「天下有道、却走馬以糞、天下無道、戎馬生於郊、罪莫大於多欲、禍莫大於不知足、咎莫大於欲得、故知足之足、常足矣」(46章

【私訳】
 わたし(=『老子』作者)の説く自然な政治が実現していれば、よく走る馬などに誰も用は無くなる。しかし、わたしの説く自然な政治ができていないときには、あなたがたの住む都市城壁の周りに押し寄せた敵軍がキャンプを張って、長い期間、駐留するだろう。そこで戦車を牽くための軍馬が、もとの村人の飼い主の手を借りずして勝手に繁殖するのを、あなたがたは見るのだ。

(『予言 日支宗教戦争兵頭二十八
 あらゆることがゆるされ、解放されている自由な世界では、自由であることこそが最大の不自由である。人は自由によって生きているのでは決してなく、実際には、適度の不自由と制限によって生の安定と統一を得ている。しかし、自由があり余れば、人間は中心を喪い、自分を不自由であると空想的に設定することに被虐的快感を覚え、その瞬間の熱病によって生を支えようとするものである。(『三島由紀夫の死と私西尾幹二

三島由紀夫
 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。――影がそのからだから離れないように。(『ブッダの真理のことば 感興のことば中村元訳)

仏教ダンマパダ
 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。(『ブッダの真理のことば 感興のことば中村元訳)

仏教ダンマパダ
 聖者。自分は決しておこなわないことを説明することに、彼は一生をついやす。(『蝿の苦しみ 断想エリアス・カネッティ:青木隆嘉訳)
「同調」「服従」「内面化」は、人が集団に従うときの、不本意さの程度に応じた用語である。もっとも不本意なものが服従である。不本意だという感覚がある限り、服従は服従以上にはなり得ず、「無責任の構造」も拡大はしない。他方、不本意ながら、従っているうちに、やがて、従っている不本意な行為の背景にある価値観を、自分の価値観として獲得してしまうことがある。それが内面化である。(『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略岡本浩一

ミルグラム
 理性的で科学的な考えのもとに築かれていると自負してはばからないアメリカ社会においても、じつに国民の17パーセントは幽霊を見たことがあると言い、10パーセントが悪魔と話したことがあると言い、そしてなんと400万人が宇宙人に誘拐されたことがあると告白しているという。(『本当にあった嘘のような話マーティン・プリマー、ブライアン・キング:有沢善樹訳)
 われわれは、権力者、指導者を賞揚し、尊敬する。なぜならわれわれの中に、権勢と地位への同じ切望、支配し、命令しようとする同じ願望があるからである。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 彼は、愛と同情からかれらの一部だったのではなかった。彼は【即】かれらだった。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 発見するためには、自由がなければならない。もしもあなたが束縛され、重荷を背負っていたら、あなたは遠くまで行けない。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 何かに【なろうとすること】は、時間を、悲嘆を持続させることである。【あること】は、【なること】を含まない。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 相対性理論でしられる物理学者アインシュタインやインドの詩人タゴールからも、賞賛の言葉が寄せられた。太平洋問題調査会のメンバーで頻繁にアメリカを訪問していた鶴見祐輔(政治家、著述家)が、「いまアメリカで最も読まれている本」として『武士の娘』の評判を日本に紹介したのは、そのころのことである。(『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄)

日本近代史戊辰戦争
 つまり、谷垣(禎一)は「侵略戦争」「侵略者」をどこが戦場となったかで決めている。これは経緯がわからないジャーナリストが犯しやすい誤りであって、国際法について谷垣がまったく無知であることを暴露している。侵略とは戦場がどこかで決定されるのではなく、どちらが計画(作戦計画)をもって先制攻撃をしたかによるのである。この場合、挑発行為(テロや港湾封鎖など)があれば先制攻撃をやっても侵略にならないが、経済封鎖や政治工作はは武力を伴わないので挑発行為に該当しない。(『東京裁判の謎を解く 極東国際軍事裁判の基礎知識別宮暖朗兵頭二十八

東京裁判
 そのころ(明治初期)の政治家は、後年“井戸べい”といわれたように、おおむね清貧に甘んじる気骨があり、いわゆる国士的な風格をそなえている人物がすくなくなかった。政治にふか入りすればするほど、私財を散じ、家産を傾けつくす者もめずらしくはなかった。父のばあいも同様で、わたしがいくらか物心のついた時分には、もう家産らしいものは何一つ残っていなかったようである。(『悪政・銃声・乱世 児玉誉士夫自伝児玉誉士夫
 ところで明治末からこの時期(1923年)にかけ、米国の一部の州および連邦政府が、日本からの移民の数を西ヨーロッパからの数よりもじゃっかん制限したり、帰化を禁ずる施策を打ち出していた。これは日本の朝野(ちょうや)をたいへん穏やかならざるものにしていた。べつに移民ができなければ、日本の食い詰め人口が野垂れ死ぬといった緊急の利害があったわけではない。そうではなくて、アメリカが日本人をヨーロッパ人並に遇(ぐう)しないと報じられることが、すぐさま、中国大陸内で、中国人の「侮日」(ぶにち)を呼ぶという構図があったからだった。ワシントン条約での対米6割比率の受諾(じゅだく)も、まったく同じように、中国人の侮日をもたらした。(『大東亜戦争の謎を解く 第二次大戦の基礎知識・常識別宮暖朗兵頭二十八

大東亜戦争日本近代史
 開国派もまた攘夷派であったのだ。「つまり、開国は、攘夷のための実力をたくわえる手段に他ならなかった」という上山(春平)氏の意見に、私は同意する。その見地からすれば、攘夷派の志士たちが後に「簡単に」開国派に転向したことも理解できる。彼らは「攘夷派」を捨てたのではなく、それを「開国論」という迂回戦略に発展させたのだ。(『大東亜戦争肯定論林房雄

大東亜戦争日本近代史
 民主主義が悪いと言う気も全然ありません。民主主義は、政治システムの基本条件として必要だと思っています。だけれど、「民主主義は正しい」「民主主義万歳」的な考え方は昔から肌に合わないのです。
 なぜなら、民主主義では、きれいごとを言うほうがどうしても勝ってしまうからです。いかにももっともらしいことを言う者が、やはり有利になる。
(『自由と民主主義をもうやめる佐伯啓思
 わたしはこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。(サンケイ新聞夕刊、昭和45年7月7日)『決定版 三島由紀夫全集 36三島由紀夫
 たとえば、みなさん、食事制限だけのダイエットを3か月間続けると、通常の人に比べてどれくらい筋肉が落ちるのかをご存じですか?
 私たちの研究では、「わずか3か月間で5%の筋肉量が落ちてしまう」という結果が出ています。20代以降、筋肉は1年に1%ずつ減っているので、これは3か月で5年分の筋肉を減らしてしまったということ。【通常なら5年かかって落ちるべき筋肉量を、たった3か月でごっそり減らしてしまったわけです】。
(『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい 10歳若がえるための5つの運動』久野譜也)
 割りきっていえば、本書は、神仏分離廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた、と主張するものである。(『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』安丸良夫)

明治維新
「死神」をつれてきたという報告をきき、その上、現に目の前のわたしの頭の上にいる「死神」を見た瞬間、彼はすっかりうろたえて、まさか「死神」をつれ出せる者がいようとは、と驚きの叫び声をたて、わたしには、今すぐ彼(死神)を元の家に連れ戻すようにいいつけておいて、老人は、大急ぎで自分の部屋に入り、戸や窓を前部閉めはじめたのだが、窓の2~3枚も閉めおわらないうちに、わたしは老人の戸口の前に「死神」を放り出してやった。(『やし酒飲み』)『アフリカの日々 やし酒飲み(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 I-8)』イサク・ディネセン、エイモス・チュツオーラ:横山貞子、土屋哲訳

アフリカ
 この風景、そしてその中での暮しの一番の特色は空気である。アフリカの高原ですごしたことのある人なら、あとで思いかえしてみると、しばらくの時を空の高みで生きていた気がして、おどろきに打たれるにちがいない。(『アフリカの日々』)『アフリカの日々 やし酒飲み(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 I-8)』イサク・ディネセン、エイモス・チュツオーラ:横山貞子、土屋哲訳
 児玉誉士夫は酒を飲まない。飲めないのではなく、飲まない。(中略)
 若いころには、人並みに飲み、飲めばいい御機嫌にもなり、つきあいとなれば酒場の梯子も辞さなかった。ある晩、酒場のカウンターで友人たちとグラスを片手に放談し、さて帰ろうとして気がつくと、上着の背が鋭い刃物で縦一文字に切り裂かれていた。
「これはいけない」と思ったそうだ。「生死の覚悟というような問題ではない。酒場で酔って刺されるなどは男の名誉ではないし、しかも、刺されたのならまだしも、背中に刃物を当てられて、それに気がつかなかったというのは醜態以外何物でもない。こんな飲み方と酔い方はやめよう」
 以来、飲めないのではなく【飲まない】児玉誉士夫が生れた。
(「児玉誉士夫小論」林房雄)『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
 解放とは、制限の中に自由を見いだし、不完全さの中に完璧さを見いだすことです。(『つかめないもの』ジョーン・トリフソン:古閑博丈訳)
 日本のテレビは放送法の下の免許事業であり、「公安及び善良な風俗を害しないこと」(第三条のニ)が義務づけられており、その基準(「日本民間放送連盟放送基準」)によれば、「企画・演出・司会などは、出演者や視聴者に対し、礼を失したり、不快な感じを与えてはならない」(八十二条)と規定されている。つまり、「見ている人をバカにしている」というクレームは、法律的にも正当な訴えになるのである。(『からくり民主主義』高橋秀実)
 1868年7月31日付ビスマルク宛ブラント書翰

 書翰の内容であるが、会津・庄内両藩が、ブラントに対して、蝦夷地もしくは日本の西海岸にある領地をプロイセンに売却したいと内密に申し入れてきたと言うものである。

(『戊辰戦争の史料学』箱石大編)

戊辰戦争
 帝国主義時代の日本の社会は、危機が深まり動揺がはげしくなるたびごとに、熱狂的な奇蹟中心の新しい宗教をうみだしてきた。第一次大戦と戦後の動揺期に一世をおおった大本(おおもと)は、新興宗教の草わけといわれている。昭和初頭の大恐慌から暗い谷間に落ちこんでいく時期にかけては、「ひとのみち」、生長の家、霊友会などが現われた。太平洋戦争直後の虚脱と混乱とインフレ地獄のときに、「おどる宗教」やメシヤ教(最初は観音教、いまの世界救世教)や立正佼成会などがのびた。そしていま、アメリカに加えて日本の独占資本のむきだしの支配が君臨し、頽廃文化がみちあふれ、原水爆戦争が生存をおびやかしているときに、創価学会が爆発的なのび方をしめしている。(『創価学会 その思想と行動』佐木秋夫、小口偉一
 しかし呪術の社会的機能をとりあげるならば、問題はまったく意義を変えるであろう。マックス・ウェーバーが、東洋社会を「呪術の園」と表現したような事柄が展開する。(『新心理学講座 4 宗教と信仰の心理学小口偉一編)

宗教