日本はこの(MSA)協定締結の条件であった軍備増強の義務として、1953年7月、警察予備隊から成長していた保安隊をさらに格上げし自衛隊を発足させ、アメリカ軍事顧問団を受け入れるなどしてアメリカの要請に応えた。戦後の大きな転換点となった日本の自衛隊発足、再軍備化は、アメリカの余剰農産物が活用された見事な戦略であった。
 この時受け入れた小麦のことを「MSA小麦」というが、その小麦を国内で消費するため、厚生省は粉食奨励を「栄養改善運動」の柱にして、学校給食ではパンとミルクの給食を定着させ、パン食普及などの力を入れ、「近代的」な食生活推進のために活動した。
(『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』鈴木猛夫)

玄米