慶応4年(1868)正月3日から4日にかけて戦われた鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いは、幕府、会津の思わぬ惨敗だった。
 決定的な敗因は、戦いの最中に将軍徳川慶喜(よしのぶ)と会津藩主松平容保(まつだいらかたもり/1835-93)が大坂から軍艦開陽丸で江戸に逃げ帰ったことだった。
 死を賭(と)して戦っているときに最高指揮官が敵前逃亡したことは、稀有(けう)の不祥事であり、その衝撃は大きかった。
(『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇星亮一

日本近代史
 正しいヒントさえ見つけることができれば自分にも解ける謎であるかのように、海岸線の風景を隅々まで見ようと振り返った。(『黄昏に眠る秋』ヨハン・テオリン:三角和代訳)
 新垣(三郎)氏は、1945年(昭和20年)、サイパン島で2件の殺人を犯し、死刑の判決を言い渡されたひとである。およそ9年、獄につながれ、奇(く)しくも命ながらえて、一転、神の福音をのべつたえる牧師となった。(『地獄の虹毛利恒之
 天皇家だとか藤原家といったごく特殊な例を除いて、今日の日本社会を構成している一般市民の家は、99パーセント以上の確率で歴史的に自分の祖先をたどってさかのぼりうるのは江戸時代初期まで、もう少し無理をしても戦国時代末までなのである。(『江戸時代大石慎三郎

江戸時代
 だが、これらの見解は歴史的事実に反する。削除された×と○を残さぬ“残酷でスマート”な検閲は、残念ながらアメリカ軍によって発明されたのではなくて、天皇の特高警察によって昭和11年秋ごろから計画され、昭和14年ごろには完成した方法である。アメリカ占領軍は、その天皇制特高の“残酷でスマート”な方法を真似したにすぎない。(『占領下の言論弾圧』松浦総三)

日本近代史
 その延長線上に、それでもなぜ戦争は起こるのか、それを研究する立場の人たちがいます。これはリアリズム(現実主義)という立場の人たちです。そのリアリズムの範疇(はんちゅう)に地政学というものもあるわけです。地政学というのは、地理的な概念の上に展開されていく国家の政治軍事戦略を研究する学問で、それぞれの国が何を考えているのか、例えば、国家と国家の、国境線近くには常に活断層と言ってもよい危険が存在する。その活断層はどういう条件のときに活動して戦争をもたらしてきたか、それらを歴史的な具体的事例にもとづいて常に考察し理論的に体系づける、将来を展望する学問です。(『日本人が知らない地政学が教えるこの国の針路菅沼光弘
菅沼●アメリカの本当の国防政策はどこで決まるのか。実は、これはペンタゴンではない。実質的には財務省なんです。もっと言えば、財務省の裏にいるウォールストリートが決めるんです。(『NIPPON消滅の前にこれだけは知っておけ! サバイバル・インテリジェンス菅沼光弘、北芝健、池田整治
 永遠なるものの理念をことばで理解することはできないし、記述することさえ不可能である。だが芸術にはそのことを可能にする。芸術はこの無限なるものを感得できるものにする。絶対的なるものを捉えることのできるものは、信仰と創造行為のみである。(『映像のポエジア 刻印された時間』アンドレイ・タルコフスキー:鴻英良訳)
「天皇陛下が降伏の命令を出されるのだろうから、日本人として従うしかないだろう。しかし安心しなさい。陛下は退位させられるかも知れないが、その場合は摂政を置けばよい。日本は絶対に亡びない。暫くは占領されるだろうが、独立も回復できる。しっかりやりなさい」(『革命家チャンドラ・ボース 祖国解放に燃えた英雄の生涯稲垣武

日本近代史藤原岩市ガンディー
「日本軍を指揮した柴(五郎)中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊富であったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞讃の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」ピーター・フレミング(『北京燃ゆ 義和団事変とモリソンウッドハウス暎子

日本近代史