それからわずか3カ月で、満州全土を占有し、昭和7年3月には反張学良派の民間人の要請に応じて、関東軍は身を退き、満州人による満州国を建国した。
 その仕掛人が、42歳の若き作戦参謀、石原莞爾〈いしわら・かんじ〉中佐だった。
「たった1万の兵隊で、近代装備の22万の張学良軍を制圧し満州全土を占領したとは信じられない」
 これが北京や天津、上海に駐留する英、米、仏、伊国武官たちの共通話題となる。当然ながら、天津や北京駐在のアメリカ軍の司令官からはワシントンの陸軍省、参謀総長のダグラス・マッカーサーにも報告された。報告されずとも、各紙が満州事変を報道していたから、全世界の人たちが知るところとなる。
(『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之)