わたしにだってできる、できる、できる――
【生きることが】。
(『キャリー』スティーヴン・キング:永井淳訳)
 アドラーは、このような行動について「なぜ」と問うとき、行動の「原因」ではなくて「目的」を答えとして期待しています。人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目的を設定しそれを追求する、と考えるのです。言い換えると、「どこから」ではなく「どこへ」を問うているのです。(『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために岸見一郎

心理学
「これは国際社会のルールだ」というのも、実際には米国のルールを他国に押しつけるときの常套句だし、「科学的根拠がない」というのも、牛の全頭検査や京都議定書に対して連発しましたが、要するに米国が自国に不利になる事実を認めたくないときの言い逃れにすぎません。米国人はこの種のPR会社的発想の、姑息な言葉のすり替えテクニックをよく使いますから用心しなければなりません。(関岡)『国富消尽 対米隷従の果てに』吉川元忠、関岡英之

アメリカ
 日本軍の真珠湾攻撃で、日系人の信用はうしなわれた。
 ハワイでは、日系人は10人以上、集まってはいけない、家から15マイル(約24キロメートル)以上、遠くに行ってはいけない、と命じられた。バスのなかには「英語で話せ」というはり紙が出され、日本語で話すことを禁じられた。(『夢にむかって飛べ 宇宙飛行士エリソン=オニヅカ物語毛利恒之
 雨はいい。なぜかと訊かれても返答に困るが、あらゆるものの輪郭がぼやけて、何となくやわらいだ気分になれるのだ。雨を見ていると肩の力が抜け、脈拍も落ち着く。(『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト:猪股和夫訳)
 チオスルフィネートは血栓をできにくくするだけでなく、できた血栓を溶かす作用があることがわかっています。そのほか玉ねぎは血液中の善玉コレステロールを増やし、悪玉コレステロールを減少させて血液サラサラにします。(『いいことずくめの玉ねぎレシピ 中性脂肪、血圧、血糖値、ぜんぶにいい!石原結實監修)

タマネギ
 アメリカの捕鯨業は、日本のように鯨(くじら)を食べるためではなく、油を取るためだった。アメリカはイギリスを追って機械工業の時代に入っており、どうしても夜間照明用の油が必要だった。技術革新によって蒸気船が発明され、加えてパナマに鉄道が開通し、太平洋がきわめて近い存在になった。カリフォルニアと中国のあいだに航路が開設され、捕鯨船を含めて日本列島周辺での遭難も増え、石炭を確保する上でも日本の港が必要だった。(『偽りの幕末動乱星亮一

日本近代史
正慶孝●本当に数理科学のエッセンスを身につけた人は、数字を使わないでも文脈ですべてを表現できます。現代は文脈を読む力がとても衰えていて、言葉の味わいや意味を読めない時代になりました。実にさびしいことだと思います。

藤原●書いてあることを読む力が衰えた上に、行間を読める人が少なくなっているし、何が書いてないかを読みぬく人は皆無です。読書の楽しみは何が書いてないかを読むことであり、筆者の頭の中を読むのが読書の真髄ですよ。

(『賢く生きる 藤原肇対談集藤原肇
 令状が来れば、たとえ東京に暮らしていても、戸籍の本籍地にある軍隊への入隊が決められていました。定められた日時を遵守(じゅんしゅ)しないなど、軍隊では許されることではありません。召集を受けた生徒はクラスメートに挨拶する時間などなく、ある日突然消えていきました。(『知覧からの手紙』水口文乃)

戦争特攻隊日本近代史
 とめさんは、不作法を詫(わ)びながら畳の上に痛む足を投げだし、あのころの隊員たちの表情を、一つひとつなぞるように話してくれた。
「僕が死んだら、きっと蛍(ほたる)になって帰ってくるよ」
 そう言って出撃した宮川軍曹が、翌晩、1匹の“蛍”に化(な)って飛んできたというのは、この左手の庭の泉水のほとりであった。第7次総攻撃に進発した朝鮮出身の光山少尉が、出発の前夜、とめさんにねだられて低い声でアリランの歌を唄ったのは、次の間の柱のところであった。光山少尉はその柱にもたれ、軍帽をずりさげて顔をかくしょうにして唄っていたという。
「僕の生命(いのち)の残りをあげるから、おばさんはその分、長生きしてください」
 そう言って、うまそうに親子丼を食べて出撃していった一人の少年飛行兵のことを語ると、とめさんは、あの子のおかげで私(あた)ゃこんなにも長生きしてしもうた、と涙をにじませた。
(『今日われ生きてあり』神坂次郎)

戦争特攻隊日本近代史
 マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山黒木乃木東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
 マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
 それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)

GHQ日本近代史
 日本政府の暗号は、1941(昭和16)年12月7日の真珠湾攻撃の1ヵ月程前ほぼ完全に破られていた。FBIが夜中、日本大使館に侵入し、暗号表を写し取ったと伝えられている。(『國破れてマッカーサー西鋭夫

片岡鉄哉日本近代史マッカーサー