種はあいまいで、さまざまに変る境界を持っているのである。何がそれを種としているのかは、場合によって異なる。もしも種に全体を統一させる性質があるのならば、それが何であるのか、私たちにはわからない。何かに属するということは、何かのクラスに属するということであって、何らかの本質が存在するという証明ではない。ある意味でそれは一時的な状態であり、やり直し可能である。決して、永遠で必然的なものではないのだ。私たちが人間という種に属するのであれば、それは、私たちが何か特別な性質を持っているからではなく、私たちが、自分の系統にそのように線引きをするからなのである。(『人間の境界はどこにあるのだろう?フェリペ・フェルナンデス=アルメスト長谷川眞理子訳)

進化
 ロバート・マートンの言葉を借りれば、人々がそうした信念を持つのは「自分自身の体験からこう結論せざるを得ない」と考えるからである。誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである。(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるかトーマス・ギロビッチ:守一雄、守秀子訳)

認知科学科学と宗教
 なぜかというと、西洋医学で治らない病気がいっこうに減らないからです。医学は長足の進歩を遂げていますが、治せるようになったのは感染症がほとんどで、ガンとか心臓病、糖尿病などは治すのが難しいのです。(『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている村上和雄、棚次正和)

 あるときは意識してる。普段は全然意識してないけど、意識して止めようと思えば止められるでしょ。そういう意味では「呼吸」という行動はちょうど意識と無意識の境目にある不思議な行動だ。(『進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線池谷裕二

脳科学瞑想
 1952年に行なわれた乳がんの女性たちの精神分析でも、同じような結論が出ている。その女性たちは「怒り、攻撃性、敵意を放出したり、それらに適切に対処することができない(そうした感情は「感じのよさ」という仮面の下に隠されている)」ことがわかったのだ。研究者たちは、この患者たちの解消されていない葛藤は「否認と非現実的で自己犠牲的な行動」の形で現れると感じた。(『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ:伊藤はるみ訳)

ストレス病気
「物事のうわべしか見ない浅薄な人間は、狭い自我の殻の中に閉じこもって、他人の苦悩に対して感受性を持つことができません」ラヒリ・マハサヤ(『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ:SRF日本会員訳)

ヒンドゥー教
 つらい修業といったって何年もつづくわけではないのです。長い人生のうちにほんの5年か6年、あるいは7年か8年、こういう思いをするのは当たり前だし、私なんか6年ちょっとの修業のおかげで、それ以後、自分が生活をし、女房、子供を養い、さらに私のお袋まで背負っていけるわけですから。そして振り返ってみますと、つらかったなんていうことも、考えてみるとそれほど大したことではないのです。しかも、わずか6年ちょっとの修業で、死ぬまでの間、おまんまがいただけるなんていうのは、考えてみれば、ほんとに安い修業ですし、短い修業だったと思います。(中略)ですから、そういうことを考えますと、我慢をしたかしないかということの差が、その人のあとあとの人生の勝負にずいぶん影響をおよぼすんじゃないかと思うのです。(『神田鶴八鮨ばなし』師岡幸夫)
 街頭の消えた夜道を歩きながら、停電が始まったらヨーロッパ人はどうするかを考えてみた。
 イギリス人はまず、歴史年表で「大停電」の前例を調べるに違いない。ドイツ人はさっそく精密な「停電一覧表」を作る。フランス人は、自分の家の停電が長すぎるとわめき立てるだろう。イタリア人は、この機をのがさずガールフレンドの部屋にしのび込む。日本人は――まち中を走り回り、ロウソクを買い込むかもしれない。
(『深代惇郎エッセイ集深代惇郎
 細川(※潤次郎)のいうに「ドウしても政府においてただ捨てて置くという理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬ」と言うから、私は自分の説を主張して「誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何のことだ、人間が当り前の仕事をしているに何も不思議はない、車屋は車を挽(ひ)き豆腐屋は豆腐を拵(こしら)えて書生は書を読むというのは人間当り前の仕事をしているのだ、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンナことは一切止(よ)しなさい」と言って断ったことがある。(『新訂 福翁自伝福澤諭吉

氷川清話日本近代史