ドイツのうちでも、さまざまな宗派が信仰されている地域の職業統計を調べてみると、ある現象が突出していることに気づくものであり、これについてはカトリック系の新聞や文献でも、ドイツ・カトリック派の会議でも、さかんに議論されている。それは資本家や企業の所有者だけではなく、教養の高い上層の社員たち、とくに近代的な企業のスタッフで技術的な教育や商業的な教育を受けている人々のうちでは、【プロテスタント的な】性格の強い人々が圧倒的に多数を占めるということである。(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神マックス・ウェーバー:中山元訳)

資本主義
 79年に解き放たれた力は、20世紀のかなりの部分を支配した社会主義ユートピアの終焉の始まりを意味していた。五つの物語――イラン革命アフガニスタンでの聖戦の始まり、サッチャーの選挙での勝利、ローマ教皇の初のポーランド巡礼、中国の経済改革への着手――は、歴史の筋道を従来とはまったく異なる方向へと向かわせた。長年無視されてきた「市場」と「宗教」という二つの力が、猛烈な勢いで舞い戻ってきたのが、1979年だった。(『すべては1979年から始まった 21世紀を方向づけた反逆者たち』クリスチャン・カリル:北川知子訳)
【歌】
形声。音符は哥(か)。字はまた謌(か)に作る。哥は■(可-口/木の枝の形で、杖)で■(サイ)(神への祈りの文である祝詞を入れる器)を殴(う)ち、その祈り願うことが実現するよう神にせまるの意味で、「可(べ)し」という命令と「可(よ)し」という許可の二つの意味を持っている。欠(けん)は立っている人が口を開いて叫んでいる形で、神にせまるとき、その神に祈る声にはリズムをつけて、歌うように祈ったのであろう。その声の調子を歌といい、「うたう、うた」の意味に用いる。国語の「うた」も「拍(う)つ、訴う」と関係があるように思われる。詩歌(歌をうたうこと)の詠は声を長くのばす歌い方。歌は強くせまるような歌い方であろう。歌謡(うた)の謡(謠)は「わざうた」(時事の風刺などを含むはやり歌)で、祭肉を供えて神にねだるように歌うことをいう。唱はみなでそろって勢いよく合唱するという歌い方である。
(『常用字解 第二版白川静

漢字
 コロンブスは「異教徒のインディアンを聖なる信仰に改宗させる」と息巻いた。それは、何千人もの先住民を奴隷として輸出するための言い訳でもあった。先住民を捕らえようとして結局皆殺しにしてしまっても、たいした問題にはならなかった。というのも、先住民を殺した連中はこう言い逃れたのだ。彼らはキリスト教に接し、永遠の生命を得るチャンスを手にしたのだ、と。西欧人は同じ理屈を言って女を強姦した。コロンブス自身の言葉によれば、彼はむちで先住民の女を「激しく」打った後で、「快楽を味わった」という。(『キリスト教暗黒の裏面史 誰も書かなかった西欧文明のダークサイド』ヘレン・エラーブ:井沢元彦監修、杉谷浩子訳)