兵とは詭道(きどう)なり。/戦争とは詭道――正常なやり方に反したしわざ――である。(『新訂 孫子金谷治訳注)

孫子
 本当に大組織化されていって、本当に問題が本質的なものになったときには、現場の知識の寄せ集めでは本質的な解決方法が出てきません。低い視点に縛られてしまって、局部的な場面でしか通用しない解決方法しか発想できません。それは真実のリーダーではないのです。(『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション苫米地英人
 病み臥した人にそれをいうつもりはないが、臥床(がしょう)するまでに家族との関係をどう築いてきたかで、その後の長く重い介護期の色合いが決まるのではないかと思う。(『寝たきり婆あ猛語録門野晴子
 アンクル・ルーロンは推定75人の女性と結婚し、すくなくとも65人の子どもの父親になっている。妻の何人かは、14歳か15歳で結婚しているが、彼のほうは80代であった。100パーセント服従しなければならない、と彼はよく説教のなかで強調している。「私はあなた方にこう言いたい、あなた方が教授できる最大の自由は服従のなかにある、と。純粋な服従は純粋な信仰を生むのです」彼はそう説教する。(『信仰が人を殺すときジョン・クラカワー:佐宗鈴夫訳)

宗教モルモン教信仰
小林●ぼくら考えていると、だんだんわからなくなって来るようなことがありますね。現代人には考えることは、かならずわかることだと思っている傾向があるな。つまり考えることと計算することが同じになって来る傾向だな。計算というものはかならず答えがでる。だから考えれば答えは出(ママ)るのだ。答えが出なければ承知しない。(『人間の建設小林秀雄、岡潔)
「ねえ、パレアナ、いまでは町じゅうがおまえといっしょにその遊びをしているんじゃないかと思うよ──牧師さんまでもね!(中略)町じゅうが前よりもおどろくほど幸福になっている──これもみな、人々に新しい遊びとそのやり方を教えた一人の小さな子供のおかげなのだよ」(『少女パレアナエレナ・ポーター:村岡花子訳)
 日本で最初に西洋哲学の講義、「ヒロソヒ」の講義をしたのは西周(にし・あまね)であり、哲学という言葉も彼の造語である。彼は「ヒロソヒ」を「希哲学」と訳し、ソクラテスを「希哲学の開基とも謂(いふ)べき大人(たいじん)」と呼んだ。(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること小林秀雄
「お前、溜飲の下がる味合を知ってるかえ、今の中(うち)、じっとして、思う存分、踏んだり蹴ったりされていなくちあその味合がねえじあねえか、なあに、なにをどうされたって、高々20年か30年の辛抱だ、今にこの勝麟太郎があ奴らの足許から、いやっという程引っくり返して泣きべそをかかせてやるよ」(『勝海舟子母澤寛

勝海舟
 これに勢いをました身延山久遠寺は、寛永9~10年の全国寺院の本末帳提出の折には、日蓮宗すべての派の総括を行なうようとの命令を幕府から得た。一方、不受不施派の頭目と目された妙覚寺に対しては、きびしい探索を行なうとともに、寛永10年の段階でもまだ不受不施の思想を持っているかどうかを本末帳の中に1カ寺ごとに書き入れさせた。
 それからさらに、身延山久遠寺は幕府権力を背景にしつつ不受不施派の弾圧にのり出していった。その手口は、幕府の法要のたびごとに不受不施派の不参加を口実に上訴するということであった。また久遠寺は寛文7年(1667)に江戸ならびに武蔵国などその周辺の不受不施派寺院を調査し、幕府にその弾圧をしばしば要請している。その結果、幕府は不受不施派に対して改派をせまることになった。しかし江戸だけでも242カ寺という不受不施派寺院の勢力は依然根強く、多くの人々の信仰をあつめており、簡単にはいかないようであったが、寛文9年(1669)4月には、日蓮宗不受不施派寺院が寺請をすることを禁じている。さらに元禄4年(1691)不受不施派とともに悲田宗をも禁止している。このようにして完全に不受不施派は禁制されることになり、その後公的な形での布教活動は困難になった。
(『庶民信仰の幻想』圭室文雄、宮田登)

信仰
「この一件で、お前はひどい目にあうことになる、そのことを忘れるな」
 私が言った、「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ」外に出てドアを閉めた。また開けて中に首を突っ込んだ。「〈タフ〉という見出しの項にな」ドアを閉めて階段を下りた。
(『初秋ロバート・B・パーカー:菊池光訳)
 いくら独自なものが存在していても、それが他者によって受けとめられるのでなければ、神秘は生じない。
 独自なものだけがあっても、また見つめるまなざしだけがあっても、この神秘は生じない。
 神秘はいわば、【あいだ】にある。
(『吉田加南子詩集』吉田加南子)
 実際には、生物のいろいろな性質(「表現型」といいます)は、DNAだけで決まっているのではなく、環境と生物との相互作用の中で決定され、それが細胞分裂や世代を超えて維持されるのです。「生まれ」という基板が、「育ち」によって影響を受けながら、やがて固定的な表現型を生み出すと考えるのが、現在の生物学の常識となっています。エピジェネティクスは、そのような環境要因がDNAの使われ方にどう影響するか、ということを扱う学問なのです。(『エピゲノムと生命 DNAだけでない「遺伝」のしくみ』太田邦史)