瞑想」とはどういうことか、かんたんにご説明します。「勝手に走りまわっているこころをストップさせること」。これが瞑想です。(『ブッダの集中力 役立つ初期仏教法話9アルボムッレ・スマナサーラ
 心身は一瞬のまばたき、あるいは、電光一閃の瞬間より何倍も速く生じたり滅したりしています。それにもかかわらず、こうした速い速度で生じたり滅したりしている心身を、次々と知るのが可能な程度に追いかけて念じていれば、それに従って智慧も熟してくるので、生滅をありのままに抜け目なく知ることができるようになります。(『ミャンマーの瞑想 ウィパッサナー観法』マハーシ長老:ウ・ウィジャナンダー大僧正訳)

瞑想
 ヨーガの修行に成功すると、人を傷つけるような考えも起きないだけではなく、そのヨーガ行者の前では、相手の方も人を傷つけるような考えを一切起こさないようになる。だから、そのヨーガ行者の周りでは、誰一人として暴力的な行為も考えも起こさないようになる。
 それほどアヒンサーというのは深い内容の修行だから大変なのである。
(『呼吸法の極意 ゆっくり吐くこと』成瀬雅春)

呼吸
 軍備拡張競争は、「内閣総理大臣ノ監督」がなくなって、再び陸海両軍のあいだの抗争となった。両者が競争をつづければ、陸軍は海軍に負けまいとして、同じように海軍は陸軍に負けまいとして、それぞれが潜在敵国の脅威を説くようになった。そうなれば、日本はアメリカと戦う運命にあるのだと人びとは思い、いつかはロシアと戦うことになると同じ人びとが思うようになるのは目に見えていた。(『日米開戦の謎』鳥居民)

日本近代史
 私たちが教わった先生方が、暗黙のうちに教えていた「知」とは、技法とは違う「知」です。古いことを言うようですが、論語に書いてある「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」ということです。「道を聞かば」という表現は、学問することを意味します。それを「道を聞く」という。
 もし本当に「あなたは、癌だよ」と言われたら、自分が変わってしまう。そういう体験を繰り返していけば、しょっちゅう自分が死んで生まれ変わることになります。それなら夕方、改めて本当に死んだとしても、驚くことはないだろうと、そういう意味だろうと私は思うんです。自分が変わっていくという経験を繰り返し積み重ねていっている以上は、本当に死んだって何も怖がることはないだろう。それを怖がっているのは、一度も自分が変わったことがない人だということになる。本気で変わったことがない、大きく変わったことがない。
(『養老孟司特別講義 手入れという思想養老孟司
 私たちの生命は、あたかも、大海の水を手でかこっているようなものです。そして、これを「私だ」と称しているのです。
 なるほど、自分の手でかこっているから、私の水だと言ってもいいでしょう。
 しかし、水そのものから見れば、これは大海の水です。
 手のかこいを解けば、中の水はそのまま大海の水に帰りますが、手でかこっている間も、それは常に大海の水と交流しています。
 これを交流させないでいれば、中の水は腐ってしまうでしょう。
 心の目で見れば、手でかこっていても、手を放したあとも、大海に水には少しも変わりがないということです。
(『氣の呼吸法 全身に酸素を送り治癒力を高める』藤平光一)

呼吸
 自我が破壊された時、世界が現れ出る。(『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音那智タケシ