児玉誉士夫は酒を飲まない。飲めないのではなく、飲まない。(中略)
 若いころには、人並みに飲み、飲めばいい御機嫌にもなり、つきあいとなれば酒場の梯子も辞さなかった。ある晩、酒場のカウンターで友人たちとグラスを片手に放談し、さて帰ろうとして気がつくと、上着の背が鋭い刃物で縦一文字に切り裂かれていた。
「これはいけない」と思ったそうだ。「生死の覚悟というような問題ではない。酒場で酔って刺されるなどは男の名誉ではないし、しかも、刺されたのならまだしも、背中に刃物を当てられて、それに気がつかなかったというのは醜態以外何物でもない。こんな飲み方と酔い方はやめよう」
 以来、飲めないのではなく【飲まない】児玉誉士夫が生れた。
(「児玉誉士夫小論」林房雄)『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
 解放とは、制限の中に自由を見いだし、不完全さの中に完璧さを見いだすことです。(『つかめないもの』ジョーン・トリフソン:古閑博丈訳)
 日本のテレビは放送法の下の免許事業であり、「公安及び善良な風俗を害しないこと」(第三条のニ)が義務づけられており、その基準(「日本民間放送連盟放送基準」)によれば、「企画・演出・司会などは、出演者や視聴者に対し、礼を失したり、不快な感じを与えてはならない」(八十二条)と規定されている。つまり、「見ている人をバカにしている」というクレームは、法律的にも正当な訴えになるのである。(『からくり民主主義』高橋秀実)
 1868年7月31日付ビスマルク宛ブラント書翰

 書翰の内容であるが、会津・庄内両藩が、ブラントに対して、蝦夷地もしくは日本の西海岸にある領地をプロイセンに売却したいと内密に申し入れてきたと言うものである。

(『戊辰戦争の史料学』箱石大編)

戊辰戦争
 帝国主義時代の日本の社会は、危機が深まり動揺がはげしくなるたびごとに、熱狂的な奇蹟中心の新しい宗教をうみだしてきた。第一次大戦と戦後の動揺期に一世をおおった大本(おおもと)は、新興宗教の草わけといわれている。昭和初頭の大恐慌から暗い谷間に落ちこんでいく時期にかけては、「ひとのみち」、生長の家、霊友会などが現われた。太平洋戦争直後の虚脱と混乱とインフレ地獄のときに、「おどる宗教」やメシヤ教(最初は観音教、いまの世界救世教)や立正佼成会などがのびた。そしていま、アメリカに加えて日本の独占資本のむきだしの支配が君臨し、頽廃文化がみちあふれ、原水爆戦争が生存をおびやかしているときに、創価学会が爆発的なのび方をしめしている。(『創価学会 その思想と行動』佐木秋夫、小口偉一
 しかし呪術の社会的機能をとりあげるならば、問題はまったく意義を変えるであろう。マックス・ウェーバーが、東洋社会を「呪術の園」と表現したような事柄が展開する。(『新心理学講座 4 宗教と信仰の心理学小口偉一編)

宗教
 莫大な購買力を持つファストフード・チェーンが均一の製品を求めた結果、肉牛の飼育法、食肉の処理法、挽肉の加工法も根底から変わった。そのせいで、食肉加工業者全般――かつては高度な技術を要し、高賃金を得られた職業――が、アメリカで最も危険な仕事に、貧しい流れ者の移民が行なう作業になってしまった。彼らの就業中の怪我については、大半が記録に残されず、補償もされない。しかも、まさに労働者を危険にさらすこの食肉産業によって、大腸菌O-157H7などの致死性の病原体がハンバーガー用食肉に、子どもたち相手に猛烈な売り込みがなされている食品に、持ち込まれている。(『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー:楡井浩一訳)
 ともかくも、
 ――様式(モード)に順(したが)え。
 ということが、私が濃厚に接した昭和30年前後の公募展での一般的傾向だった。
 そんな時期に、棟方志功の諸作品を見ることで、どんなに救われたかわからない。
(『北のまほろば 街道をゆく 41司馬遼太郎
 彼は、彫像を彫(ほ)り終えた、と思い込んでいた。
 しかし実際には、たえず同じところに鑿(のみ)を打ちこんでいたにすぎない。
 一心に、というより、むしろ途方にくれて。
(『絶望名人カフカの人生論』フランツ・カフカ:頭木弘樹編訳)
【「地政学(=地理の政治学)」】――つまり【“地理的な条件が一国の政治や軍事、経済に与える影響を考えること”】である。これをひと言で定義してしまえば、【「世界で起こってきた戦争の歴史を知ること」】になるだろう。
 地理的な条件とは、すなわち領土やその周辺地域のことであり、領土といえば国同士が争い奪い合ってきたもの、つまり戦争がつきものだ。
 だから、【地政学とは戦争の歴史を学ぶこと】、といえるのである。
(『世界のニュースがわかる! 図解地政学入門高橋洋一