学ぶということは、教えられたことを踏み台にして、答えてくれる者のいない世界を問うことでなくて、何であろう。人は答えてくれない。が、天や地や水は答えてくれる。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 あえていえば、人は自分の計算におさまる人を心から尊敬しない。人は敵対者を恐れるよりも、助言者に用心しなければならぬ。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 義侠とは、利益のみえぬ虚しさにおのれを投擲(とうてき)することである。虚しさそのものに同化することである。その虚しさはつねに死に隣接しており、そこに飛びこむことは自己へのこだわりを棄てることになり、そこから脱することは新しい自己に遭遇することになる。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 孫子(荀子)という儒者は激しいところのある人で、いまの世に妥協しておのれに満足する者を、憎悪していた。孫子は、蔽(おお)われている人が嫌いなのである。世は変化する。それゆえ、世に役立つ者になるためには、自己を改革しなければならない。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 孫子(荀子)は速成をきらった。人より速く歩いてみせようとする者は、間道をえらぶうちに、けっきょく大道を見失って迷ってしまう。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 最近、よく「旬産旬消」(※その季節に採れる旬のものをその季節に消費する〈食べる〉こと)とか「地産地消」(ある地域で生産されたものをその地域で消費すること)とか言われるけど、ヨーロッパの国々は、工業製品は別にして、基本的に食糧に関しては、半径30キロ以内で全部生産し消費するという考えを持っているようだ。一つの都市とその周辺の田園地帯が一体ということだ。だから、どんなに安くても、シナ(中国)でつくったものは持ち込まないというのが、ヨーロッパ人の見識。どこでどんなふうにつくったかよく分からないような冷凍食品は輸入しない、食べない。地元のしか食べないというのはコスト高だけれど、そのコスト高をあえてやることが文化だ、というのが彼らの発想なんだね。こういう見識、発想は日本人も見習うべきだ。
 これは教育の問題だと思う。日本人は日本でつくったものを食べる。これが日本の文化なんだ、と教育することが大事だね。
(『ドンと来い!大恐慌藤井厳喜
 このような状況では、逃げ道は一つしかない。すべてを他の者のせいにすることである。ファシズム全体主義によって解決し、克服し、調和させることのできない矛盾は、外部の脅威たる敵のせいである。目に見えない魔物との戦いは、目に見える特定の人間や勢力との闘いに代えられなければならない。(『ドラッカー名著集9 「経済人」の終わりP・F・ドラッカー上田惇生訳)
 資本主義社会のあとが、今日の転換期としてのポスト資本主義社会である。資本主義のあとの社会というだけのことで、特質がいまだ定まっていない社会である。このポスト資本主義社会のあとに来るものが、おそらく知識社会である。その頃には、お金中心の社会があったことなど誰も信じないだろう。(『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて上田惇生
 自力で新聞を読みこなせない層のためのテレビ版新聞ダイジェストをニュースショーと呼ぶのだとするなら、ワイドショーは、ニュース解説に読後感まで付け加えた一種の完パケ商品だ。「どう考えるか」のみならず「どう感じるか」までをすべて丸投げにした完全なおまかせニュース商品。
 たとえば「アッコにおまかせ!」では、文字通り和田アキ子という一人の代理オヤジに世界の解釈が丸ごと委ねられている。で、日曜日のオヤジの無気力につけ込む形でアッコ節が炸裂する。末世だ。
(『テレビ標本箱小田嶋隆

テレビ
 なかには、新聞もインターネットも見ない、ニュースはテレビだけという人もいるでしょう。しかしテレビのニュースは、ほとんど信頼性がないと思ったほうがよい。ニュースの中身、分析、意味づけという点で、非常に確実性が低い。インターネットの信頼できるサイトでもいいし、新聞でもいいし、メールマガジンでもいい。何でもいいから、テレビ以外からニュースを集めるようにしてください。(『日本人が知らない世界と日本の見方 本当の国際政治学とは中西輝政
 現状、若手芸人が求められている役回りは、イジメ被害者の「モガキ」だ。で、その七転八倒を、われわれは「笑い」として消費している。要するに、われわれの社会は、誰かが恥をかいたり、痛い目に遭ったりしている姿を大勢で眺めて笑うという、集団リンチにおける爆笑発生過程みたいなものを産業化しているわけだ。でなくても、お笑いの世界は、新人部員に裸踊りを強要する体育会系や、準構成員を家畜扱いする暴力団組織と同質のサル山構造でできあがっている。(『テレビ救急箱小田嶋隆
 鹿肉料理に使われるレシピやハーブ類、ワインや調理法さえあれば、古靴だって美食家を満足させることだろう。(『チャーリーとの旅ジョン・スタインベック:竹内真訳)
 一行は(※広島の原爆)資料館に入った。約1時間かかったというから、長い方である。(※同館の平均の見学時間は30~40分)
 チェは、館内のさまざまな原爆による被害の陳列品を見るうちに、見口氏(※広島県の外事担当)に英語でいった。
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」
(『チェ・ゲバラ伝三好徹

ゲバラ
 講談は読むという。
 義太夫は語るという。
 落語は話すという。
 長唄は唄うという。
 この差を楽しむだけでも日本の芸能は面白い。
(『タレントその世界永六輔
 子どもたちのなかには養女がいます。メムナちゃんといいます。妻エリザベスさんの姉の娘です。
 3歳になるメムナちゃんですが、彼女もまた、反政府軍によって右手を切り落とされていました。
(『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白後藤健二

少年兵
 一貫して勝つ人間には、他人とは違った思考力があるのだ。(『ゾーン 相場心理学入門』マーク・ダグラス:世良敬明訳)
 島に隔離されると、サイズの大きい動物は小さくなり、サイズの小さい動物は大きくなる。これが生物学で「島の規則」と呼ばれているものだ。(『ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学本川達雄
 東京・地下鉄大手町駅から歩いて1分、ビジネス街の一角に平将門の首塚が祀られています。そばにある三井物産の役員室は、全部そこにお尻を向けないように設計されています。つまりエリートビジネスマンが平将門の霊力を信じて畏れているということです。これは1000年単位で続いている迷信ですから、相当に強く洗脳が維持されていると言えます。(『スピリチュアリズム苫米地英人
「だが、ぼくにとっては他人のことは自分のことなんだ」(『スカラムーシュラファエル・サバチニ:大久保康雄訳)
 人は人によってしかるべき位置にさだめられる。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 ――この世には、目にみえぬ位階がある。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「人は、生きていることを、他人とはちがう表現において証拠立てよ」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「人の徳は弱者をいたわるところから発する」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 儒教がなぜ、楽、を尊重するのか。わかる者は稀有(けう)といってよい。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 人の声は、その人を生かしている魂魄(こんぱく)が立てる音である。汚れた魂魄は、汚れた音を立てる。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 聖人とは、神の声を聴くことのできる人をいう。
 それゆえ、予言を的中させた人も、神の声の伝達者とみなされ、聖人とよばれるのである。
 ただし卜占(ぼくせん)をおこなう者は聖人とはよばれない。かれらは聖職者であり官人でもあったのだが、一種の技術者とみなされ、その技術に伝統があるがゆえに、かれらの予言は有識者を驚倒させない。
(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「寿春(じゅしゅん)の春平〈しゅんぺい〉さんは物堅い。あくどい売買をしたことを、いちどもきいたことがない」
 諸国の賈人(こじん)のなかで、父がほめたのは、春平ただひとりである。
(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 苦しみに遭遇したとき、その苦しみからすみやかにのがれようとするから、かえって苦しみに捉(とら)えられる。
 ――いっそ苦しみを満喫(まんきつ)してやれ。
 と呂不韋〈りょふい〉はおもった。
(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「青という色がある。その色は藍(あい)という草から取るが、藍よりも青い。人は青になりうるのだ」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 が、この呂不韋〈りょふい〉の師だけは、みなうつむいて歩いているのに、まなざしが高い。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
「天下に名が知られるようになったら、天下とともに仁(じん)を楽しめ。天下に名が知られなければ、塊然(かいぜん)として天地のあいだに独立して、畏(おそ)れてはならぬ」(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 道家(どうか)では、
「衆の力と知恵」
 が尊重される。王に万能を求めるより大衆に依存するほうが国家は安定しやすい。
(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 戦乱という実相は、人の願望がついえる場でもある。端的にいえば、生きたいと今日願っても明日には戦場で死ぬ。そういう現実が君主から庶人まで、つねにかたわらにある。(『奇貨居くべし宮城谷昌光
 アメリカ中国は、表面的には対立していても裏の情報世界ではもともとツーカーなんです。そもそもCIAの前身OSS時代には、長官ドノバンの命令でOSS要員が延安の共産党根拠地に出向いて、対日抗戦を支援していた。60年代の中ソ対立時代も米中はあらゆる場面で結託してソ連に対抗していたし、79年のソ連アフガニスタン侵攻で、ムジャヒディンを支援しタリバン政権を後押ししたのも、米中の情報機関です。スパイマスター周恩来によって育まれた中国共産党の情報機関、中央委員会調査部は胡耀邦総書記の時代、公安部の一部と合併、国家安全部として、現在では、かつてのソ連のKGBをしのぐ巨大組織になっています。(『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘
 テロとは何か。それを客観的に定義することは困難ですが、簡単にいえば、「政治的目的をもって実行される暴力」です。テロという言葉の起源を辿れば、フランス革命にまで遡ります。(『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘
 しかし現実には、工業化のための前提条件は、当時すでに十分に満たされていたのである。国を開いた19世紀半ばには、日本には貧富の極端な差はなく、富は広く分配されていた。また手工業の教育訓練を受け、学習意欲のある、というより学習熱に取りつかれた若者がたくさんいた。見事に運営された学校制度があった。総人口との比率で比較すると、ほとんどすべてのヨーロッパ諸国よりも多くの人たちが読み書きができた。
 数世紀前から国内市場が栄え、見事に張り巡らされた交通網と、それに付随する道路、運河、船の航路といった産業基盤も完備していた。資金は、贅沢を第一に考える人たち、ではなく、投資事業に意欲を持った人たちの懐の中にあった。
(『驕れる白人と闘うための日本近代史松原久子:田中敏訳)

日本近代史
 井上(ひさし)氏は、『国家の罠』について、「過去、十数年に読んだノンフィクションの中でいちばんよかった。10年前ならば10万部を軽く超えることになった。今は出版不況だけれども7~8万部は売れる。ただし、影響は部数よりもはるかに大きく、20万部くらい売れた本と同じくらいになる」と見通しを述べた。(『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源佐藤優
 言語は基本的に左脳でやっています。漢字を読むところは、側頭葉です。一方、仮名を読むところは頭頂部に近い上のほうなんです。だから左脳の上が壊れると仮名が読めなくなって、下が壊れると漢字が読めなくなる。
 面白いのは、漢字読みができなくなった人は、漫画がわからなくなることです。実は漫画は漢字と同じで、意味を表す図形だからです。それに音声を振っている。これが、吹き出しです。吹き出しは、ルビなのです。
 日本語の成立と同時に、漫画が成立してきます。絵があって詞書(ことばがき)が付いてくる。それが、いつのまにかその詞書が漫画の中では吹き出しに変わってくる。吹き出しを会話だと思っている人が多いけれど、そうじゃない。あれはルビです。あの部分は音声、音なのです。そして漫画の絵そのものが漢字なのです。
(『バカにならない読書術養老孟司池田清彦、吉岡忍)