おれなどは、生来人がわるいから、ちやんと世間の相場を踏んで居るヨ。上つた相場も、いつか下る時があるし、下つた相場も、いつかは上る時があるものサ。その上り下りの時間も、長くて十年はかゝらないヨ。それだから、自分の相場が下落したと見たら、じつと屈(かが)んで居れば、しばらくすると、また上つて来るものだ。大奸物(だいかんぶつ)大逆人の勝麟太郎も、今では伯爵勝安芳様だからノー。しかし、今はこの通り威張(いば)つて居ても、また、しばらくすると耄碌(もうろく)してしまつて、唾(つば)の一つもはきかけてくれる人もないやうになるだろうヨ。世間の相場は、まあこんなものサ。その上り下り十年間の辛抱(しんぼう)が出来る人は、すなはち大豪傑だ。(『氷川清話勝海舟江藤淳、松浦玲編)

福翁自伝日本近代史
【すべての人間は自然法の侵犯者を処罰する権利をもち、自然法の執行者となる】のである。(『完訳 統治二論』ジョン・ロック:加藤節訳)
 皆があっと驚いたのは砲術師範の娘、山本八重子の出で立ちだった。着物も袴(はかま)もすべて男装し、麻の草履をはき、両刀をたばさみ、元込め7連発銃を肩にかついで城に入ってきた。弟の三郎が鳥羽伏見の戦いで戦死しており、弟の仇(かたき)をとらねばならない。命の限り戦う覚悟だった。八重子はすぐに城壁に駆けのぼり、7連発銃で敵兵を狙い撃った。(『偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実星亮一

会津日本近代史
 北一輝法華経を“読瀉”しながら霊感や夢告を【つね】に体感したらしい。毎日それを克明に書きつらねたのが「神仏言集」である。実弟で衆議院議員だった北昤吉は「霊感的予言書」と呼び、研究者の松本健一は「霊告日記」と名づけている。(『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉)

日蓮石原莞爾
 この時の爆心地・浦上の惨状を渡辺浩氏と同期の長田陽雄さんは学内誌に次の様に記している。「見渡すかぎりの火の海と死の世界。地の底から湧き上がってくるのかと思われるどよめきのようなもの―途中で全身黒焦げの女の人が黒い木の塊のようなものを抱いて『鬼になれよ、鬼になれよ』とうめいているのを見た。木の塊に見えたのは黒焦げの子供であった」(『長崎県立長崎中学第62回学籍簿』)『『焼き場に立つ少年』は何処へ ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』吉岡栄二郎

ジョー・オダネル原爆
 政治についてだけではない。明治以後の文学史という一側面だけをとってみても、その底には「西洋との対決」という大きな潮流がながれている。『舞姫』のエキゾティシズムから出発した森鴎外は、その晩年において、なぜ『興津弥五右衛門の遺書』と『堺事件』を書き、元老山県有朋と接近したか。『浮雲』の二葉亭四迷はなぜ文学を放棄し、ロシアに赴き、インド洋上で死んだか。夏目漱石の「ロンドンの憂鬱」(イギリス留学時代のはげしいイギリス嫌い)の正体は何であったか。『吾輩は猫』(ママ)で彼が戦った対象は何であったか。乃木大将の殉死がなぜ漱石を衝撃して『こころ』という異常な作品を書かしめたのか。恋愛詩人与謝野鉄幹を「虎と剣の詩人」にしたものは何であったか。石川啄木の「無政府主義」はなぜ「国家主義」に飛躍せざるを得なかったのか。トルストイから出発した武者小路実篤はなぜ戦後の確信的な「日本主義者」であり得るのか。(『大東亜戦争肯定論林房雄

大東亜戦争日本近代史
 測定器がニューロンの活動を記録しているところに、エードリアン・オーウェンは患者へ、ヘッドホンにつながれたマイクを通じて、あの決定的な指示を出したのだった。「テニスをしているところを想像してください」と。患者の女性はじっと動かない。6か月間ずっと同じ状態だ。だが、女性のニューロンは違う。コンピュータの画面には、大脳の前部に活発な活動を示す赤い炎が現れた。前運動野とぴったり一致する領域の酸素消費量が、はっきりと上昇したのだ。(『意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論』マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ:花本知子訳)
 マクスウェルが自分の方程式の中に光を見出したのは、意思による意識的な働きを通してではなく、「訪れてはまた去っていく思考のかたわらで意思と分別が沈黙したとき」だった。(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳)
 長途の旅で疲れている。心なしか4年前、市ケ谷の法廷で見た時より、少しやせてみえる。だが、それにもまして、澄んだ大きな眸(ひとみ)の底に、鋭い刃物のような、むしろ近づきがたい光をたたえているのが気になる。博士はニコリともしない。なつかしい日本への追想、というよりも、なにかおさえがたい憤怒に燃えているといった表情であった。待ちうけた記者団を前に、待合室のベンチに腰をおろした博士は、
「このたびの大戦の最も大きな災害、最も大きな犠牲は“真理”である。われわれはこの真理を奪い返さねばならぬ」
(『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール:田中正明編著)

パール判事日本近代史
 全体主義の代表的見解ともいうべきフリードリッヒ=ブレゼジンスキーの『全体主義的独裁と専制』による全体主義体制の徴候とは次のようなものである。
(1)首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)
(2)独裁者の指導による単一大衆政党
(3)物理的・心理的テロルの体系
(4)マスコミの独占
(5)武器の独占
(6)経済の集中管理と指導
(『二・二六事件とその時代 昭和期日本の構造』筒井清忠)
 ずっと女気のない家で育った雄吾はこの二人がきて家の空気が軟らんで楽しかった。しかし、素直にこの感情を二人の前に出すには後ろめたいものを感じて何となく拗(す)ねた態度に出ていた。(『西郷札』松本清張)
 いや、革命っていうのはイリュージョンだよ。革命の理想なんて実現するかどうかわかんないしね。結局同じなんだよ。革命の徒がやってたことも僕がやってたことも。退屈しのぎなんだ、安定した社会の中でのさ。当時、何か面白いことで世の中を騒がせてやろうと思ったら、革命家か、さもなきゃ新聞記者ぐらいしかなかったよ。興行師になろうなんてやつはまずいなかった。今じゃマスコミとか若いやつにはすごい人気だけど、昔はいい意味でのバカしか入社しなかったんだ。(康芳夫)『篦棒な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎
 黒い白鳥は予測できない。私たちは(予測しようなんてたくらむのではなく)、黒い白鳥がいる世界に順応するほかない。(『ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質』ナシーム・ニコラス・タレブ:望月衛訳)
 モリソンは何もかも正確に書いた。自分の兵位が籠城者中、最も上位であるとの理由で籠城軍総指揮権を獲得したオーストリアのトーマンがへまをしたため、マクドナルドが彼にとって代わったこと、その後、トーマンが戦死しオーストリア兵の士気が著しく低下したこと、東京とベルリンで高度の医学を修得した日本の中川十全軍医が身の危険をもかえりみず負傷者につくしたこと、勇敢な安藤大尉が大砲分捕り事件で激烈な最期をとげたこと、みなに敬愛されていた楢原書記官が戦死したこと、ストラウツ大尉の戦死、有能なアメリカ書記官スクワイアーズのこと、臆病者のピション仏公使のこと、そしてもちろん、柴中佐とその部下たちの武勇と軍紀の正しさ、柴の密使のこと、籠城がもちこたえられたのは、ひとえに日本軍のお蔭であることなど、すべて書きに書いた。いや、書かなかったことが一つある。それはモリソン自身の活躍ぶりと、それによる名誉の負傷のことである。(『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子)

柴五郎