私は「自殺は他殺である」ということを、もっと広く世間に訴えていく必要があると考える。特にいじめの場合は、いじめっ子が遊び感覚で弱い者を攻撃し、挙句の果てに死に追いやっているわけで、法的にはともかく、道義上は許されない行為として処理されることを啓蒙していくべきであろう。
 いじめて遊んでいるお前らこそ、卑屈で卑怯で、恥ずべき最低の人間である。弱者を助ける者が格好よい立派な人間である。こうした強いメッセージを社会に打ち出すことが、子どもを守るために必要なのではないだろうか。
(『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言上野正彦

自殺
 少年だから犯罪は許されるのでしょうか。少年が犯人だとわかったら、淳は生きて返るのでしょうか。
 少年の人権、犯罪者の人権擁護をいうあまり、本当に守らなければならない真の「人権」というものを社会全体が見失っているのではないでしょうか。
 最初に社会全体で守っていかなければならないのは誰なのでしょうか。
 それは普通に、そして平穏に暮らしている一般の人々のはずです。
 それは人を疑うことの知らなかった淳であり、そして、他人に迷惑をかけずにその日、一日一日を一生懸命、生きている人々すべてだと私は思います。
 その一番大事な基本を見失えば、社会全体が歪んでしまうのではないでしょうか。
(『』土師守)

事件
少尉 第七七振武隊 昭和20年5月4日出撃戦死 宮城県 一八歳 相花信夫

【遺書】
【母を慕いて】
 母上お元気ですか
 永い間本当に有難うございました
 我六歳の時より育て下されし母
 継母とは言え世の此の種の女にある如き
 不祥事は一度たりとてなく
 慈しみ育て下されし母
 有難い母 尊い母

 俺は幸福だった
 遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
 幾度か思い切って呼ばんとしたが
 何と意思薄弱な俺だったろう
 母上お許し下さい
 さぞ淋しかったことでしょう
 今こそ大声で呼ばして頂きます
 お母さん お母さん お母さんと
(注:ノート2頁に楷書でペン書き)

(『新編 知覧特別攻撃隊』高岡修編)

戦争特攻隊日本近代史
 これまで話してきたことは、私たちが脳をだましたり、脳にだまされたりした結果だと思うのです。
 ところが腸は脳のように、だましたり、だまされたり、勘違いなどはしません。なぜなのでしょうか。
 それは腸と脳の発生の歴史が違うからでしょう。脳ができたのは生物にとってずいぶん最近の話なのです。地球上で最初に生物が生まれたのは約40億年前でした。生物にははじめに腸ができ、脳を獲得したのは現在から5億年くらい前のことです。つまり生物の歴史上、8~9割の期間は生物は脳を持っていなかったのです。
 したがって、私たち人類は腸をうまく使っていますが、歴史の浅い脳をうまく使いこなせていないのです。脳は人間の身体にはまだ馴染んでいないということです。
(『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎)
 余幼くして煩瑣(はんさ)なる政情を知らず、太平三百年の夢破れて初めて世事の難(かた)きを知る。男子にとりて回天の世に生まるること甲斐あることなれど、ああ自刃して果てたる祖母、母、姉妹の犠牲、何をもってか償わん。また城下にありし百姓、町人、何の科(とが)なきにかかわらず家を焼かれ、財を奪われ、強殺強姦の憂目をみたること、痛恨の極みなり。(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書石光真人編著)

柴五郎明治維新日本近代史
 いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
 多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
 父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
 時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。
(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書石光真人編著)

柴五郎明治維新日本近代史