わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、〈中央ロンドン孵化・条件づけセンター〉の文字と、盾形紋章に記した世界国家のモットー、“共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)”。(『すばらしい新世界オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳)

ディストピア
 実はこのベン=ナメシェの本の一章にあるスパイ・プログラムが扱われているのだ。問題は、このプログラムが「トロヤの木馬」として世界中に売り出されていたことである。そのプログラムの名前は「プロミス」という。しかし市場でうられたときには異なる名前だったようだ。このプロミスは、関係書類は処理したり、報告書などの文書をデータベースに記憶させるソフトウエアだった。(『データ・マフィア 米国NSAとモサドによる国際的陰謀』E・R・コッホ、J・シュペルバー:佐藤恵子訳)
 最澄の父の名は三津首百枝(みつのおびともえ)と伝えられる。三津首浄足(きよたり)という名称が最澄の戸主として記録されているけれども、戸主が必ずしも父であったとはかぎらない。現在の資料ではこれ以上のことはわからないが、三津首家は後漢の孝献帝の子孫である登万貴王を祖先とする家柄であり、応神天皇の時代に来日し、近江国滋賀郡に定着した人々の子孫であろうと推測されている。(『最澄と空海 日本仏教思想の誕生立川武蔵

最澄空海
 20世紀のはじめには、選挙結果や野球の試合のスコアを聞くために、大都市の新聞社の外に群衆が集まるようになった。電信は軍事作戦でも重要な役割を果たした。はじめて使用されたのはクリミア戦争中の1854年、ヴァルナにおいてで、その後はアメリカ南北戦争でも使われている。エイブラハム・リンカーンは、戦場にいる軍隊をホワイトハウスから指揮することができた最初の合衆国大統領となった。電信が登場する以前には、大統領は遠くで行なわれる戦争の戦場報告を数日、ときには数週間も待ったのである。(『黒体と量子猫 ワンダフルな物理史ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳)

科学
発行銀行券」は、形式上では「負債の部」に計上されてはいるが、実質的には返済義務を伴わないので、負債ではないのだ。(『国債を刷れ! これがアベノミクスの核心だ廣宮孝信
 ここで強調しておきたいのは、外交の世界において、論理構成は、その結論と同じくらい重要性をもつということだ。(『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて佐藤優

検察
 だから、マルクス・レーニン主義という顕教の面ではスターリン体制と切れているけれど、密教の面では連続しているわけです。つまり、実は、エリツィン時代、プーチン時代というのは、ユーラシア主義という密教においてスターリン時代と繋がっているんです。(『国家の崩壊佐藤優宮崎学
 どういうことかと言うと、中華人民共和国になってから略字を大幅にとり入れる文字改革が断行されましたよね。どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。ですから、中華人民共和国で標準的な教育を受けている人間は、戦前の文献、古代の文献が読めないんですよ。(『国家の自縛佐藤優

中国
(※スリランカ)政府が長年、貧民救済のためと膨大な補助金を出し、財政立て直しの邪魔をしてきた安い小麦粉は「米よりパンを好む金持ちのためよ、調べてごらん」と教えてくれたのも彼女だった。そのとおりの調査結果にアマ(※お母さん)の言葉を添えて提言したら、クマラトンガ大統領は、気付かなかった、恥ずかしい、ミエコのアマに礼を言うと、即時補助金廃止を決断した。その報告に「チャンドリカ(大統領)に、草の根を忘れてはいけない、いつでも私の家に泊めてあげるから、と言ってあげなさい」と、淡々としたアマだった。(『国をつくるという仕事西水美恵子
 いくら目隠しをされても己は向く方へ向く。
 いくら廻されても針は天極をさす。(「詩人」)
高村光太郎詩集高村光太郎

詩歌
 そうとも、その匂いにとらわれるとき、彼を愛せずにいられないのだ。自分と同じ人間として受け入れるだけでなく、狂ったように愛しだす。忘我のきわみに陥るだろう。よろこびにふるえ、陶酔の声をはりあげ、泣き出しさえするだろう。(『香水 ある人殺しの物語パトリック・ジュースキント池内紀訳)
 魂までが凍てついたとしても、
 その先にあるのは破滅ではない。
 命の炎はしっかりと燃えている。
(『荒野の庭』言葉、写真、作庭 丸山健二
(※米・英・露と和親条約を結んだ日本の、国内における擾乱を予想しつつ)
「こういうときにわたしたちはどうしたらよいでしょう、教えていただきたいのです」
「学問に身を入れるのです」
「いえ、いつ擾乱(じょうらん)が起こるかもわからないこの時代を、見て見ぬ振りはできません」
「だから学問をするのです」
「は?」
「力をつけるのです。世の中はこれから大きく変わっていくでしょう、かならず福沢でなければならないということがある。そのときにすぐ役立つためには力をつけておかねばなりません。さらにいうなら、世の中を動かしていく福沢になってほしい。そのために力をつけなさい」
「はい」
「この塾は全精力を注ぎ込んで、一途に学問するところです。勉強は君がするのです」
(『洪庵塾の人々』池上義一)

福澤諭吉
 いまでは、チョムスキーの提起したさまざまな問題を研究する学者の数が、何千人にも達している。チョムスキーは、人文科学分野でしばしばその言が引用される人物トップテンに(ヘーゲル、キケロを抜き、マルクス、レーニン、シェークスピア、聖書、アリストテレス、プラトン、フロイトに次ぐ8位)入っている。しかも、トップテンでただ一人、存命中だ。(『言語を生みだす本能』スティーブン・ピンカー:椋田直子訳)
 もとより記憶とは、自身の内部(なか)に懐かしく立ち現れる、かく在りきイメージの再現行為などではなく、現在(いま)を分水嶺として、はるか前後へと連なっていく大いなる時間に向けて、したたかにかかわっていく心の領域のことだと思うからである。(『犬の記憶』森山大道)
 教条主義のもとでは、教条の正しさの過大評価、教条の適応範囲の過大な解釈(たとえば、物理現象を宗教的原理で説明するなど)、教条の異なる他者への不寛容や加罰傾向が生じる。(『権威主義の正体岡本浩一

権威
 一局終わると体重が2~3キロ減ってしまう。頭を使っていると水分をどんどん取られていくようで体重が落ちてしまうのだ。(『決断力羽生善治

将棋
 被疑者は密室である取調室に閉じ込められてしまうと、心理的に追い詰められてゆく。人間というものは生きている限り、他者とのかかわりのなかにいる。平素はそのことの重大性に気づかないが、法的強制によってそういうかかわりから遮断されると、心の安定性を失い不安でたまらなくなる。妻はこの事態をどう受け止め、どのように処しているのか、子供にはどう説明したのだろうか。同僚は、両親は、親戚は、近所の人は……。
 被疑者は多くの場合、この心理的重圧のなかで自供に追い込まれてゆく。
(『警官汚職読売新聞大阪社会部
 私がよく聞いていようといまいと、母の話は止まらなかった。「種は木から生まれて、やがて木になるわ。種が種であるのは一時的なことでしかないのよ。種から木へ移り変わるのだから、なぜ種であることにとらわれるのかしら? 同じように、私たち人間それぞれも個別性を持っているけれど、その個別性は一時的なものでしかないのよ。私たちの個別性は実際とは違って見かけだけかもしれないわ。坊やは、私がいなかったら存在するかしら? あなたが食べている食べ物なしに存在するかしら? 自分が座っている地面なしに存在するかしら? 私たちの個別性は実際には他者に依存しているのよ。個別性は他者とは分けられないものなの」
 母は無学だったが、ジャイナ教の文学の多くの歌や詩、韻文を諳(そら)んじていた。
(『君あり、故に我あり 依存の宣言サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳)
 縁起という思想は釈迦の時代からあったが、空の思想は原始仏教、部派仏教においてはそれほど大きな存在ではなかった。無我思想、非我思想というのは実質的には空の思想と同じ意味を持っているものであり、そういう意味では大きな思想であったが、竜樹までは縁起ということと空ということは違う流れとして伝えられてきた。竜樹は歴史的には別であった二つの思想を結びつけたのである。(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ立川武蔵

仏教
 しかし、授業の中で子どもが集中するちからをもっているというのは、可能性としてもっているので、教師がきびしく授業を組織するのに成功するときだけ、それは引き出されて現前する。(中略)子どもが集中する力をもっているということは、集中すべき対象があるときには集中するということで、それは同時に、その対象が欠けているときには、とめどもなく散乱する。どうしようもなく散乱するということなのです。それがすなわち子どもが集中する力をもつということなのです。集中すべき対象が欠けているときでも、「集中」しているというのはウソです。にせものです。行儀よくしていることと集中していることとは全く別の事です。(『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと林竹二

教育
 インドにしても中国にしてもそうですが、それまで大英帝国に対抗できるような国はアジアに存在しないと考えられていました。それを日本がものの見事にやってのけた。その衝撃と影響は東南アジアから中東にまで及んでいるのです。それは米英からみれば、日本ほど恐ろしい国はないということになります。日本を二度と立ち上がれないように封じ込めなければならない、と。そして日本の敗戦後、ただちに大日本帝国を五つに分割し、日本を断罪するための極東軍事裁判(東京裁判)を開きました。(『この国を呪縛する歴史問題菅沼光弘
野口●僕の言うことはいつも結論が出せないんです。唯未決定論ですね。本書にも書きましたが、唯情報論は言い換えれば、唯差異論、唯変化論、唯流動論、唯関係論……和語で言えば、唯こと論です。「こと」というのは漢字をあてはめるとわかりやすいです。言葉の言(こと)、事柄の事(こと)、事実の事(こと)、異なるの異(こと)、殊にの殊(こと)、和語ではこれらの意味すべてをひっくるめて「こと」と言っています。和語はそういうふうに意味の範囲が広い。「ことば」という言葉は、このような「こと(差異)」の端を全体から抽き出して名づけたものだと言えるでしょう。(『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三)
そしてまたこの息 ――息、消える、呼吸するために。呼吸、そして消える。――この息、まさにこの瞬間、詩が持つであろうことば、詩が持つようにおもわれることば、とどめられたことばを見て、わたしたちがわたしたちの終わりが遂げられた、と考える、その瞬間のなかに。(『デュブーシェ詩集 1950-1979』アンドレ・デュブーシェ:吉田加南子訳)
 私の基本的な考え方は、あなたがトレードしているのは市場ではなく、あなたがトレードできるのはマーケットについてあなたが信じていることだけであるということだ。(『新版 魔術師たちの心理学 トレードで生計を立てる秘訣と心構えバン・K・タープ
 とはいえ、同じキリスト教ならば、プロテスタントよりはカトリックの方が、バランスが取れていると私は思います。なぜなら、カトリックは聖職者というプロの階級を通して神と信者がつながっている。ところが、プロテスタントでは信者と神が直接つながりますから、プロ(聖職者)による調整が行われず、信者は「自分が聞きたいと思う神の声」を聞いてしまう。これは非常に危険なことです。私のもっとも嫌いな「狂信」へと暴走しかねない。(塩野七生)『ヴァチカン物語塩野七生、藤崎衛、ほか
 恐ろしい戦争は恐ろしい結末を迎えることとなった。アメリカ原子爆弾を最初に広島に、続いて長崎に落とした結果、20万人もの人びとが瞬時に殺された。その後、さらに何万人もの人が原子爆弾の後遺症で死んだ。

「願わくは、原爆投下が神の貴き目的実現のための御業であらんことを」ハリー・トルーマン大統領

 原爆投下以前に、日本の敗戦はすでに確実になっていた。原爆投下の主な目的は、アメリカのあたらしい大量破壊兵器の恐るべき殺人力を世界に見せつけることにあった。

(『戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由』ジョエル・アンドレアス:きくちゆみ、グローバルピースキャンペーン有志訳)