「改憲」は、「1946年に日本人は天皇を守れなかった」という歴史を意志的に固定する行為になってしまいます。それは将来の日本人の「国防の意志」に対して、ぬぐうことのできない汚損(おそん)を刷り込むでしょう。日本人によって一度演じられたそのような全面敗北は、将来また、起こしてやれるはずだと、外国人にも期待をさせてしまうでしょう。(『「日本国憲法」廃棄論兵頭二十八

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