらいの重さのものである。これは小さいので地面に落下してもスルスルと地球を貫通し、北大西洋上のある地点に出て再び空に飛んでいってしまったので落下物が残っていないのだというわけである。(『相対論的宇宙論 ブラックホール・宇宙・超宇宙』佐藤文隆、松田卓也
「人に心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」(『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』石黒浩)
 脱税の方法には、実はふたつしかありません。
 売り上げを抜くか、経費を水増すかです。どんな複雑な方法を使った脱税も、突き詰めればこのふたつに集約されます。
(『お坊さんはなぜ領収書を出さないのか大村大次郎