六者協議の実質は、いまやアメリカロシア中国、朝鮮で構成される「核クラブ」によって、日本の核武装を封じ込めるための国際機構になりつつあります。六者協議の共同声明にある「北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力」というのがまさにそれです。日本の核武装を封じ込め、日本の発言力を低下させ、金だけを出させる仕組みにしようととしている。このままでは日本は拉致問題はおろか、北朝鮮の核問題に対しても何の発言力もなく、お金だけむしり取られるカモという状態になります。(『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報菅沼光弘
 国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会ノーム・チョムスキー鈴木主税訳)

メディアプロパガンダ
 もし日本が核武装したとき一番最初にどこを核攻撃するか。平壌や北京ではなく、ニューヨークやワシントンに飛んでくると、アメリカは本気で考えているのです。それはなぜか。「報復」という言葉があります。「目には目を。歯には歯を」つまり広島、長崎です。我々は一切意識していないが、アメリカ陸軍の刑法典には、「報復は正義」と書いてある。報復は認められ、許されるんです。我々がアメリカにやられたということで、日本がアメリカに核兵器を撃ち込むということは違法にはならない。今、日本が核を落とされた唯一の国として、本当に心から全世界の平和を求めて、核を持たないことを宣言して、崇高なる平和国家として世界に立ち向かおうとしていますが、世界はそれを信じていないというのが現実です。したがって、責任ある政治家としては、核武装を一方的に主張することはできない。(『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】中丸薫菅沼光弘
 男にしろ女にしろ、五十代になれば、人は真の貌(かお)をもつ。その貌には明達(めいたつ)が欲しいものである。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 若いうちに幸運をつかまされた者に、人生がもっている幽玄な綾(あや)はわからない。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 復讎(ふくしゅう)は道義上赦(ゆる)されても、それをおこなうことによって、自分の何か肝心なものが死ぬ。怨みは、じっとかかえているのがよく、それを晴らさぬがゆえに、人を強く生かしつづける。怨みを晴らせば、生命力が殫尽(たんじん)する。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 やまい、についていえば、史書にかぎらず明確に書きわけられていて、病(へい)、は重病、重態で臨終が近いことを示している。死に至るやまいでないもおのは、疾(しつ)と書かれる。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「運には盛衰がある。しかし徳には盛衰がない。徳はかたちのない財だ。その財を積むにはしかず、だ」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 人が人に遭遇することは、小さな奇蹟を産む。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「決断をおこなえぬ王の下ではかならず奸臣(かんしん)がはびこる」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「いまおっしゃったことは、わたしばかりでなく、天も聴いていたでしょう。言動が天を振(うご)かせば、かならず天祐(てんゆう)に遭います」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 ――あのふたりは、何かにとらわれている。
 ふたりは意のままに行動しているようにみえていながら、目にみえぬ大きな檻(おり)のなかで右往左往しているにすぎない。
(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「賈市は最初の歩幅が肝心です。その歩幅が小さければ、ゆきつく先は、たかが知れている。大胆に踏みだしておく。この歩幅に馴(な)れることです」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 かれは人をくるむような微笑をもっている。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 時代を超え、デマレストの教えが蘇る――一つの方法に捕われるな。考え方を変えろ。一羽の黒い鳥ではなく、二羽の白い鳥を見ろ。一切れがなくなったパイ全体ではなく、一切れのパイを見るんだ。ネッカーの立方体(透明な立方体の線画。見方によって向きが逆になる)の内側ではなく、外側を見てみろ。形態(ゲシュタルト)を把握するんだ。それで自由になれる。(『メービウスの環ロバート・ラドラム:山本光伸訳)
「ソ連軍の攻撃下で、食物がなくラワシイ(ワラビに似た植物)や草を食べていた。エネルギーが尽きかけていた時、マスードが、5~6人の戦士とやってきた。我々に食物がないのを知ると、彼の持っていた食物をすべて置いていった。それで我々は力を得て、また戦った。私は知っている。彼が勇敢で偉大な人であるということを。彼のような人は、アフガンの歴史の中でもう生まれないだろう。彼の能力が全アフガニスタンに広がればよいと思う」(マラスパの地区司令官、モスリム)『マスードの戦い長倉洋海
 人は会社を辞めるのではなく、そのマネジャーと別れるということだ。かつては優秀な人材を引き留めるために莫大な金が投入されてきた。給与を上げ、特典を与え、高度なトレーニングを提供するなどの手を打つためだ。ところが定着率は、たいていの場合マネジャーの問題なのだ。もし定着率が悪かったら、まずマネジャーに注意を向けるべきだろう。(『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違うマーカス・バッキンガム&カート・コフマン:宮本喜一訳)
 ジョン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたちノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝訳)

ユダヤ人ホロコースト
 1920年代のはじめに、あるジャーナリストが(アーサー・)エディントンに向かって、一般相対論を理解しているものは世界中に3人しかいないと聞いているが、と水を向けると、エディントンはしばらく黙っていたが、やがてこう答えたそうだ。「はて、3番目の人が思い当たらないが」。(『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまでスティーヴン・ホーキング:林一訳)

相対性理論
 言葉の歴史の分析から得られるこのような特色は、おそらく今日にいたるまで続いている日本人の美意識の特質を物語るものとしてきわめて興味深い。その特質とは、第一に、「うつくし」がもともと愛情表現を意味する言葉であったことからも明らかなように、きわめて情緒的、心情的であるということであり、第二に「くはし」「きよし」に見られるように、日本人は、「大きなもの」「力強いもの」「豊かなもの」よりも、むしろ「小さなもの」「愛らしいもの」「清浄なもの」にいっそう強く「美」を感じていたということである。このことは、西欧の美意識の根となったギリシャにおいて、「美」が「力強いもの」や「豊かなもの」と結びついていたのと、対照的であると言ってよいであろう。(『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い高階秀爾