「日本的会議」の弱点はアイディアを出さない人でも偉そうにしていられるところにあります。
 本来、会議において偉いということは、課題状況を乗り切る具体的アイディアを出せることを意味します。質の高いアイディアを次々に出せる人がその会議では序列が高くあるべきなのです。
(『会議革命齋藤孝
 本来のお釈迦さまの教えには、曖昧(あいまい)なことも、難しいこともなく、常に合理的で、科学的で、論理的。とてもシンプルです。誰にでも理解できる事実を元にして、誰にでも実践できる幸せへの道を、お釈迦さまは私たちに教えてくれています。
 教えのとおりにしなければ不幸になる、などと脅かすようなこともありません。幸せへの道を教え、やり方を示してくれますが、それを押しつけたりはしないのです。
(『老いと死についてアルボムッレ・スマナサーラ
「人生は短い」とジェイスンは言った。「それに順調なときはさらに短いんだ」(『流れよわが涙、と警官は言った』フィリップ・K・ディック:友枝康子訳)
「偏愛マップ」とは、その名の通り「偏(かたよ)って愛するもの」を一枚の紙に書きこんだマップです。「ちょっと好きなものマップ」とは違います。偏愛でなければなりません。人との嬉(うれ)しい出会い、通じあう楽しみ、いい人間関係というのは、【互いの偏愛やクセの結びつき】によって起きるからです。偏愛と偏愛の融合、こうした「偏愛劇場」が人間関係の醍醐味(だいごみ)ともいえます。(『偏愛マップ キラいな人がいなくなる コミュニケーション・メソッド齋藤孝
「所得水準は“つくった量=供給”ではなく“売れた量=需要”によってきまる。需給を一致させる市場の価格メカニズムは十分に働かない。したがって政府が市場に介入して需給を調節する必要がある」というのがケインズの基本姿勢である。(『富の不均衡バブル 2022年までの黄金の投資戦略』若林栄四)
 ただし、「空」という単語は、お釈迦さまの時代にはそれほど特別視されていなかったことも確かです。空と同時に、蜃気楼とか、無常という単語も使う。空の代わりに、苦、苦しみという単語も使う。夢という単語も使います。大乗仏教では空というのが一つの哲学思想体系として発展していくのですが、初期仏教では、ただ現象の姿を説明する一つの単語にすぎないのです。現象の本当の姿を説明するためにいろいろな単語を使っていて、そのなかに空という単語もあるだけです。べつに空という単語を一つだけ取り出して、独立した思想体系にすることはなかったのです。(『般若心経は間違い?アルボムッレ・スマナサーラ
 旋盤工になるためには、腕も磨くが、耳も鍛えなければならない。耳を鍛えるという言葉が適当でないとすれば、耳を肥やす、かも知れない。むろん、眼も肥やさなければいけない。旋盤工に限らず、およそモノを作る人間の腕を磨くとか、腕前とかの言葉には、手先の器用さのほかに、耳や眼や鼻などの五官が、重要な役割を果たすものとして含まれる。(『鉄を削る 町工場の技術小関智弘
 看護婦は死んだ赤ちゃんを取り上げようとしたが、彼女は必死に抵抗した。私はその小さな遺体をどうするのだろう、と不思議に思った。ちょうどそのとき、衛生兵が彼女から赤ちゃんを奪い取り、すぐさま貨車から放り投げた。そのちっちゃな身体はほんの一瞬、人形のように空中をゆっくりと飛んでいき、すぐに見えなくなった。(『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著・監訳:都竹恵子訳)

戦争
 日本は公的資金を直接注入するだけでなく、ゼロ金利と量的緩和による景気刺激策を行い不良債権処理も含めて経済の立て直しに時間をかけてきました。銀行に預けても利息はつかず、高齢者などにとっては厳しい環境が長期化しました。仮に20年間、日本が3.6%の金利であれば、複利計算を行うと預貯金は倍になっていたことになります。
 言い換えれば、日本人は預貯金の利息をもらわないことで金融機関を支えてきたのです。公的資金の注入と国民の見えない支援が日本再生の両輪でした。長い時間をかけ、これだけの犠牲を払うことによって、経済大国の座を失わずにバブル崩壊から立ち直ったのです。
(『世界はマネーに殺される』青木文鷹)
 私たちが現実と思っているこの世界は、心がつくりだす「錯覚の世界」に過ぎない。
 仏教ではそう語っています。
 ですが、皆の錯覚はほとんど似ているので、錯覚ではなく現実そのものではないかと、私たちはさらに錯覚します。
(『小さな「悟り」を積み重ねるアルボムッレ・スマナサーラ

認知科学悟り
 資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまり、いわゆるフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムです。(『資本主義の終焉と歴史の危機水野和夫

さらば、資本主義
 米国は日本と違い、対外純負債があるので問題だとされますが、実は、それは違います。
 戦後世界がドルを基軸通貨と認めてきたため、米国の対外負債はドル建てです。他方、対外資産は、現地通貨建てです(円、元、ユーロ、南米・アジア通貨)。ドルの実効レートが15%下がると、為替利益で対外資産($18兆)が15%切り上がって$21兆に増えたかのようになります。ところが対外負債はドル建てですから$21兆のままです。
 米国は、ドルの実効レートの15%低下で、対外資産と負債をバランスさせ、$2.7兆の対外純債務が魔法のように消えます。これに対応する損をするのは、対外資産を563兆円もつ日本の金融機関と政府、および外貨準備を$3.2兆(256兆円)もつ中国政府です。
(『国家破産 これから世界で起きること、ただちに日本がすべきこと吉田繁治
 原油だけではなく、シカゴ・マーカンタイル取引所に代表される商品取引において、最終的に決済するのはドルです。ということは、先物市場を利用する人はドルを調達してこなければいけないということです。円の取引でも、ユーロの取引でもいいのですが、最終的に差額決済をするときにドルを使います。(『経済は「お金の流れ」でよくわかる 金融情報の正しい読み方岩本沙弓
 合衆国の人口は全世界の5%以下しか占めていないのに、監獄人口では全世界の20%以上を占めていることを知れば、この数字の持つ意味は一層明らかとなる。エリオット・カーリは「今日、監獄はわが国の歴史上、あるいはその他の産業民主主義国家の歴史上かつてない不気味な存在となってわれわれの社会に立ち現れつつある。主要な戦争を除けば、大量投獄は現代の最も完全に執行された政府の社会計画だった」と書いている。(『監獄ビジネス グローバリズムと産獄複合体』アンジェラ・デイヴィス:上杉忍訳)
殷の紂王が)象牙の箸で食事をするようになれば、それまでの粗末な土器の茶碗では物足りなくなり、きっと玉(ぎょく)で作った食器を使うようになる。玉の食器を使うなら、その中に入れる食品もマメのスープなどの質素なものではなく、贅沢で珍奇な食品になるだろうし、そうなれば次にはそれを食べるときの服装にもきっと凝(こ)りだすだろう。また食事をする場所も、わらぶきの家ではなくて豪華な宮殿で、ということになるだろう。箕氏(きし)はそう考えて、この象牙の箸は単に立派な食事用具というだけにとどまるものではなく、最終的には莫大な浪費と国家の破滅につながる、諸悪の根源であると考えたのである。(『漢字の字源』阿辻哲次)

箕氏の憂い
 実は、安久工機はずっと、従業員5~6名の町工場である。そんな小さな工場でどうして、と思われるにちがない。人工心臓器ひとつを見ても、さまざまな金属機械加工や樹脂系の加工が必要なのは素人でもわかる。小さな工場に機械を並べただけでできるわけがない。それを可能にしているのが、町工場の集積地大田区の利点で、安久工機にはいつでも協力してくれる工場が50社ほどもある。大田区は自転車でひとまわりすればたいていの仕事ができるほど多様な技術を持った町工場があることから、自転車ネットワークとか路地裏ネットワークと呼ばれるネットワークが可能な町である。(『どっこい大田の工匠たち 町工場の最前線小関智弘
 現在スーパーなどで売られている野菜のタネは、ほとんどがF1とか交配種と言われる一代限りの雑種(英語ではハイブリッド)のタネになってしまっていて、この雑種からタネを採っても親と同じ野菜はできず、姿形がメチャクチャな異品種ばかりになってしまう。(『タネが危ない』野口勲)
 ちなみに言うと、血筋・家系だけを重視するバラモン教に反対した宗教は仏教だけではなく、同じような主張を唱える宗教が、そのころの社会にたくさん登場していたようです。時代の潮流だったのでしょう。それらをまとめて「沙門宗教」といます。沙門とは「努力する人」という意味です。カースト制度の社会では生まれたあとにいくら努力しても無駄だったけれども、いやいやそうではない、努力次第で幸福になれるのだという人々がたくさん現れ、そのうちに一つとして仏教があったのです。(『本当の仏教を学ぶ一日講座 ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか佐々木閑
 近代文明が人間にもたらしているダメージは、土壌の悪化からスタートしている。化学肥料は土壌の中のミネラル成分を追い出し、土壌中の虫類がいなくなってしまうことと一緒に、微生物相を変えてしまった。機械化農場の表層土の流出がひんぱんに起きるようになったのも、この結果である。そしてこれはまず最初に作物を伸び悩ませ、次に作物を退化させることになった。農場には有害な物質(殺虫剤)がまかれて、土壌をますます有害な土壌にし、さらにそれが農作物や果実に吸収される。
 われわれはこういう事態やその他の多くの観察結果から、土壌および土壌の中に育つ全てのものを自分たちと縁遠い存在としてではなく、自分たちの【外部代謝】なのだと考えねばならない。
(『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン:今村光一訳)

ゲルソン療法
 GMが業績を急回復させたことは、他のアメリカの大企業を大いに刺激した。アメリカの産業界全体が、GMに見習えとばかり大幅な賃下げの動きに出たのである。まずはGMと同じビッグスリーのフォードクライスラーが追随し、電機大手のGEがそれに続くと、従業員の給与を大幅に下げて収益を保つ新生GM流の経営がアメリカ全土に広がっていった。(『インフレどころか世界はこれからデフレで蘇る中原圭介
 しかし仏教の場合、それは並の分裂ではない。本来の阿含仏教から見れば極端に性格の異なる教義が、次から次と現れ、ついには思想、宗教の一大集積場の観を呈するに至る。それは単一の宗教が時とともに少しずつ変容し、亜種を生み、多様化していくといった穏和な状況とはほど遠い、一種の内部爆発とも呼ぶべき現象である。初期阿含仏教と後期密教を比較するなら、仏教と銘打った一つの宗教が長旅の果て、最後にどれほどかなたの地に至って臨終を迎えたか実感として理解できよう。(『インド仏教変移論 なぜ仏教は多様化したのか佐々木閑
 一部のアルゴリズムは、人工知能の分野にそのルーツがある。1968年の映画『2001年宇宙の旅』に出てくる人工知能コンピュータ、Hal(ハル)9000(Heuristically programmed ALgorithmic computer から名付けられた)ほど賢くもないし自己認識もないかもしれないが、アルゴリズムは自分で進化することができる。彼らは観察し、実験し、そして学ぶことができるのだ――彼らを作った人間とはまったく関係のないところで。(『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー:永峯涼訳)
 このTPP参加と物価目標2%達成は、かたやデフレ要因であるのに対し、一方がインフレ要因であるという完全なる矛盾をはらんでいる。そして、TPP参加がデフレ要因であるなら、消費税引き上げは直接的にはインフレ要因である。これらの政策を同時に推進するということはアベノミクスで放たれた「矢」がそれぞれお互いの方向を向いているような、交錯をしている状態となる。したがって、こうした政策を推し進めれば進めるほど、互いの効果を相殺する二律背反の状況に陥ることになる。(『アメリカは日本の消費税を許さない 通貨戦争で読み解く世界経済岩本沙弓

通貨戦争
●体温が下がると、どんな症状が表れるか
 36.5℃――健康体、免疫力旺盛
 36.0℃――ふるえることによって熱発生を増加させようとする
 35.5℃――恒常的に続くと
       ・排泄(はいせつ)機能低下
       ・自律神経失調症状態が出現
       ・アレルギー症状が出現
 35℃――ガン細胞が最も増殖する温度
 34℃――水におぼれた人を救出後、生命の回復ができるかギリギリ体温
 33℃――冬山で遭難し、凍死する前に幻覚が出てくる体温
 30℃――意識消失
 29℃――瞳孔拡大
 27℃以下――死体の体温
(『「体を温める」と病気は必ず治る クスリをいっさい使わない最善の内臓強化法石原結實

「こんな世界は嫌だ!」と引きこもるのは、自分のエゴの型が世間と合わないことに我慢できないからです。
「ひきこもりなんて他人事でしょう」と思っているとしたら、それは違います。私たちは必ず何かのグループに所属していますが、これは一種の引きこもりなのです。「私たちは他とは違うんだ」とバリアを張って、似たもの同士の群れに引きこもっているのです。
(『ブッダが教えた本当のやさしさ 』〈『「やさしい」ってどういうこと?』改題〉アルボムッレ・スマナサーラ

仏教
 いままでの医学は、ガンについて、外から何か悪いものが入ってきてガンの遺伝子に作用して発ガンするという考えをとっていました。発ガンの最初のきっかけとなる悪い発ガン物質は外からくるもの、といっていたのです。しかし、私の研究してきた白血球の自律神経支配を理解すれば、発ガンの原因は、まちがいなく身体の内部にあること、つまり私たちの生き方そのものがガンの原因になっているということにたどりつかざるを得ないのです。(『免疫革命』安保徹)

 いわばポップカルチャーは「娯楽」の隠れミノのもと、人々がみずからのホンネに基づいて世の中を作りかえようとする。空想的な社会計画の場としての機能を持っているのだ。(『夢見られた近代』佐藤健志)
 トインビー氏が物理的手法について述べるとき、ニュートンの古典力学を念頭に置いている。このニュートン力学を哲学的に整理したのがカントだ。従って、われわれが自明の前提としている時間や空間についても、物理的手法の上で成り立っているのである。(『地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く佐藤優
 比較認知科学というのは、人間とそれ以外の動物を比較して、人間の心の進化的な起源をさぐる学問のことである。
 人間の体が進化の産物であるのと同時に、その心も進化の産物である。いったんそう理解してしまえば、教育も、親子関係も、社会も、みな進化の産物であることがわかる。チンパンジーという、人間にもっとも近い進化の隣人のことを深く知ることで、人間の心のどういう部分が特別なのかが照らしだされ、教育や親子関係や社会の進化的な起源が見えてくる。それはとりもなおさず、「人間とは何か」という問いへの一つの解答だろう。
(『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心松沢哲郎
 現在のゆがんだ通貨システムでは、ある特定の国、あるいは特定の集団のエゴが反映されやすいのです。自由競争の原理が働いているはずの市場が、実は富を収奪するための最高のツールとして使われている側面さえあります。(『世界恐慌への序章 最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由 岩本沙弓
 人を斬(き)る飄(かぜ)であった。
 小さな真空をもった大きなうねりが、突然、すさまじい速さで■(はし)ってきたようで、それにまともにふれた者は裂かれたにちがいない。
 士会(しかい)の手にあった戈(か)は、おもいがけない衝撃をうけ、とっさにかれは跳びすさった。
(『沙中の回廊宮城谷昌光
 刑事裁判では、どういったわけか無罪判決を書く機会がまったくなく、有り体に言うと「証拠が完全でなくても、めげることなく果敢に有罪を認定する力」を養うのがこの科目の目的に感じられた。修習生が無罪判決を書いてもいいが、それは「正解」ではなかった。(『検事失格』市川寛)

検察
 ここで問題になるのが、ハーバード大学のローゼンタール博士が言うところの「お蔵入り問題」だ。(中略)
 原理的なことを言えば、本当は否定的な実験結果は肯定的な実験結果と同じくらい意味があるのだが、実験者の心の問題として、否定的な実験結果には価値がないと思ってしまうのである。
 こうして、超常現象に否定的な結果はお蔵入りとなり、超常現象に肯定的な結果ばかりが公表されることになる。このことが、見かけ上統計的に有意な超常現象があるように見える理由ではないかと考えることもできる。これが、「お蔵入り問題」なのである。(茂木)
(『ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか』ブライアン・ジョセフソン:茂木健一郎竹内薫訳)
 だからこそ、ここで私はあえて言いたい。
「会社を徹底的に利用しろ、社畜のフリをした【仮面社畜】になれ」
 と。(中略)
 実際は、
【利用する人】になれるかどうかは、能力ではなくマインドの問題
 なのです。どういうことかと言うと、
【利用する人】の視点で物事を見ることができるかどうか
 の違いだけということです。
(『仮面社畜のススメ 会社と上司を有効利用するための42の方法』小玉歩)
 本来国民が再分配によって受け取るはずの富であるにもかかわらず、企業が受け取る還付金の額だけが増える。財政再建のための消費税引き上げだったにもかかわらず歳入全体の減少のために、社会保障費には回されずに、消費税を引き上げれば引き上げるほど輸出企業に還付金が大量に流れるという悪循環から、このままでは抜けだせなくなってしまうのだ。(『バブルの死角 日本人が損するカラクリ岩本沙弓
 極端な言い方をすれば、世界の金融は所謂「手形のキャッチボール状態」にある。万が一、どこかが破綻し受け取った手形が不渡りになれば、受け取っている側には不良債権化と資金ショートの危険が発生し、裏書きしている金融機関はその保証リスクを負うことになる。この構造は、町の金融業者でも国際金融資本でも変わらない。単に大きいか小さいかだけの違いであって何も変わらない。(渡邉)『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界藤井厳喜渡邉哲也
 たとえば、2011年の上半期(4月から9月まで)の間、領空侵犯の恐れがある外国機に対して、航空自衛隊が緊急発進(スクランブル)した回数は合計203回となり、そのうち対中国機へのものが昨年同期比で3.5倍の83回に急増している。防衛省統合幕僚監部によると、いずれのケースも領空侵犯の事態にまでは至っていないが、中国軍の情報収集機が沖縄県・尖閣諸島の北100キロ圏まで接近する例は相次いでいるという。(『緊急シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰)
湯川秀樹●もう一つ、さっきのアインシュタインの他にそれと似たような例を申しますと、量子論という、相対性原理と相並ぶ20世紀のもう一つの原理を初めて言い出したプランクという学者、この人はどっちかというと、アインシュタイン以上に徹底した実在論者であり、19世紀的な合理主義者です。去年なくなりましたが、おそらく死ぬまでそういう意味の合理主義者的な立場、従って因果律のようなものをどこまでも認めていく立場を取っていたと思います。ところがこの人が量子論というのを言い出した。量子論というのは自然現象に不連続性があるということなのです。そしてこの不連続性と初めにいった偶然性とが結びついていたのです。当人はそういう不連続性などは認めたくないような傾向の人です。ところがやっていくうちにどうしてもそういうふうにしなければならないことになって、いやいやながらこれを持ち込んだ。それが物理学の大革命のいちばん初めだった。ところが当人はそれとむしろ反対の傾向の人なのです。

小林秀雄●科学だって一種の芸術ですし、芸術家はまた一種の職人ですからね。自分の人生観なり、形而上学(けいじじょうがく)的観念から演繹(えんえき)する事が仕事ではない。具体的な仕事の方から逆に常に教えられているでしょう。その具体的な仕事には職人はいつだって忠実ならざるを得ないから、そういうことになる。

(1948年8月『新潮』に掲載/『直観を磨くもの 小林秀雄対話集小林秀雄
 この健康法は誰にでもできます。そして人にもやってあげられます。要は皮下、筋肉、筋に沈殿している汚れをもみつぶして静脈からの吸収をしやすくし、血液循環を良くして汚れを運び去って排泄するということ。(『足の汚れ〈沈澱物〉が万病の原因だった 足心道秘術』官有謀)
 所得控除に関しては、面白い話があります。
 実は、税務署員は普通のサラリーマンよりも扶養家族が多い、というものです。
 なぜだと思いますか?
 税務署員は家族思いだから、よく家族の面倒を見ているんだろう?
 違います。
 税務署員は、「扶養控除」を最大限に使っているということです。扶養家族が増えれば、扶養控除が増えますからね、その分、税金が安くなるわけです。
 税務署員は、どういうものが扶養控除になるかをよく知っています。そして扶養控除にできる範囲というのは、世間で思われているよりかなり広いのです。
(『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】大村大次郎
Q 事実ではないはずのことを、なぜ確信をもって記憶する人がいるのか?

A 人間の行動は記憶が支えていると言ってよいだろう。人間は過去に学んで、将来を変えていく生物である。つまり、記憶の意義は、経験を記憶し、生き残るのに適した行動をより多くとらせることにある。そのため心の中には、あるがままの事実の記憶より、行動に便利な記憶が形成される傾向がある。個別の具体的な記憶よりも、少しは体系化された、より抽象的な記憶のほうが、将来の行動を決定するのに役に立つのだ。

(『人はなぜだまされるのか 進化心理学が解き明かす「心」の不思議』石川幹人)
 筋立てからも分かるとおり、(アニメ版)『アキラ』において東京は「瓦礫の山より出発、驚異的な発展をとげるものの、繁栄のピークで自己崩壊をきたし、瓦礫の山に戻る」プロセスを得急につづけるものとしてとらえられる。つまりは1945年から始まり、回り回ってふたたび1945年に行き着くのである。(中略)
 2020年にネオ東京でオリンピックの開催が予定されていたことも、関連して注目に値する。東京五輪が開かれたのは1964年のことながら、本来は戦前、1940年に開催されるはずであった。1939年、第二次世界大戦が勃発したせいで、この大会は流れてしまうのだが、『アキラ』が「近代日本(とりわけ戦後日本)をめぐる寓話」というニュアンスを持つことは疑いえまい。
(『震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』佐藤健志)
 賢明(けんめい)な同伴者、あるいは
 明敏(めいびん)な仲間が得られなければ
 王が、征服(せいふく)した国を捨てて立ち去るように
 犀(さい)の角(つの)のようにただ独(ひと)り歩(あゆ)め。
(『日常語訳 新編スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉今枝由郎

仏教スッタニパータ
 そぼ降る雨の中、彼は卒業式を高みの見物に出かけた。濡れた灰色の講堂から流れ出てきた真新しいスーツ姿の友人たちの前で、彼はからからと笑い、次のごとく嘯(うそぶ)いた。
「俺には自分が名を成すことがありありと分かっている。むざむざ社会の歯車となってくだらん仕事に命を削るよりも、俺は自分の才能にふさわしい名誉を得て、斎藤秀太郎の名を死後百年に遺す。4年は何事も為さぬにはあまりにも長いが、何事かを為すにはあまりにも短い。さらばだ、凡人諸君」
 仲間たちは苦笑した。そして、「社会の歯車」になるために彼のもとを去っていった。
(『新釈 走れメロス 他四篇』森見登美彦)
 言葉を話せなくなった弱者に代わって、ものを言ってくれるのは、事故の痕跡しかありません。もし皆さんがご相談をお受けになった段階で間に合えば、事故車でも衣類でも持ち物ひとつでもいいから、その現場にあったものを保存するようにアドバイスしてください。いたずらにうろたえたり、嘆き悲しんだりしているだけでは、絶対に事故は解決できません。「泣くのは明日からにしなさい。今日は我慢して現場へ行って写真を撮ってきなさい」と、ちょっと厳しく残酷なようですけれども、とにかく証拠保全に全力を傾けていただきたいと思います。(『交通事故鑑定人 鑑定歴五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳)
 そもそも、人類300万年の歴史のうち、ほとんどの期間を「空腹」で過ごしてきたのだから、人間の体は「空腹」には、慣れている。逆に、「満腹」に慣れていないからこそ、メタボリック・シンドロームや免疫力低下からくるアレルギー、自己免疫疾患、ガン……などの万病、奇病に悩まされているのである。(『「食べない」健康法石原結實

 私の教え子だったある23歳のソマリア人女性も、首都モガディシオで銃撃を受けこの世を去った。その直後、彼女の上司であるソマリア人のNGO職員は、静かにこう言っていた。
「この街で民兵に撃たれるというのは、残念だけど、交通事故に遭うようなものなんだ。でも、泣き寝入りするだけで動ける人が動かないままだと、何も変わらないんだ」
(『職業は武装解除』瀬谷ルミ子)

伊勢崎賢治
 しかし、「生命」が宿っているあいだは、生物の体はずっと構造と情報の秩序を保ちつづけます。これは生命をもたない石ころや鉄の塊にはありえないことです。それらはエントロピー増大原理に逆らうことができず、壊れていく一方です。ここに生命とふつうの物質の最大の違いがあると、シュレーディンガーは考えたのです。(『死なないやつら』長沼毅)
 事実、ヨーロッパの言語は例外なく、思索の用語をラテン語から借りているし、そのラテン語は不足する表現をそっくりギリシャ語から借用した。(『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ガイ・ドイッチャー:椋田直子訳)
 水俣病、水俣病ち、世話やくな。こん年になって、医者どんにみせことのなか体が、今々はやりの、聞いたこともなか見苦しか病気になってたまるかい。水俣病ちゅうとは、栄養の足らんもんがかかる病気ちゅうじゃなかか。おるごがつ、海のぶえんの魚ば、朝に晩に食うて栄華しよるもんが、なにが水俣病か――。(『苦海浄土石牟礼道子
 信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。(『学生との対話小林秀雄
 お前の立つところを、深く掘り下げよ!
 その下に、泉がある!
「下はいつも――地獄だ!」と叫ぶのは、
 黒衣の隠者流に まかせよう。
(『ニーチェ全集 8 悦ばしき知識』フリードリッヒ・ニーチェ:信太正三訳)
 暗号の発展史には、“進化”という言葉がぴったりとあてはまる。それというのも暗号の発展過程は、一種の生存競争と見ることができるからだ。暗号はたえず暗号解読者の攻撃にさらされてきた。暗号解読者が新兵器を開発して暗号の弱点を暴(あば)けば、その暗号はもはや役に立たない。その暗号は絶滅するか、あるいはより強力な暗号へと進化するしかない。進化した暗号はしばらくのあいだ生き延びるが、それも暗号解読者がその弱点を突き止めるまでのことである。このプロセスが繰り返されるのだ。そのありさまは、伝染病の細菌株が直面する状況によく似ている。細菌が生き延びるのは、その細菌の弱点を暴き、殺してしまうような抗生物質が発見されるまでのことである。細菌が生き延びて増え栄えるためには、なんとか進化して抗生物質を出し抜くしかない。(『暗号解読サイモン・シン:青木薫訳)

情報
 ある春の日、アウシュヴィッツの生き残り、67歳のプリーモ・レーヴィは、アパート4階の自宅前の手すりを乗り越え階下のホールに身を投げた。遺書はなかった。それから9年……。夫人はいまもひとりきりでその場所に暮らし続けている。(『プリーモ・レーヴィへの旅』徐京植〈ソ・キョンシク〉)
 真に賢い者は、迷信が愚かであろうと必ずしも目くじらを立てない。文句をつけずにいられなくなるのは、別種の迷信に取り憑かれた者と決まっている。(『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』エドマンド・バーク:佐藤健志訳)
 カルテクの研究により明らかにされたことだが、フクロウは、聴覚を使い、音を頼りに狩りをする。これは、エコーロケーション――コウモリなどがみずから超音波を発し、その反響(エコー)をとらえることで、対象物の位置や形、大きさなどを知る能力――とはべつものだ。獲物の立てるかすかな音から、フクロウは、一種の三角測量により、瞬時にして獲物の居場所を探知する。(『フクロウからのプロポーズ 彼とともに生きた奇跡の19年』ステイシー・オブライエン:野の水生訳)
 ものごとは心に煽(あお)られ、心に左右され
 心によってつくり出される。
 もし人が、汚(けが)れた心で
 話し、行動するならば
 その人には、苦しみがつき従う。
 車輪が、荷車を牽(ひ)く牛の足跡につき従うように。
(『日常語訳ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉今枝由郎訳)

仏教ダンマパダ
 医学的にはまったく根拠がないのに、なぜか一般社会では常識となっていることがある。そのひとつが「皮膚呼吸」である。(中略)
 皮膚は呼吸器官ではなく排泄器官である。皮膚を介して空気(酸素)が出入りすることはないし、汗腺や皮脂腺から不要物が排泄されているだけである。だから、皮膚を密閉しても呼吸が苦しくなることもないし、死ぬこともない。
(『さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す』夏井睦)
 ところがあの戦争では日本にあっさりと負け、気がついたら彼らは貧しい欧州の小国に戻っていた。
「日本は負けたが、それは米国が勝っただけで、これらの国々は負けて植民地を失い、兵士は捕虜にされた。その屈辱は晴らせなかった。それが戦後の対日観の根底にある」(ジャン・ピエール・レーマン、国際経済学者)と。
 だから日本人が焼け跡で立ち尽くしている間はまだよかったが、いつの間にか新幹線を走らせ、ニコンやソニーが売れ始めると、もう腹立たしくなる。
 オランダは腹いせに二度目の賠償を取り、フランスは日本の首相をトランジスタ商人とくさし、元捕虜のピエール・ブールは日本人を猿に擬し、『猿の惑星』を書いて侮辱した。
(『変見自在 サダム・フセインは偉かった』高山正之)
 イデオロギーとは、本来「体系だった物の見方」を意味する言葉である。現実は混沌として無秩序なものであるから、ただ現実を眺めただけでは何も理解することはできない。現実を理解するためには、それを何らかの枠にはめて解釈する必要があるのだ。イデオロギーとは、そのような解釈の枠となる「物の見方」の体系なのである。(『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義佐藤健志
 おそらく真理は清廉よりも、汚穢(おわい)の中に見いだされるのだろう。(『略奪者のロジック響堂雪乃
 思うにそれは私たちの精神が非常に商業的なので、自分の行為への何らかの報いを得られないかぎり、何もしようとしなくなっているのです。もっぱら市場での取り引きのように、これを君にやるから私にそれをくれというふうにしか考えられなくなっているのです。(『生の全変容J・クリシュナムルティ、アラン・W・アンダーソン:大野純一訳)
 あなたは耳を澄ませ、注意を集中させる。あなたは謙虚に、あらゆる方向に気を配りながら言葉を一つ一つ注意深く置いていく。それまでに書いたものが脆弱で、いい加減なものに見えてくる。過程(プロセス)に意味はない。跡を消すがいい。道そのものは作品ではない。あなたがたどってきた道には早や草が生え、鳥たちがくずを食べてしまっていればいいのだが。全部捨てればいい、振り返ってはいけない。(『本を書くアニー・ディラード柳沢由実子訳)
 経典講義を伴う多数参加型の代表は鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳場(やくじょう)である。その具体例は後にみるが、数十人、時には数百人あるいは千人以上の僧侶や在家信者が集う、一種の法会(ほうえ/仏教儀礼)だった。翻訳に従事する人々には、その訳場の中心人物と、「筆受」と呼ばれる者、「伝訳」(でんやく)と呼ばれる者などがおり、彼らの翻訳作業を見守る形で多数の聴衆が列席し、翻訳と同時に当該経典の解説や理解の難しい箇所を議論したりもした。(『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』船山徹)

仏教
 人の悲しみを自分の悲しみとして悶える人間、ことにそのような老女のことをわたしの地方では〈悶え神〉というが、同じく人の喜びをわが喜びとする人間のことを〈喜び神さま〉とも称していた。村の共同体でのことほぎ事があると、いちはやくその気分を感じてうたい出し、舞い踊りする女性は今もいるので、その人は〈唄神さま〉とか〈踊り神さま〉といわれる。(『不知火 石牟礼道子のコスモロジー石牟礼道子
 本には寿命がある。長く生きる本とそうでない本がある。(池内恵)『読書という体験』岩波文庫編集部編

読書
 多くの臨床体験から、(マリー・ド・)エヌゼルさんは、患者が最期の瞬間にとても「死と親密になる」ことを発見する。抵抗も拒否もしないで死を受け入れる瞬間がくる。すると人はそばに付き添う人に自分自身のいちばん大切なことを伝えようとする。しぐさで、ひと言の言葉で、ときには視線で、自分が真実だと思うことをいおうとするのだ。そのとき、「死は人間を無限に、奥深さに至らせる」と彼女はいう。(『生の時・死の時』共同通信社編)
 三角関数を習ったとき、そのなんたるかを理解するより先に、サイン、コサイン、タンジェント、という魔法のような言葉の響きに私はまず魅了された。カタカナ表記では、3文字、4文字、6文字と順に語数が増えていく。最初のふたつの「ン」のやわらかい脚韻が最後にぴたりと締まる音のならびの、切れ味とリズム。直角三角形の、直角ではない角のひとつを基準にして辺と辺の割合を考える際の視線の飛ばし方の不思議が、三つの呪文にさらなる力を与えていたといっても過言ではない。(『正弦曲線』堀江敏幸)
 マネーには利他性がない。(『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊』佐高信、佐藤優
起信論』の思想スタイルの第二の特徴は、思惟が、至るところで双面的・背反的、二岐分離的、に展開するということである。言い換えるなら、思惟の進み方が単純な一本線でない、ということ。そこに、この論書の一種独特の面白さ、と難しさ、とがある。(『東洋哲学覚書 意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学井筒俊彦

仏教
「ざっそう(雑草)――」ローリング・サンダーは声を高めた。
「雑草などというものは存在しない」そう言うのだ。
 われわれは自分たちが要らない植物を「雑草」と呼んできたわけだが、ローリング・サンダーにとってはどんな植物も目的を持っており、したがって尊敬されるべきものなのである。
(『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳)

インディアン
 一度客離れした店の再起はおぼつかない。水商売の鉄則である。(『ヤクザな人びと 川崎・恐怖の十年戦争』宮本照夫)
 1918年11月に第一次世界大戦は終わったが、敗戦国のドイツとオーストリアに対する戦時賠償が厳しすぎたために、ナチスの台頭を招き、1939年に第二次世界大戦が勃発する。1941年12月の日米戦争により、戦争はアジア太平洋地域にも広がる。二つの世界大戦を区別せずに「20世紀の31年戦争」と呼んだ方が正確かもしれない。(『サバイバル宗教論佐藤優
 ハイアットの最上階の窓から見下ろすと、アンナワディや周辺で不法に生活する人々の集落は、洗練された近代的な建物の隙間に空中投下されたみたいに見える。
「まわりはみんなバラの花で、俺たちはその間にあるゴミだな」アブドゥルの弟、ミルチはそんなふうに言った。
(『いつまでも美しく インド・ムンバイのスラムに生きる人びと』キャサリン・ブー:石垣賀子訳)
 脱税が多くなりすぎてしまえば、確かに世の中がおかしくなるが、グレーゾーンがなくなってしまえば、世の中は官僚主義となり、社会からは活力が喪失してしまう。ここらへんの微妙なバランス感覚が、社会には大事であると思う。(『アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門藤井厳喜

タックスヘイブン
 オオカミには遠い距離を隔ててコミュニケーションをかわす能力があるだけでなく、ほとんどわれわれと同じように「話す」こともできる。彼はそう主張した。自分自身には、オオカミの声がすべて聞こえるわけでもないし、ほとんど理解することもできない。彼はそう認めたけれど、あるイヌイット、なかでもオーテクは、オオカミの声を聞くことも、理解することもできる。だから、文字通り、オオカミと会話をかわすこともできるのだという。(『狼が語る ネバー・クライ・ウルフ』ファーリー・モウェット:小林正佳訳)
『孟子』の内容はひと口にいうなら、要するに道徳主義(モラリズム)の強調である。そして、その道徳は、孟子の意識では、大昔の理想的な帝王である(ぎょう)・(しゅん)からの伝統で、近くは孔子によって大いに発揚された由緒の正しいものであった。しかし、それにもかかわらず、それは当時の一般にはうけいれられない運命にあり、いわば時勢に抵抗するものとなった。つまり、孟子の生きた時代は、道徳というような「迂(まわ)り遠い」ものよりは、「富国強兵」のための現実的な施策をこそ、痛切に求めていたのである。(『孟子』吉川幸次郎監修、金谷治
副島●キリスト教においては、ミラクル(奇跡)というものは大変素晴らしいものだ。神が降臨したとか、病者を癒(い)やしたり、海の上を歩いたとかいうのが奇跡です。「ここに飲み物と、食べ物が現われよ」と言ったら、パンやワインがどっさり現われた。
 ところがキリスト教徒はマジックのほうはもの凄く忌(い)み嫌います。マジックはマジシャン(魔術師)がやることだからです。ヨーロッパでは、キリスト教がとくに16世紀以降、マジックをものすご(ママ)く嫌います。でもミラクルは信じる。
 実は、日本の天皇陛下は東アジアの蛮族(原住民)の大酋長(グランドチーフ)であり、同時にグランド・マジシャン(大神官)です。この様子が『インディ(アナ)・ジョーンズ』という映画のなかに出てくる。遅れた社会のグランド・マジシャンがいて、魔神の前で這い蹲(つくば)っている人々がいる。この人々を近代人が救い出すという構図です。
(『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優
 ボードリヤールの考察に倣(なら)えば、情報伝達とは劣化コピーの反復であり、認知とは主観的な概念解釈に過ぎず、我々は既に内的現実と外的現実を峻別(しゅんべつ)する手段を喪失しているのだろう。(『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?響堂雪乃
 姿勢が悪いということは、体に少なからず無理を強いている状態です。ただし、最初は大きな負担ではありません。打撲や捻(ひね)りのような一時的に加わる強烈なダメージではないため、知らず知らずのうちに我慢も利いてしまいます。しかし、悪い姿勢によるダメージは、じわりじわりとほぼ一日中体にかかり続け、しかもその状態が何年、何十年と続くことになります。やがて、どこかの時点で体が悲鳴を上げるのは自然の成り行きでしょう。痛みを自覚したときには、悪い姿勢は固定化していますから、痛みも固定化(慢性化)することになります。(『頭を5cmずらせば腰痛・肩こりはすっきり治る! 一日3分の姿勢矯正エクササイズ』綾田英樹)
 人類(マン)は考えた――人類は精神的にはひとつだ、と。彼は何億兆もの年をとらぬ肉体から成りたっていた。それぞれの肉体は、おのれの場をもち、静かに休んでいる。完璧な自動装置に見守られている。すべての肉体をもつ心は、個人個人が弁別できぬほどひとつに溶けあっていた。(『停滞空間アイザック・アシモフ:伊藤典夫訳)
 若し止を修せんとせば、静処(じょうしょ)に住し、端坐して意を正し、気息にも依らず、形色(ぎょうしき)にも依らず、空にも依らず、地水火風にも依らず、乃至、見聞覚知(けんもんかくち)にも依らざれ。一切の諸想を念に随って皆除き、亦除想をも遣(や)れ。一切の法は本来無相なるを以て、念念に生ぜず念念に滅せざればなり。亦心外(しんげ)に随って境界を念じて後に、心を以て心を除くことも得ざれ。心にして若し馳散(ちさん)せば、即ち当に摂(おさ)め来って正念に住せしむべし。(『大乗起信論宇井伯寿、高崎直道訳注)

仏教
 天下が統一されて、たしかに戦いはなくなったが、始皇帝だけの天下であるという状態がつづくと、人民はまるで始皇帝の奴隷にひとしくなり、
 ――人の精神が死ぬ。
 という奇怪さを人々は経験することとなった。個の特性が否定されると、おのれは何のために生きているか、と疑ってみたくなる。全土の官民がいちどはそういう疑いをもったであろう。しかし、あれこれ考えたところで何も現状は変わらないとあきらめた人々は多かったが、あきらめられない人もいた。後者は、おもに法の外へでた。
(『楚漢名臣列伝宮城谷昌光
 亡くなる直前のこと、学校に行く私を父は駅まで送ってくれたのだが、その道すがら、ボソッとこんなことを言った。
真実は、弱い者の立場に立ったときにわかる。お前は、これから大人として行動していくにあたって、絶えず弱い者の立場に目を向けなさい。そうすれば、その社会の抱える問題、組織の抱える問題、国家の抱える問題がわかる」
(『生命文明の世紀へ 「人生地理学」と「環境考古学」の出会い安田喜憲
【やっぱり、アフリカの人たちがいちばん飢えているの?】

 いや、飢えた人の数からいえばアジアの方が多い。アジアでは5億5000万人の人びとが飢えに苦しんでいるともいわれ、サハラ以南のアフリカ地域の1億7000万人より圧倒的に多い。

(『世界の半分が飢えるのはなぜ? ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』ジャン・ジグレール:勝俣誠監訳、たかおまゆみ訳)

飢餓
「奴隷制度を黙認した文明は、奴隷を覆ったマントをぬいだが、内なる感情は依然としてそのままである……つまり、奴隷制度は100年以上も前に廃止されたが、【われわれ国民の心は決してそこから抜け切ってはいない】」(『黒い怒り』W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳)
(横田)早紀江は彼にこう声をかけた。
「めぐみのことを、よく話してくださいました。私は毎日めぐみちゃんのことを祈っていますが、これからは、安さんのご家族のことも一緒にお祈りさせていただきます」
 早紀江が後に聞いたところによると、この日、安明進(アン・ミョンジン)氏は拉致被害者の両親に会わせられるのだということを直前に知って、その場から逃げ出そうとしたという。自分は実行犯ではないが、かつて同じ組織にいた経歴の持ち主として、とても両親には会えないという思いだったのだろう。そして、面会後、安明進氏は早紀江の最後の言葉に号泣したという。この出会いが、彼が自分の顔を出して拉致を語ろうと決意する大きなきっかけとなった。
(『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)
 雑煮膳一つ多きは亡き人に

 ――お正月、祝い膳が一つ多く並べてありました。「これは誰の分?」と聞いたら祖母が「生まれて4ヶ月で亡くなったきみのお母さんのお姉さんの分」と言いました。(10歳)

(『ランドセル俳人の五・七・五小林凛

詩歌
 大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛(かたつむり) 8歳(『ランドセル俳人の五・七・五小林凛

詩歌
 いじめられ行きたし行けぬ春の雨(『ランドセル俳人の五・七・五小林凛

詩歌
「目に見える世界」である現実を変えるには、「目に見えない世界」を変えなければならない。(『ミリオネア・マインド 大金持ちになれる人 お金を引き寄せる「富裕の法則」』ハーブ・エッカー:本田健訳)
「若者の考えることは、たびたび空に輝く流星のように明るい光を放つ。だが、老人の知恵は動かぬ星々のようなもので、その輝きは変化することがあまりにも少ないから、船乗りたちがその指針を決めるときに頼りにできるものだ」(『バビロンの大富豪 「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか』ジョージ・S・クレイソン:大島豊訳)
 自我とは他者の自我のコピーであることを発見したのはフロイトである。自我は、一般的に言えば、わたしがほかならぬこのわたしであることの拠りどころであり、わたしをわたし以外の者と区別するところのものであって、自我なしにはわたしという存在はないのであるが、その自我が他者の自我のコピーなのである。(『唯幻論大全 岸田精神分析40年の集大成岸田秀
【私の教える片づけ法は、これまでの整理・整頓(せいとん)・収納術の常識からすれば、かなり非常識です】。ところが、私の個人レッスンを受けて卒業した人は全員が、きれいな部屋をキープしつづけているのです。そして、その結果、さらに驚くべきことが起きています。それは、片づけをしたあと、【仕事も家庭も、なぜか人生全般がうまくいきはじめるのです。じつはこれが、人生の8割以上を片づけに費やしてきた私の結論でもあります】。(『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵)
 19世紀に骨相学が大流行した。当時の骨相学は、人間の性格や動機を簡単に見抜けると豪語していた。現代の星占いのようなものだが、星占いとはちがって、一見「科学的」であり、客観的に計測しているように見えた。創始者のドイツ人フランツ・ガルは、頭蓋骨の各々の隆起はそれぞれ性格の特徴をあらわしていると考えた。それは「子供たちへの愛」や「凡庸」などと、明快かつ具体的な特徴として説明された。ある人の性格を知りたければ、頭蓋骨の形を調べるだけでわかるというのである。そんな骨相学も、臨床報告がそれとはちがう見解を出しはじめると、まもなく信用を失っていった。(『脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ』スーザン・グリーンフィールド:新井康允監訳、中野恵津子訳)

脳科学
「同志諸君、そういうわけで、わしらのこんなくらしのすべての災いが、人間どもの勝手な支配から発するものであるということは、水晶のように曇りなく明らかではあるまいか? 人間を追い出しさえすれば、わしらの苦労が生み出したものはわしら自身のものとなるであろう。ほとんど一夜にして、わしらはゆたかに、自由の身になれるだろう。それでは、わしらはなにをすべきか? そうじゃ、人類を打ち倒すために、日夜、全身全霊(ぜんしんぜんれい)をこめてはたらくのだ! 同志諸君、それがわしからみんなへのメッセージじゃ。〈反乱〉あるのみ! その〈反乱〉がいつ起こるのかわしにはわからぬ。1週間後かもしれないし、100年後かもしれない。じゃが、わしの足下のこのわらを見ているのとおなじくらいたしかに、わしにはわかっておる。遅かれ早かれ正義の裁きはなされるのだと」(『動物農場 おとぎばなしジョージ・オーウェル:川端康雄訳)

ディストピア
 日本における世間を秩序づけているのは、「互酬」とか「交換」の関係ではないか、と思う。「恩を受けた」から「恩を返す」。「血縁」たとえば親子関係は、「命を受けた」から「その恩を返す」。「地縁」は、同じ場所に住み「田植えを手伝ってもらった」から「手伝ってあげる」。お中元・お歳暮も香典返しもすべてそう。(『賭ける仏教 出家の本懐を問う6つの対話南直哉

仏教
 徒然草こそは、自己の内界と外界をふたつながら手中に収めた、日本最初の批評文学であり、表現の背後に、生身の兼好の、孤独も苦悩も、秘やかに織り込まれている。兼好は、決して最初から人生の達人ではなかった。徒然草を執筆することによって、成熟していった人間である。ここに徒然草の独自性があり、全く新しい清新な文学作品となっているのである。(『徒然草』兼好:島内裕子校訂・訳)
「乱によって得たものは、乱によって失います」(『太公望宮城谷昌光
「熊(ゆう)よ、いい世にしたいな。そのためにわれわれは生き、死ぬ」(『太公望宮城谷昌光
「知るということは、ここにあるものをみて、そのさきのかたちまでもみることができる力をいう」(『太公望宮城谷昌光
 ただし神という文字は商王朝のときには存在しない。神とほぼおなじ意味をもつのは、申(しん)、という字であるが、申足と書けば雷光のごとき速さの足ということになる。神はかみなりのことであったと理解してよい。(『太公望宮城谷昌光
 新自由主義は、生活における貨幣マネー)の比重を高めてしまうので危険だ。貨幣はその本性として暴力的だ。資本主義社会では貨幣によって人間の意思を容易に支配することができる。社会の暴力が貨幣に受肉(神がイエス・キリストになること。具体化を意味する神学用語)しているから、このようなことが可能になる。(『テロリズムの罠佐藤優
 ここでイタリアのファシズムとドイツのナチズムを区別することが重要だ。アドルフ・ヒトラーによって展開されたナチズムは、ドイツ人を中心とする優秀なアーリア人種が他の人種を淘汰(とうた)していくという荒唐無稽(むけい)な神話によってつくられていた。
 これに対してファシズムは、自由主義的な資本主義によって生じる格差拡大、貧困問題、失業問題などを国家の介入によって是正するというかなり知的に高度な操作を必要とする運動だった。この場合、資本主義制度には手をつけない。マルクス主義的な社会主義革命を避けて、国家機能を強化することによって資本主義の危機を切り抜けようとする運動だった。1930年代にムッソリーニ統帥がヒトラー総統と本格的提携を始めるまでは、イタリア・ファシズムに反ユダヤ主義的要素は稀薄(きはく)だった。
(『テロリズムの罠佐藤優
 世界は私のことなど考えていない。世界には何の考えもないのだ。それはたんに物と人、品目などの偶然の集まりなのだ。そして私自身もその中の一つの品目にすぎないのだ。――つまり私は、だれもが見たり、無視したりすることのできる、歩道を歩いている子どもにすぎない。いま私が感じている圧倒されるような感情は、必ずしも世界が引き起こすものではないのだ。そういう感情は、私の内側にある。私の皮膚の下に、私の胸骨の下に、私の頭蓋骨の下にあるのだ。そしてそれは、ある程度まで、私の自由にさえなるのだ。(『アメリカン・チャイルドフッドアニー・ディラード柳沢由実子訳)
 戦後、GHQ(連合国総司令部)によって地主の土地を分割して小作農に渡す「農地解放」が行われたことも、日本の農業を弱体化させた大きな要因の一つでしょう。農地解放には、虐げられてきた小作農を救済するという面もあります。しかしそれはすなわち土地を細切れにしてしまうということでもありました。狭い農地ばかりでまとまった広い農地がなく、しかも持ち主がバラバラであるということは、その後の日本の農業の大規模化・効率化が進まない大きな一因となったのです。(『2015年の食料危機(フードクライシス) ヘッジファンドマネージャーが説く次なる大難』齋藤利男)
 儒学ぎらいな劉邦は露骨にいやな顔をしたが、あるときとうとう怒りだして、
「わしは馬上で天下を取ったのだ。『詩経』や『書経』にかまっておられるか」
 と、陸賈(りくか)を叱りとばした。が、陸賈はひるまなかった。すぐさま仰首し、
「馬上で天下をお取りになっても、馬上で天下をお治めになれましょうか」
 と、敢然といった。
 この一言が、陸賈の名を永遠にしたといってよい。
(『長城のかげ宮城谷昌光
 この小説(『存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)』ミラン・クンデラ)の魅力は、ストーリーにあるのではない。そうではなくて、むしろ、とめどもない脱線、挿入された多くの断章、流れる重層的な時間。また、ソ連軍の侵入など残酷な歴史を背景にした一回限りの生に息づかい、永遠に未完成を運命づけられた人間の愚かしさと希望。それらの織りなすものが、われわれの心を惹きつけるのだ。(『知の百家言』中村雄二郎)
 サイクルは一定の間隔で繰り返し起こる測定可能な現象である。
 その現象は必ずしも100%の規則性をもって起こるとは限らない。しかし、それは一定の感覚で80%以上の確立で起こる。
(『相場サイクルの基本 メリマンサイクル論』レイモンド・A・メリマン:皆川弘之訳)
 孤独には、「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」があります。(『孤独と不安のレッスン よりよい人生を送るために鴻上尚史
 かつて大根足などというけしからぬ喩えがあったが、大根といえば古くはうら若い女性の白くみずみずしい腕の形容だった。ただし、訓(よ)みはオオネ。(『季語百話 花をひろう』高橋睦郎)
 実際、かれが注意深く聞いていたのは、話の内容ではなく、 猗房(いぼう)という娘がもっている声の大小、明暗、澄濁(ちょうだく)など、いわば声の生まれつきの品格である。
 ――男女を問わず、人を鑑(み)るには、まず声だ。
 と、この老人は信じている。話し方にとらわれてはならない。話し方は、生来というものではなく、変化してゆく。変化するものにこだわれば、けっきょく人を見損(みそこ)なってしまう。
(『花の歳月宮城谷昌光
 各家をかぞえるときは(こ)といい、戸がまとまって里(り)となり、里がまとまって(きょう)となり、郷がまとまって県となる。(『花の歳月宮城谷昌光
 それゆえ、幸福な生とは、正しい確かな判断にもとづいて確立されており、不変なものである。そのとき、心は澄みわたり、いっさいの悪から解放され、深い傷はもちろんのこと、かすり傷さえも免れるであろう。
 また、自分の立場につねに立ち、たとえ運命(フォルトゥナ)〔偶運〕が怒って攻撃してきても、自分の座を擁護するであろう。(セネカ
(『ヘレニズムの思想家』岩崎允胤)
 米中央情報局(CIA)の元諜報員で、民間セキュリティー会社カスター・バトルズ社を創設した34歳のマイク・バトルズは、ずばりこう言った。「イラクに広がる恐怖と無秩序は、わが社に有利な将来を約束している」。バトルズは、まだ無名で経験もない自分の会社にとって侵攻後のイラクの混乱状態はじつに好都合であり、連邦政府から約1億ドルの契約を受注するチャンスも夢ではない、と嬉々として語っている。彼の言葉は、現代資本主義のキャッチコピーとしても使えそうだ。「恐怖と無秩序は躍進の新たな一歩を導くきっかけになります」といったところだろう。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴くナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)

ショック・ドクトリン
 ふだん、感情を動かさない人や、同じ方向にしか動かさない人は、感情がなまって、やがて、感情を失い始めます。(『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント鴻上尚史
 人は、海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満ちている。ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです。(『アインシュタイン150の言葉』ジェリー・メイヤー、ジョン・P・ホームズ編)

アインシュタイン
 求められているのは「自分は価値のある人間だ」という証であり、その確証を得て安心したいがために、身近な人々の承認を絶えず気にかけ、身近でない人々の価値を貶(おとし)めようとする。見知らぬ他者を排除することで、自らの存在価値を保持しようとする。たとえそれが悪いことだと薄々気づいていても、仲間から自分が排除されることへの不安があるため、それは容易にはやめられない。そして底なしの「空虚な承認ゲーム」にはまってしまうのだ。(『「認められたい」の正体 承認不安の時代』山竹伸二)
 そしてなにより、彼らは私に光の存在を思い出させてくれた。彼らは曇りの日にはさえない歌しか歌わないのに、雲間から少しでも太陽が顔を出すと、たちまち張りのある美しいさえずりを始める。それを聞いているだけで、私はそのときの明るさが手にとるように分かることに気づいた。鳥が空を教えてくれたのである。(『鳥が教えてくれた空』三宮麻由子)

視覚障害
 親類筋の女性Tがかつてネルーの信奉者だった。ネルーの思想と活動に手放しで共鳴し、親譲りの潤沢な資産を惜しげもなく注(つ)ぎ込んだ。熱烈なる敬愛の念は相手にも通じたらしく、インド独立式典への招待状が舞い込み、いそいそと出かけていった。貴賓席で待ち受けていると、憧れの君は民衆の歓喜の声に包まれて颯爽(さっそう)と登場。ボロをまとった女たちが感極まって駆け寄り壇上のネルーの靴に口付けしようとした瞬間、ネルーはあからさまに汚らわしいという表情をして女たちを足蹴(あしげ)にし、ステッキを振り上げて追い払った。周囲の囁(ささや)きから、女たちが不可触賤民(アンタッチャブル)であることを知る。その刹那、Tの「百年の恋」は冷めた。(『打ちのめされるようなすごい本米原万里

書評山際素男
 突きでた駅の屋根の下から、暗い町並みに降る激しい雨を見た。豪雨だった。雨水の流れる路面は川のようだ。駅前の広場にある樹木が風にかたむきながら揺れている。突然、あの青年の声がよみがえった。強い子だな、きみは。いや、ちがう。あの雨のなか、胸をはり、頭をあげ、ゆっくり歩いていった青年。彼こそがほんとうに強い人間だった。(『雪が降る藤原伊織
 そこには、思わず目を疑うようなこんな記述が連なっていた。
〈K機関で所掌しているタレントとの会食を通じて洗脳
〈広義な話題を提供し、問題を希釈させる〉
〈中小信用公庫等財界ラインの利用 笹川系ドン「○○氏(原文は実名、以下同)」を動かす〉
〈3月中に本社作戦、津山拠点の確保を終了 3月末から4月上旬に県南戦火 津山圏は水面下でゲリラ戦とする〉
(『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之、週刊朝日編集部)

原発
 窓からの逆光で見えにくかった彼の容貌がようやくはっきりした。まじめさ、いかめしさ、融通(ゆうずう)のきかなさ、閃きのなさを混ぜ合わせて、粘土で捏(こ)ねあげたような、叩きあげの現場の警官の典型的な容貌だった。要するに、警視庁管轄だけでも何千人もいるにちがいない警部のひとりだった。(『愚か者死すべし』原リョウ)
 近代科学の起源に関する模範的な論考のなかで、歴史家のハーバート・バターフィールドは、人口に膾炙(かいしゃ)した一つの対比を引用している。甚大な影響を及ぼした17世紀の科学革命に唯一肩を並べうるものは、キリスト教の出現を措(お)いて他にない、と。(『科学と宗教 合理的自然観のパラドクス』J・H・ブルック:田中靖夫訳)

科学と宗教
 完璧な形でマインド・コントロールが行われた場合には、すべては必然性をもったことであり、それに出会う幸運をもったのだと感じ、喜び勇んでその行動を「主体的に」選択する。(『マインド・コントロール』岡田尊司)
 宇宙は進化のサイクルを繰り返す。その各サイクルにおいて、ビッグバンが高温の物質と放射を生み出し、それが膨張冷却して今日見られる銀河や恒星が形成される。その後、宇宙の膨張が加速して物質は散り散りになり、空間はほぼ完全な真空へと近づく。そして1兆年ほど経った頃、新たなビッグバンが起こって再びサイクルが始まる。宇宙の大規模構造を作り出した出来事は、一つ前のサイクル、つまり一番最近のビッグバン以前に起こったことになる。(『サイクリック宇宙論 ビッグバン・モデルを超える究極の理論』ポール・J・スタインハート、ニール・トゥロック:水谷淳訳)
「ふるさと」、つまり故郷とはどういう場所であろうか。私はごく簡単にこう考えている。そこは「呼べば応えるところ」だ、と。「呼べば応える」、たしかに、「ふるさと」では木の葉のざわめきも川のせせらぎもなにごとかを語っている。そこでは、村人たちが一つの共同体を構成し、互に依りあい助けあって生活しているだけではない。共同体の構成メンバーとしての村人とその周囲をとりかこむ自然とが呼応(こおう)し、融即(ゆうそく)しながら、きわめて濃密な風土的関連を保っているのである。いや、それだけではない。人と超自然(ちょうしぜん)とが互にその分を守りながら交感し、交流しあっている。「ふるさと」は自然と社会と精霊の世界とがそれぞれに対応し、呼応しあう生きた地域の単位なのである。(『カミの誕生 原始宗教岩田慶治
 そこに不思議の場所がある。
 眼を閉じておのれの内部を凝視すると、そこに淡い灰色の空間がひろがっているのを感ずるが、その空間の背後に、不思議な場所があるように思われるのである。不用意にそこに近づいてそれを見ようとすると、その場所は急ぎ足に遠ざかってしまう。しかし、おのれを忘れ、その場所の存在をも忘れていると、それが意外に近いところにやってきて何事かを告げる。そういう不思議の場所が、すべてのひとの魂の内部から、身体の境をこえて外部に、どこまでもひろがっているように思われるのである。
(『カミの人類学 不思議の場所をめぐって岩田慶治