お前の立つところを、深く掘り下げよ!
 その下に、泉がある!
「下はいつも――地獄だ!」と叫ぶのは、
 黒衣の隠者流に まかせよう。
(『ニーチェ全集 8 悦ばしき知識』フリードリッヒ・ニーチェ:信太正三訳)
 暗号の発展史には、“進化”という言葉がぴったりとあてはまる。それというのも暗号の発展過程は、一種の生存競争と見ることができるからだ。暗号はたえず暗号解読者の攻撃にさらされてきた。暗号解読者が新兵器を開発して暗号の弱点を暴(あば)けば、その暗号はもはや役に立たない。その暗号は絶滅するか、あるいはより強力な暗号へと進化するしかない。進化した暗号はしばらくのあいだ生き延びるが、それも暗号解読者がその弱点を突き止めるまでのことである。このプロセスが繰り返されるのだ。そのありさまは、伝染病の細菌株が直面する状況によく似ている。細菌が生き延びるのは、その細菌の弱点を暴き、殺してしまうような抗生物質が発見されるまでのことである。細菌が生き延びて増え栄えるためには、なんとか進化して抗生物質を出し抜くしかない。(『暗号解読サイモン・シン:青木薫訳)

情報
 ある春の日、アウシュヴィッツの生き残り、67歳のプリーモ・レーヴィは、アパート4階の自宅前の手すりを乗り越え階下のホールに身を投げた。遺書はなかった。それから9年……。夫人はいまもひとりきりでその場所に暮らし続けている。(『プリーモ・レーヴィへの旅』徐京植〈ソ・キョンシク〉)
 真に賢い者は、迷信が愚かであろうと必ずしも目くじらを立てない。文句をつけずにいられなくなるのは、別種の迷信に取り憑かれた者と決まっている。(『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』エドマンド・バーク:佐藤健志訳)
 カルテクの研究により明らかにされたことだが、フクロウは、聴覚を使い、音を頼りに狩りをする。これは、エコーロケーション――コウモリなどがみずから超音波を発し、その反響(エコー)をとらえることで、対象物の位置や形、大きさなどを知る能力――とはべつものだ。獲物の立てるかすかな音から、フクロウは、一種の三角測量により、瞬時にして獲物の居場所を探知する。(『フクロウからのプロポーズ 彼とともに生きた奇跡の19年』ステイシー・オブライエン:野の水生訳)
 ものごとは心に煽(あお)られ、心に左右され
 心によってつくり出される。
 もし人が、汚(けが)れた心で
 話し、行動するならば
 その人には、苦しみがつき従う。
 車輪が、荷車を牽(ひ)く牛の足跡につき従うように。
(『日常語訳ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉今枝由郎訳)

仏教ダンマパダ
 医学的にはまったく根拠がないのに、なぜか一般社会では常識となっていることがある。そのひとつが「皮膚呼吸」である。(中略)
 皮膚は呼吸器官ではなく排泄器官である。皮膚を介して空気(酸素)が出入りすることはないし、汗腺や皮脂腺から不要物が排泄されているだけである。だから、皮膚を密閉しても呼吸が苦しくなることもないし、死ぬこともない。
(『さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す』夏井睦)
 ところがあの戦争では日本にあっさりと負け、気がついたら彼らは貧しい欧州の小国に戻っていた。
「日本は負けたが、それは米国が勝っただけで、これらの国々は負けて植民地を失い、兵士は捕虜にされた。その屈辱は晴らせなかった。それが戦後の対日観の根底にある」(ジャン・ピエール・レーマン、国際経済学者)と。
 だから日本人が焼け跡で立ち尽くしている間はまだよかったが、いつの間にか新幹線を走らせ、ニコンやソニーが売れ始めると、もう腹立たしくなる。
 オランダは腹いせに二度目の賠償を取り、フランスは日本の首相をトランジスタ商人とくさし、元捕虜のピエール・ブールは日本人を猿に擬し、『猿の惑星』を書いて侮辱した。
(『変見自在 サダム・フセインは偉かった』高山正之)
 イデオロギーとは、本来「体系だった物の見方」を意味する言葉である。現実は混沌として無秩序なものであるから、ただ現実を眺めただけでは何も理解することはできない。現実を理解するためには、それを何らかの枠にはめて解釈する必要があるのだ。イデオロギーとは、そのような解釈の枠となる「物の見方」の体系なのである。(『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義佐藤健志
 おそらく真理は清廉よりも、汚穢(おわい)の中に見いだされるのだろう。(『略奪者のロジック響堂雪乃
 思うにそれは私たちの精神が非常に商業的なので、自分の行為への何らかの報いを得られないかぎり、何もしようとしなくなっているのです。もっぱら市場での取り引きのように、これを君にやるから私にそれをくれというふうにしか考えられなくなっているのです。(『生の全変容J・クリシュナムルティ、アラン・W・アンダーソン:大野純一訳)
 あなたは耳を澄ませ、注意を集中させる。あなたは謙虚に、あらゆる方向に気を配りながら言葉を一つ一つ注意深く置いていく。それまでに書いたものが脆弱で、いい加減なものに見えてくる。過程(プロセス)に意味はない。跡を消すがいい。道そのものは作品ではない。あなたがたどってきた道には早や草が生え、鳥たちがくずを食べてしまっていればいいのだが。全部捨てればいい、振り返ってはいけない。(『本を書くアニー・ディラード柳沢由実子訳)
 経典講義を伴う多数参加型の代表は鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳場(やくじょう)である。その具体例は後にみるが、数十人、時には数百人あるいは千人以上の僧侶や在家信者が集う、一種の法会(ほうえ/仏教儀礼)だった。翻訳に従事する人々には、その訳場の中心人物と、「筆受」と呼ばれる者、「伝訳」(でんやく)と呼ばれる者などがおり、彼らの翻訳作業を見守る形で多数の聴衆が列席し、翻訳と同時に当該経典の解説や理解の難しい箇所を議論したりもした。(『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』船山徹)

仏教
 人の悲しみを自分の悲しみとして悶える人間、ことにそのような老女のことをわたしの地方では〈悶え神〉というが、同じく人の喜びをわが喜びとする人間のことを〈喜び神さま〉とも称していた。村の共同体でのことほぎ事があると、いちはやくその気分を感じてうたい出し、舞い踊りする女性は今もいるので、その人は〈唄神さま〉とか〈踊り神さま〉といわれる。(『不知火 石牟礼道子のコスモロジー石牟礼道子
 本には寿命がある。長く生きる本とそうでない本がある。(池内恵)『読書という体験』岩波文庫編集部編

読書
 多くの臨床体験から、(マリー・ド・)エヌゼルさんは、患者が最期の瞬間にとても「死と親密になる」ことを発見する。抵抗も拒否もしないで死を受け入れる瞬間がくる。すると人はそばに付き添う人に自分自身のいちばん大切なことを伝えようとする。しぐさで、ひと言の言葉で、ときには視線で、自分が真実だと思うことをいおうとするのだ。そのとき、「死は人間を無限に、奥深さに至らせる」と彼女はいう。(『生の時・死の時』共同通信社編)
 三角関数を習ったとき、そのなんたるかを理解するより先に、サイン、コサイン、タンジェント、という魔法のような言葉の響きに私はまず魅了された。カタカナ表記では、3文字、4文字、6文字と順に語数が増えていく。最初のふたつの「ン」のやわらかい脚韻が最後にぴたりと締まる音のならびの、切れ味とリズム。直角三角形の、直角ではない角のひとつを基準にして辺と辺の割合を考える際の視線の飛ばし方の不思議が、三つの呪文にさらなる力を与えていたといっても過言ではない。(『正弦曲線』堀江敏幸)
 マネーには利他性がない。(『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊』佐高信、佐藤優
起信論』の思想スタイルの第二の特徴は、思惟が、至るところで双面的・背反的、二岐分離的、に展開するということである。言い換えるなら、思惟の進み方が単純な一本線でない、ということ。そこに、この論書の一種独特の面白さ、と難しさ、とがある。(『東洋哲学覚書 意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学井筒俊彦

仏教
「ざっそう(雑草)――」ローリング・サンダーは声を高めた。
「雑草などというものは存在しない」そう言うのだ。
 われわれは自分たちが要らない植物を「雑草」と呼んできたわけだが、ローリング・サンダーにとってはどんな植物も目的を持っており、したがって尊敬されるべきものなのである。
(『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳)

インディアン
 一度客離れした店の再起はおぼつかない。水商売の鉄則である。(『ヤクザな人びと 川崎・恐怖の十年戦争』宮本照夫)
 1918年11月に第一次世界大戦は終わったが、敗戦国のドイツとオーストリアに対する戦時賠償が厳しすぎたために、ナチスの台頭を招き、1939年に第二次世界大戦が勃発する。1941年12月の日米戦争により、戦争はアジア太平洋地域にも広がる。二つの世界大戦を区別せずに「20世紀の31年戦争」と呼んだ方が正確かもしれない。(『サバイバル宗教論佐藤優
 ハイアットの最上階の窓から見下ろすと、アンナワディや周辺で不法に生活する人々の集落は、洗練された近代的な建物の隙間に空中投下されたみたいに見える。
「まわりはみんなバラの花で、俺たちはその間にあるゴミだな」アブドゥルの弟、ミルチはそんなふうに言った。
(『いつまでも美しく インド・ムンバイのスラムに生きる人びと』キャサリン・ブー:石垣賀子訳)
 脱税が多くなりすぎてしまえば、確かに世の中がおかしくなるが、グレーゾーンがなくなってしまえば、世の中は官僚主義となり、社会からは活力が喪失してしまう。ここらへんの微妙なバランス感覚が、社会には大事であると思う。(『アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門藤井厳喜

タックスヘイブン
 オオカミには遠い距離を隔ててコミュニケーションをかわす能力があるだけでなく、ほとんどわれわれと同じように「話す」こともできる。彼はそう主張した。自分自身には、オオカミの声がすべて聞こえるわけでもないし、ほとんど理解することもできない。彼はそう認めたけれど、あるイヌイット、なかでもオーテクは、オオカミの声を聞くことも、理解することもできる。だから、文字通り、オオカミと会話をかわすこともできるのだという。(『狼が語る ネバー・クライ・ウルフ』ファーリー・モウェット:小林正佳訳)
『孟子』の内容はひと口にいうなら、要するに道徳主義(モラリズム)の強調である。そして、その道徳は、孟子の意識では、大昔の理想的な帝王である(ぎょう)・(しゅん)からの伝統で、近くは孔子によって大いに発揚された由緒の正しいものであった。しかし、それにもかかわらず、それは当時の一般にはうけいれられない運命にあり、いわば時勢に抵抗するものとなった。つまり、孟子の生きた時代は、道徳というような「迂(まわ)り遠い」ものよりは、「富国強兵」のための現実的な施策をこそ、痛切に求めていたのである。(『孟子』吉川幸次郎監修、金谷治
副島●キリスト教においては、ミラクル(奇跡)というものは大変素晴らしいものだ。神が降臨したとか、病者を癒(い)やしたり、海の上を歩いたとかいうのが奇跡です。「ここに飲み物と、食べ物が現われよ」と言ったら、パンやワインがどっさり現われた。
 ところがキリスト教徒はマジックのほうはもの凄く忌(い)み嫌います。マジックはマジシャン(魔術師)がやることだからです。ヨーロッパでは、キリスト教がとくに16世紀以降、マジックをものすご(ママ)く嫌います。でもミラクルは信じる。
 実は、日本の天皇陛下は東アジアの蛮族(原住民)の大酋長(グランドチーフ)であり、同時にグランド・マジシャン(大神官)です。この様子が『インディ(アナ)・ジョーンズ』という映画のなかに出てくる。遅れた社会のグランド・マジシャンがいて、魔神の前で這い蹲(つくば)っている人々がいる。この人々を近代人が救い出すという構図です。
(『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優
 ボードリヤールの考察に倣(なら)えば、情報伝達とは劣化コピーの反復であり、認知とは主観的な概念解釈に過ぎず、我々は既に内的現実と外的現実を峻別(しゅんべつ)する手段を喪失しているのだろう。(『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?響堂雪乃
 姿勢が悪いということは、体に少なからず無理を強いている状態です。ただし、最初は大きな負担ではありません。打撲や捻(ひね)りのような一時的に加わる強烈なダメージではないため、知らず知らずのうちに我慢も利いてしまいます。しかし、悪い姿勢によるダメージは、じわりじわりとほぼ一日中体にかかり続け、しかもその状態が何年、何十年と続くことになります。やがて、どこかの時点で体が悲鳴を上げるのは自然の成り行きでしょう。痛みを自覚したときには、悪い姿勢は固定化していますから、痛みも固定化(慢性化)することになります。(『頭を5cmずらせば腰痛・肩こりはすっきり治る! 一日3分の姿勢矯正エクササイズ』綾田英樹)
 人類(マン)は考えた――人類は精神的にはひとつだ、と。彼は何億兆もの年をとらぬ肉体から成りたっていた。それぞれの肉体は、おのれの場をもち、静かに休んでいる。完璧な自動装置に見守られている。すべての肉体をもつ心は、個人個人が弁別できぬほどひとつに溶けあっていた。(『停滞空間アイザック・アシモフ:伊藤典夫訳)
 若し止を修せんとせば、静処(じょうしょ)に住し、端坐して意を正し、気息にも依らず、形色(ぎょうしき)にも依らず、空にも依らず、地水火風にも依らず、乃至、見聞覚知(けんもんかくち)にも依らざれ。一切の諸想を念に随って皆除き、亦除想をも遣(や)れ。一切の法は本来無相なるを以て、念念に生ぜず念念に滅せざればなり。亦心外(しんげ)に随って境界を念じて後に、心を以て心を除くことも得ざれ。心にして若し馳散(ちさん)せば、即ち当に摂(おさ)め来って正念に住せしむべし。(『大乗起信論宇井伯寿、高崎直道訳注)

仏教
 天下が統一されて、たしかに戦いはなくなったが、始皇帝だけの天下であるという状態がつづくと、人民はまるで始皇帝の奴隷にひとしくなり、
 ――人の精神が死ぬ。
 という奇怪さを人々は経験することとなった。個の特性が否定されると、おのれは何のために生きているか、と疑ってみたくなる。全土の官民がいちどはそういう疑いをもったであろう。しかし、あれこれ考えたところで何も現状は変わらないとあきらめた人々は多かったが、あきらめられない人もいた。後者は、おもに法の外へでた。
(『楚漢名臣列伝宮城谷昌光
 亡くなる直前のこと、学校に行く私を父は駅まで送ってくれたのだが、その道すがら、ボソッとこんなことを言った。
真実は、弱い者の立場に立ったときにわかる。お前は、これから大人として行動していくにあたって、絶えず弱い者の立場に目を向けなさい。そうすれば、その社会の抱える問題、組織の抱える問題、国家の抱える問題がわかる」
(『生命文明の世紀へ 「人生地理学」と「環境考古学」の出会い安田喜憲
【やっぱり、アフリカの人たちがいちばん飢えているの?】

 いや、飢えた人の数からいえばアジアの方が多い。アジアでは5億5000万人の人びとが飢えに苦しんでいるともいわれ、サハラ以南のアフリカ地域の1億7000万人より圧倒的に多い。

(『世界の半分が飢えるのはなぜ? ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』ジャン・ジグレール:勝俣誠監訳、たかおまゆみ訳)

飢餓
「奴隷制度を黙認した文明は、奴隷を覆ったマントをぬいだが、内なる感情は依然としてそのままである……つまり、奴隷制度は100年以上も前に廃止されたが、【われわれ国民の心は決してそこから抜け切ってはいない】」(『黒い怒り』W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳)
(横田)早紀江は彼にこう声をかけた。
「めぐみのことを、よく話してくださいました。私は毎日めぐみちゃんのことを祈っていますが、これからは、安さんのご家族のことも一緒にお祈りさせていただきます」
 早紀江が後に聞いたところによると、この日、安明進(アン・ミョンジン)氏は拉致被害者の両親に会わせられるのだということを直前に知って、その場から逃げ出そうとしたという。自分は実行犯ではないが、かつて同じ組織にいた経歴の持ち主として、とても両親には会えないという思いだったのだろう。そして、面会後、安明進氏は早紀江の最後の言葉に号泣したという。この出会いが、彼が自分の顔を出して拉致を語ろうと決意する大きなきっかけとなった。
(『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)
 雑煮膳一つ多きは亡き人に

 ――お正月、祝い膳が一つ多く並べてありました。「これは誰の分?」と聞いたら祖母が「生まれて4ヶ月で亡くなったきみのお母さんのお姉さんの分」と言いました。(10歳)

(『ランドセル俳人の五・七・五小林凛

詩歌
 大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛(かたつむり) 8歳(『ランドセル俳人の五・七・五小林凛

詩歌
 いじめられ行きたし行けぬ春の雨(『ランドセル俳人の五・七・五小林凛

詩歌
「目に見える世界」である現実を変えるには、「目に見えない世界」を変えなければならない。(『ミリオネア・マインド 大金持ちになれる人 お金を引き寄せる「富裕の法則」』ハーブ・エッカー:本田健訳)
「若者の考えることは、たびたび空に輝く流星のように明るい光を放つ。だが、老人の知恵は動かぬ星々のようなもので、その輝きは変化することがあまりにも少ないから、船乗りたちがその指針を決めるときに頼りにできるものだ」(『バビロンの大富豪 「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか』ジョージ・S・クレイソン:大島豊訳)
 自我とは他者の自我のコピーであることを発見したのはフロイトである。自我は、一般的に言えば、わたしがほかならぬこのわたしであることの拠りどころであり、わたしをわたし以外の者と区別するところのものであって、自我なしにはわたしという存在はないのであるが、その自我が他者の自我のコピーなのである。(『唯幻論大全 岸田精神分析40年の集大成岸田秀
【私の教える片づけ法は、これまでの整理・整頓(せいとん)・収納術の常識からすれば、かなり非常識です】。ところが、私の個人レッスンを受けて卒業した人は全員が、きれいな部屋をキープしつづけているのです。そして、その結果、さらに驚くべきことが起きています。それは、片づけをしたあと、【仕事も家庭も、なぜか人生全般がうまくいきはじめるのです。じつはこれが、人生の8割以上を片づけに費やしてきた私の結論でもあります】。(『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵)
 19世紀に骨相学が大流行した。当時の骨相学は、人間の性格や動機を簡単に見抜けると豪語していた。現代の星占いのようなものだが、星占いとはちがって、一見「科学的」であり、客観的に計測しているように見えた。創始者のドイツ人フランツ・ガルは、頭蓋骨の各々の隆起はそれぞれ性格の特徴をあらわしていると考えた。それは「子供たちへの愛」や「凡庸」などと、明快かつ具体的な特徴として説明された。ある人の性格を知りたければ、頭蓋骨の形を調べるだけでわかるというのである。そんな骨相学も、臨床報告がそれとはちがう見解を出しはじめると、まもなく信用を失っていった。(『脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ』スーザン・グリーンフィールド:新井康允監訳、中野恵津子訳)

脳科学
「同志諸君、そういうわけで、わしらのこんなくらしのすべての災いが、人間どもの勝手な支配から発するものであるということは、水晶のように曇りなく明らかではあるまいか? 人間を追い出しさえすれば、わしらの苦労が生み出したものはわしら自身のものとなるであろう。ほとんど一夜にして、わしらはゆたかに、自由の身になれるだろう。それでは、わしらはなにをすべきか? そうじゃ、人類を打ち倒すために、日夜、全身全霊(ぜんしんぜんれい)をこめてはたらくのだ! 同志諸君、それがわしからみんなへのメッセージじゃ。〈反乱〉あるのみ! その〈反乱〉がいつ起こるのかわしにはわからぬ。1週間後かもしれないし、100年後かもしれない。じゃが、わしの足下のこのわらを見ているのとおなじくらいたしかに、わしにはわかっておる。遅かれ早かれ正義の裁きはなされるのだと」(『動物農場 おとぎばなしジョージ・オーウェル:川端康雄訳)

ディストピア
 日本における世間を秩序づけているのは、「互酬」とか「交換」の関係ではないか、と思う。「恩を受けた」から「恩を返す」。「血縁」たとえば親子関係は、「命を受けた」から「その恩を返す」。「地縁」は、同じ場所に住み「田植えを手伝ってもらった」から「手伝ってあげる」。お中元・お歳暮も香典返しもすべてそう。(『賭ける仏教 出家の本懐を問う6つの対話南直哉

仏教
 徒然草こそは、自己の内界と外界をふたつながら手中に収めた、日本最初の批評文学であり、表現の背後に、生身の兼好の、孤独も苦悩も、秘やかに織り込まれている。兼好は、決して最初から人生の達人ではなかった。徒然草を執筆することによって、成熟していった人間である。ここに徒然草の独自性があり、全く新しい清新な文学作品となっているのである。(『徒然草』兼好:島内裕子校訂・訳)
「乱によって得たものは、乱によって失います」(『太公望宮城谷昌光
「熊(ゆう)よ、いい世にしたいな。そのためにわれわれは生き、死ぬ」(『太公望宮城谷昌光
「知るということは、ここにあるものをみて、そのさきのかたちまでもみることができる力をいう」(『太公望宮城谷昌光
 ただし神という文字は商王朝のときには存在しない。神とほぼおなじ意味をもつのは、申(しん)、という字であるが、申足と書けば雷光のごとき速さの足ということになる。神はかみなりのことであったと理解してよい。(『太公望宮城谷昌光
 新自由主義は、生活における貨幣マネー)の比重を高めてしまうので危険だ。貨幣はその本性として暴力的だ。資本主義社会では貨幣によって人間の意思を容易に支配することができる。社会の暴力が貨幣に受肉(神がイエス・キリストになること。具体化を意味する神学用語)しているから、このようなことが可能になる。(『テロリズムの罠佐藤優
 ここでイタリアのファシズムとドイツのナチズムを区別することが重要だ。アドルフ・ヒトラーによって展開されたナチズムは、ドイツ人を中心とする優秀なアーリア人種が他の人種を淘汰(とうた)していくという荒唐無稽(むけい)な神話によってつくられていた。
 これに対してファシズムは、自由主義的な資本主義によって生じる格差拡大、貧困問題、失業問題などを国家の介入によって是正するというかなり知的に高度な操作を必要とする運動だった。この場合、資本主義制度には手をつけない。マルクス主義的な社会主義革命を避けて、国家機能を強化することによって資本主義の危機を切り抜けようとする運動だった。1930年代にムッソリーニ統帥がヒトラー総統と本格的提携を始めるまでは、イタリア・ファシズムに反ユダヤ主義的要素は稀薄(きはく)だった。
(『テロリズムの罠佐藤優
 世界は私のことなど考えていない。世界には何の考えもないのだ。それはたんに物と人、品目などの偶然の集まりなのだ。そして私自身もその中の一つの品目にすぎないのだ。――つまり私は、だれもが見たり、無視したりすることのできる、歩道を歩いている子どもにすぎない。いま私が感じている圧倒されるような感情は、必ずしも世界が引き起こすものではないのだ。そういう感情は、私の内側にある。私の皮膚の下に、私の胸骨の下に、私の頭蓋骨の下にあるのだ。そしてそれは、ある程度まで、私の自由にさえなるのだ。(『アメリカン・チャイルドフッドアニー・ディラード柳沢由実子訳)
 戦後、GHQ(連合国総司令部)によって地主の土地を分割して小作農に渡す「農地解放」が行われたことも、日本の農業を弱体化させた大きな要因の一つでしょう。農地解放には、虐げられてきた小作農を救済するという面もあります。しかしそれはすなわち土地を細切れにしてしまうということでもありました。狭い農地ばかりでまとまった広い農地がなく、しかも持ち主がバラバラであるということは、その後の日本の農業の大規模化・効率化が進まない大きな一因となったのです。(『2015年の食料危機(フードクライシス) ヘッジファンドマネージャーが説く次なる大難』齋藤利男)
 儒学ぎらいな劉邦は露骨にいやな顔をしたが、あるときとうとう怒りだして、
「わしは馬上で天下を取ったのだ。『詩経』や『書経』にかまっておられるか」
 と、陸賈(りくか)を叱りとばした。が、陸賈はひるまなかった。すぐさま仰首し、
「馬上で天下をお取りになっても、馬上で天下をお治めになれましょうか」
 と、敢然といった。
 この一言が、陸賈の名を永遠にしたといってよい。
(『長城のかげ宮城谷昌光
 この小説(『存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)』ミラン・クンデラ)の魅力は、ストーリーにあるのではない。そうではなくて、むしろ、とめどもない脱線、挿入された多くの断章、流れる重層的な時間。また、ソ連軍の侵入など残酷な歴史を背景にした一回限りの生に息づかい、永遠に未完成を運命づけられた人間の愚かしさと希望。それらの織りなすものが、われわれの心を惹きつけるのだ。(『知の百家言』中村雄二郎)
 サイクルは一定の間隔で繰り返し起こる測定可能な現象である。
 その現象は必ずしも100%の規則性をもって起こるとは限らない。しかし、それは一定の感覚で80%以上の確立で起こる。
(『相場サイクルの基本 メリマンサイクル論』レイモンド・A・メリマン:皆川弘之訳)