文字がふんだんに使われる社会とそうでない社会とでは、社会そのものの性質が違う。文字をもたない、あるいはまだ十分に用いない段階では、文字を必要とするような複雑で安定した制度を保てないから、社会の仕組みは単純で、ともすれば移ろいやすい。こうした社会では、制度のかわりに、しばしば壮大な建造物や魅力的な道具を用いた儀礼が人びと同士を結びつける役割を演じたり、服飾や持ち物が個人の地位や身分を明確に示したりする。文字不在のもとで、社会のまとまりや仕組みを保つ機能が、物質文化、すなわち道具や建造物に、より強く託されているのである。(『日本の歴史一 列島創世記 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』松木武彦)

日本史
「どこかのレストランやホテルのロビーで彼を見かけても誰ひとりとしてそれがイサー・ハレルと気付く者はいないだろう。それほど外見は平凡な男だ。しかし、ひとたびあの青い目に見つめられると心の平静さを失わない人間はいない。にらまれただけですでに監獄に打ち込まれたような気持に陥ってしまう」(『モサド、その真実 世界最強のイスラエル諜報機関』落合信彦)

モサドイスラエル
 従来の知能テストは、子どもの知能の「現下の発達水準」を見るものです。そのため、子どもが自分一人で、独力で解いた解答を指標として評価します。そこでは、当然、他人の助けを借りて出した答えは、何の価値もないと見なされていました。
 ところが、ヴィゴツキーは、子どもの発達過程を真にダイナミックな姿としてとらえるためには、このような解答をこそ大切にしなければならないと考えたのです。
(『ヴィゴツキー入門』柴田吉松)

心理学
 それはまちがいなく咆哮そのものだった。戦(おのの)き震え、必死で助けを求める、極限的苦痛を嘗(な)めさせられた者にしか発せられぬ咆哮だった。その苦痛は人間にはもはや耐えられぬもので、喉(のど)から訴えられるのではなく、肉体自身、肉や骨や神経が訴えるのだ。苦痛はそれらを強いて、最後の死にものぐるいの絶叫を絞り出させるのだ。(「黒い警官」ユースフ・イドリース:奴田原睦明訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』)
「無差別攻撃を受けて、サドルシティに住む私の友達は、3人が死に、2人が重症(ママ)を負った。デモクラシーとやらはどこにあるんだ?」(MFハイタム・タヘル)
アメリカは、バグダッドに自由を授けにきたと言っている。そんな嘘を、絶対に私は認めはしない」(セルマン)
(『蹴る群れ木村元彦

サッカー
 意識と脳の関係性は、「マインド・ボディ・プロブレム」と呼ばれる非常にやっかいな問題だ。今のところ、我々科学者には、物理化学的な神経系のはたらきと、主観的な私たちの意識感覚とのあいだをうまくつなぐような科学的な理論はない。意識の精神世界と、脳の物質世界とのあいだには、越えることのできそうにない巨大な谷がある。谷のこちら側には、物理の法則に従う、この宇宙で知られるかぎり最も複雑な器官である脳が存在する。そして谷のあちら側には、我々の経験、つまり、日々の生活で我々が見たり聞いたりするといった感覚や、恐怖不安欲望や愛、退屈さといった感情、つまり主観的な意識の世界がある。(『意識をめぐる冒険クリストフ・コッホ:土谷尚嗣、小畑史哉訳)
 進化論以前の比較解剖学の中でつくられた、相同という概念、基本設計の一致としてとらえられていた概念が、進化論が入った瞬間に、祖先を同じくする構造であると、定義が変わったわけです。(『解剖学個人授業養老孟司、南伸坊)
 マッカーサー元帥は2年半後、トルーマン大統領との意見が対立し罷免された。
 帰国したマッカーサーは、上院で、「第二次大戦は日本にとって自衛の戦争であった」とはっきり証言した。また彼は、トルーマン大統領と会見したとき、「東京裁判は誤りであった。あの裁判は戦争を防止するうえで何の役にも立たない」と告白している。
(『封印の昭和史 [戦後50年]自虐の終焉小室直樹渡部昇一

日本近代史
 5年ほど前、当時のソ連のミコヤン副首相と会ったときも、2時間ばかりのあいだに、人民解放の話が出ましたが、なごやかな話のふんいきのなかで、わたしは、あなたは人民を解放したといわれるが、日本の婦人解放をじっさいにやったのは、このわたしだ、と笑いながらいったものです。
 それはどういうわけか、とミコヤン氏がいうので、今日、日本の婦人たちは、台所にしばられていた以前にくらべて、遊ぶ時間ができ、本を読む時間をたくさんもつようになっているが、それは、わたしが家庭電気器具をずっとつくってきて、それを普及させたからだ、といったのです。するとミコヤン氏は、わたしの手をぐっとにぎって、おまえは資本家ではあるが、偉いといいました。
(『若さに贈る』松下幸之助)
 ある市場に入ってきている資金は、ほかのどこでも活用できる資金です。その資金には金利というコストがかかっています。そのコスト以上の利回りで運用されなければロスを出しているに等しいといえます。あるいは、インフレ上昇率以上の利回りが得られなければ目減りします。株式、債券市場の発行体も投資家もすべて自分が取ったリスクのリターンを欲しています。(『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ矢口新

為替
「ぼくらは、みんな、いつ気が狂ってもおかしくない状況にいた。民族主義者になることもファシストになることも、ここではたやすいことなんだ。だけど、けっしてそうはならない正常な精神が、サラエボにはまだ生きているということを示したいんだ」(『失われた思春期 祖国を追われた子どもたち サラエボからのメッセージ堅達京子
 自己を高めながら生涯を過ごしていければ、最高だ、と思う。近頃、おりにふれて感じるのは、人生の節目ごとに表情が明るくなっていって、最後に死ぬ時には笑っているような、そんな人間がいいな、ということだ。(入学考査・講演の感想文より 女子)『自由の森学園 その出発』遠藤豊

教育
 また、自閉症児は「対人関係を持たない」あるいは「持てない」ともいわれます。でも私は、これまでの臨床経験から、対人関係を持てないのではなく、対人関係を拒否するという形で彼らは人間関係を形成していると認識しています。
 たとえば、そばに誰か近づくと逃げるという行動をとる自閉症の子どもは、逆にいえば他人を意識しているがゆえに逃げる行動をとっていると私は考えています。
(『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか酒木保
 人は生まれるとき、自らの意志とは無関係に生を受ける。どこの世界や家庭に生まれるか、選択の余地はない。人生の始まりからしてそうなのだから、作為的に死を選ぶのは邪道であると私は考える。(『自殺死体の叫び上野正彦

自殺
 99年12月、タンクローリーが交差点で軽トラックと激突する交通事故が起こった。軽トラックは大破し、乗っている人が出てこなかったことからタンクローリー運転手は死亡事故を起こしたと思い込み、動転して約200メートル離れた鉄塔に上ってそこから飛び降り自殺した。しかし、実際には軽トラックの運転手に怪我はなく、無免許運転だったためその発覚を恐れて車外に出てこなかっただけのことだった。(『自殺のコスト雨宮処凛
「火のないところに煙を立たす策士も居る」(『時宗高橋克彦
時間のより深い次元」ということをやや唐突な形で述べたが、たとえて言うと次のようなことである。川や、あるいは海での水の流れを考えると、表面は速い速度で流れ、水がどんどん流れ去っている。しかしその底のほうの部分になると、流れのスピードは次第にゆったりしたものとなり、場合によってはほとんど動かない状態であったりする。これと同じようなことが、「時間」についても言えることがあるのではないだろうか。日々刻々と、あるいは瞬間瞬間に過ぎ去り、変化していく時間。この「カレンダー的な時間」の底に、もう少し深い時間の次元といったものが存在し、私たちの生はそうした時間の層によって意味を与えられている、とは考えられないだろうか?(『死生観を問いなおす広井良典
 拘置所、それは国家が在監者を拘禁し、戒護し、厳格な紀律にしたがわせる場所である。在監者の側からいえば、時空にわたっての、あらゆる自由が制限されるところである。囚人に残された最後の自由、生きることまでが制限されているのが死刑確定者なのである。(『死刑囚の記録』加賀乙彦)
 狂気は死者のみならず死そのものを経験するのである。(『死と狂気 死者の発見渡辺哲夫
 かつてアメリカの心理学者、ウィリアム・ジェームズ(1842-1910)は、「我々は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」との考えを主張した。ほとんど同じ時期に、オランダの生理学者のカール・ランゲ(1834-1900)も同じことを言い出したので、「ジェームズ=ランゲ説」と呼ばれている。(『子供の「脳」は肌にある』山口創)
 多くの事例に当たってみると、そうした子のほとんどが、なんらかのかたちで「生活が勉強だけ」という期間を、しかも小学校時代から、かなり長く過ごしている。(中略)生活が勉強だけという日常は、とくに親に対して抵抗力を持たぬ小学生にとっては想像を絶する重圧であり、虐待である。そのような不断の虐待の末に、ようやく「勉強する生活に慣れて」、つまり適応させられ、改造されてゆく。
 これは一種の精神的「ロボトミー人間」ではないのか。(中略)だが、中学・高校とすすみ、体力も父親を越えるほどになったロボトミー人間が、あるとき突然目覚めたらどうなるか。「人生を返せ!」とは、ロボトミー人間が本来の人間に戻ったときの叫びなのだ。
「過保護」という言葉がよく使われる。しかし以上のような形での親の干渉(より広くは社会の干渉)は、むしろ子どもの多様な発展の可能性を刈りとって、一本のモノサシに合わせてしまうための「過虐待」であろう。となれば、家庭内暴力はその長い「過虐待」や「過干渉」に対する子供の側からの反撃であり、復讐と見ることもできる。まず直接的「加害者」としての親に対する復讐であり、結局はしかし、社会に対する復讐だ。
(『子供たちの復讐本多勝一
 われわれは弛緩の時代にいる。ぼくは時代の色彩のことを言っているのだ。(『こどもたちに語るポストモダン』ジャン=フランソワ・リオタール:菅啓次郎訳)
 結局、都市というのは、凡庸であることがひとつの才能と見なされるような場所なのだ。それどころか、凡庸は、都市生活者にとって唯一の有効な才能だ。なぜなら、都市という人間の集積場が、そこに集まる一人ひとりの個人に期待する個性は、不特定多数の他人と似ているということだけだからだ。(『山手線膝栗毛小田嶋隆
「否とよ、恋は路傍の花」(『三国志吉川英治
 この人生を生きていくうえに、人様の喜びを素直に手を取り合って喜び合うことのできない人生、人様の悲しみを悲しんでやることのできない人生、それはわらくず同然だと私は思います。生きていく甲斐のない人生だと思います。(『妻として母としての幸せ藤原てい

藤原正彦
 ロボトミーを開発したポルトガル人の医師エガス・モニスは「一部の精神病に対するロボトミーの治療効果の発見」により、1949年にノーベル賞を受けている。時代の流行というのは恐ろしい。今日ロボトミーは全く行われていない。(『やがて消えゆく我が身なら池田清彦
 一代前の教皇ヨハネ・パウロ1世(在位1978年、俗名アルピーノ・ルチャーニ)は、就任からわずか33日後に不審死を遂げ、〔プリヴァータ・イタリヤーナ銀行事件を起こした〕シンドーナは獄中で、青酸カリという〔リキュール〕の混じった、湯気の立つコーヒーで毒殺された。ほかに、未解決の殺人事件も起きていた。銀行家ロベルト・カルヴィがロンドンの黒人修道士(ブラックフライヤーズ)橋〔=テムズ川にかかる橋〕の下で、息絶えた状態で発見されたのである。
 こうしたスキャンダルが再発する事態はあってはならなかったし、もちろんいまもあってはならない。さもなければ、信者と神の声を広める教会との信頼関係にひびが入ってしまう。もしふたたび沈黙が破られたらどうなるだろう。「知らぬ存ぜぬ」という秘密厳守の態度と、内部の人間どうしの先入観がフィルターになって、いまのところは外から事実が見えにくいようになっている。もしその状況が変わり、バチカンによる経済活動の真実が一瞬でも明るみにでたら、どうなるだろうか。バチカンの役割と機能の正当性を問う声が高まり、イメージ回復にかかる代償は計り知れないものになるだろう。
(『バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手』ジャンルイージ・ヌッツイ:竹下・ルッジェリ・アンナ監訳、花本知子、鈴木真由美訳)

キリスト教