「こころ」の緊張は必ず「からだ」に表れる。(中略)
 浅い呼吸、みぞおちの不快感、前かがみの姿勢、眉間(みけん)のしわ、のどの緊張、お腹の緊張など、心で感じたマイナスの想いは、まちがいなく体に伝えられ、各部にさまざまな緊張をつくり出します。
(『自律神経をととのえるリラクセーション綿本彰
 アメリカが「核戦略の一環として、日本に原発施設を許可した」のが、日本の原子力政策の実態です。日本の原発は「アメリカの核燃料置き場」として利用されてきたのです。だから、軍事的に必要があれば、「アメリカは日本の核(原発)をいつでも接収する」はずです。(『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力苫米地英人
 日本社会の組織的特色は、組織とくに機能集団が運命共同体的性格を帯びることである。(『危機の構造 日本社会崩壊のモデル小室直樹
 つまり、私たちが日常使っている紙幣というかたちのおカネには、どうもそのまま持っていたのでは価値蓄蔵の手段として適切ではない、という深刻な欠陥があるようです。貨幣経済の歴史を振り返ると、紙幣には一般的に「伸びも縮みもせず」いつ使っても同じ尺度でありつづけるという大事な役割を果たせない傾向がはっきりと出ています。とくに、何らかの価値を保持しつづける資産との結びつきがいっさいなくなってしまった不換(ふかん)紙幣には、この傾向が顕著です。(『危機と金(ゴールド)』増田悦佐)
 公務員は失業保険に入っていない。したがって失業をしない。失業がないのが公務員の特権のひとつなのだ。逆に言えば、公務員は失業保険に入っていないから、解雇することがなかなかできない。鳩山氏が「局長以上の辞表提出」に躊躇(ちゅうちょ)したのも、ひょっとすると、このあたりの基本的事実を霞が関に突きつけられたのかもしれない。(『官愚の国 日本を不幸にする「霞が関」の正体高橋洋一
「だからフィードラーを殺すというの?――それであなた、悩むことはないの?」
「これはきみ、戦争だよ」リーマスはこたえた。「小規模の、至近距離での戦闘だから、不愉快な局面がいっそう痛切に感じられるだけだ。ときにはそれが、罪のない人間の命を奪う場合もある。だが、そんなこと、問題にもならん。ほかの戦争にくらべてみるさ。たいした問題でないのは、だれにだってわかるはずだ――このまえと、このつぎにおこる戦争を考えてみるがいい」
(『寒い国から帰ってきたスパイジョン・ル・カレ:宇野利泰訳)
 私たちが組織のなかで、トップでも末端でもない中間的な存在として、上司の意思を下部に伝達する位置にあるとき、ひとつの歯車として唯々諾々と、上司の命令であるがゆえにそれを引き受けなければならず、下部に伝達しなければならないと考えるならば、それは文字どおり自らをアイヒマンとすることになる。(解説、高橋哲哉)『われらはみな、アイヒマンの息子』ギュンター・アンダース:岩淵達治訳

ナチススタンレー・ミルグラム
 ナチスドイツの諜報機関ほど謎に包まれ、十分に理解されていない諜報機関はあまりない。頭文字をとってアプヴェーアと呼ばれるドイツ国防軍情報部は、嘘偽りと、相容れない事実のベールで覆い隠されている。これはかなりの部分が、ドイツのスパイマスターのなかでもひときわ抜きん出ていた一人の人物、1935年1月から1944年3月まで国防軍情報部の長官をつとめたヴィルヘルム・カナリス提督に起因する。カナリスは当初ヒトラーの熱烈な支持者だったが、第二次世界大戦が進むにつれてナチスに幻滅するようになった。彼は、総統のために忠実なスパイマスターの役割を演じようとする一方で、敵に対しては、わずかながらでも礼儀正しく接し続けようとした。それどころか、ほとんと活動を停止していたものの常に存在し続けていたドイツの反体制運動を支持していたのである。ヒトラーの壮大な野望を実現しようとした組織、ほかならぬドイツ国防軍が、同時にヒトラー抵抗勢力の源ともなっていたことは、第三帝国の摩訶不思議なるパラドックスの一つであった。ドイツ国防軍の中でも、情報部ほど強烈にヒトラー政権に反対を唱え、さまざまな階級に共謀者を抱えていた組織はほかにない。最終的に、カナリスとその忠実な部下のほとんどは、命を代償にしてヒトラーに抵抗した。(『ヒトラーのスパイたち』クリステル・ヨルゲンセン:大槻敦子訳)
「わかるかね? じっと坐っているというのは非常に雄弁な所作なのだ。どんな俳優でもそういうはずだ。わたしたちは、自分の性格に応じた坐り方をする。わたしたちは、長ながと体をのばして坐る、椅子にまたがる、ゴングを待っているボクサーのような格好で身を休める、そわそわと体を動かし、椅子の端に坐り、脚を組みかえる、辛抱を切らし、耐久力を失ってゆく。ゲルストマンは、そのようなことはいっさいしなかった。彼の姿勢は、まったく変わらなかった。筋ばった小さな体が突出した岩のようだった。筋一本動かさないで一日じゅうあのように坐っていることができたにちがいない」(『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイジョン・ル・カレ:菊池光訳)
 悲しみとは古い箪笥(たんす)のようなものだ、ミーラはそう考えていた。捨ててしまいたいのに捨てきれず、結局はそのままになってしまうおんぼろの箪笥。やがてそれは独特のにおいを放つようになり、部屋全体がそのにおいに染まる。時とともに人はにおいに慣れ、ついにはその一部となるのだ。(『六人目の少女』ドナート・カッリージ:清水由貴子訳)
「君に嘘はつかない」ジョーはその瞬間、心からの真実を告げている気がした。
「ふつう嘘つきはそう言うわ」エマは、あきらめてスプーンの薬を飲むことにした子のように口を開けた。
(『夜に生きる』デニス・ルヘイン:加賀山卓朗訳)
 アビダルマの本は当時の仏教世界全域で恒常的に作成されたわけではない。特定の、哲学的思考を重視したグループだけがアビダルマをつくった。おそらく「そんな理屈っぽいことを考えている暇があったら修行しろ」といってアビダルマに見向きもしなかったグループもたくさんあったに違いない。したがって、現在残っているアビダルマの本の出所は、二つの地域に偏っている。一つはスリランカを起点として東南アジア諸国にまで広がる「パーリ仏教」の世界。鉢を持ち、黄色い衣を着て修行している、あのお坊さんたちの世界である。そこには多数のアビダルマが伝わっていて、お坊さんたちの必修科目として今も読まれている(現地ではアビダンマと呼ばれている)。もう一つの中心地はヒマラヤの近く、インドとパキスタンの国境地帯にあるカシミール、ガンダーラと呼ばれる地方である。ここには2000年以上前から「説一切有部」(せついっさいうぶ)という名のグループがいて、多いにアビダルマを発展させた。しかしその説一切有部は、インドにおける仏教崩壊とともに消滅し、今は存在しない。書かれたアビダルマの本だけが残っている。(『仏教は宇宙をどう見たか アビダルマ仏教の科学的世界観』佐々木閑)
 この『中国の五大小説』上下でとりあげる『三国志演義』(さんごくしえんぎ)『西遊記』(さいゆうき)『水滸伝』(すいこでん)『金瓶梅』(こんぺいばい)『紅楼夢』(こうろうむ)の五篇も、すべて白話(話し言葉)で書かれた長篇小説である。このうち、先の四篇は明代に完成・刊行されたものだが、17世紀前半の明末ごろから「四大奇書」と総称され、白話長篇小説の傑作として高く評価されるようになった。(『中国の五大小説中野美代子
 さてもそのサルめ、山中にて自在にあるくわ、走るわ、跳ぶわ、はねるわ。草や木を食らい、泉や谷川の水を飲み、山の花を採り、木の実を探すなどのいっぽうで、狼と仲間になり、虎と群れをなし、鹿と友だちになり、サルと親戚づきあいをする、夜は崖の下にやすみ、朝は峰の洞窟(どうくつ)のなかであそぶ、といったぐあいです。まこと、「山中に甲子(こよみ)なく、寒さ尽くれども年を知らず」とは、このことでありましょう。(『西遊記中野美代子訳)
 人格神を信仰対象とする宗教全般、とくにその典型であるキリスト教の神概念の本質的な特徴とは、神的な存在が、精神、理性、意思、決意、善意、権能、統合的本性、意識などといった人格的な特性を表わす用語で明確に把握され、表現されるということである。つまり、人間が自分自身のなかで、限られた不十分なかたちで自覚しているような人格的・理性的な要素を神に当てはめて考えるということである(同時に神の場合、前出の人格的な特性を表わす用語はみな、「絶対的な」、つまり「完全な」ものだと考えられている)。(『聖なるもの』オットー:久松英二訳)
 家庭環境がどうあれ、親が優しい人であれ、少々病弱の身であれ、消極的な性格であれ、ともかく学校を出たら、子としては直ちに家を出なければならない。その時期が早いに越したことはない。それができるかどうかに自分の人生のすべてがかかっている。(『人生なんてくそくらえ丸山健二
 もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。(『自省録』マルクス・アウレーリウス:神谷美恵子訳)
 位置が風景のなかの場所であるように、「できごと」は時空のなかにおける場所である。できごととは、ある場所において、ある時間において起こるものだ。それは空間のなかの位置であると同時に、時間のなかの位置である。このようなできごとの世界――われわれが時空と呼ぶ世界――が四次元的であるのは明らかだろう。できごとの「どこ」を指定する三つの座標をもち、「いつ」を指定するための一つの座標をもっているからだ。(『時空の歩き方 時間論・宇宙論の最前線スティーヴン・ホーキング、キップ・ソーン、リチャード・プライス、イーゴリ・ノヴィコフ、ティモシー・フェリス、アラン・ライトマン:林大訳)
 死ぬこと自体が罰なのではない。その日を待ちつづけてもう4年半になるという事実が罰なのでもない。そうではないのだ。
 真の罰は、日時がわかっているということ。
 未来のいつか、でもなく。歳(とし)をとったら、でもなく。考えずに済むほど遠い、はるか彼方のある日、でもなく。
【はっきりと】、【正確に】、日時がわかっているということ。
 何年、何月、何日、何時。
 自分が呼吸を止める日時。
 なにかに触れることも、においをかぐことも、見ることも、聞くこともなくなる日時。
 無になる日時。
 ある決められた日時に死ぬと宣告されることの恐ろしさは、体験した者にしかわからない。
 普通の人々が、死という概念に曲がりなりにも耐えることができているのは、知らないからだ。知らないがゆえに、考えずに済んでいるからだ。
 が、彼は知っている。
 彼は知っている。7ヵ月、2週間、1日、23時間47分後、自分がこの世からいなくなることを。
 正確に。
(『死刑囚』アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム:ヘレンハルメ美穂訳)
 ともあれ、進化論の普及によって、純朴なキリスト教信仰をそのまま維持することが困難になったことは、疑いようがなかった。また、アメリカ社会の多くの人々は、従来のキリスト教信仰に飽き足りず、より合理的で腑に落ちる新しい宗教観・死生観を求めていた。そうした欲求に応えたるために登場したのが、「心霊主義」(スピリチュアリズム)の運動である。(『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』大田俊寛)
 情報をめぐる闘いが戦争に刻印を残したように、戦争も情報に刻印を残した。第二次世界大戦中、暗号作戦は技術から科学へと変わりはじめた。ハワイの汗臭い暗号ルームやイングランドの風情(ふぜい)のある屋敷で仕事をしていた暗号解読者たちは、情報理論と呼ばれる革命の先触れとなったのである。(『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号チャールズ・サイフェ:林大訳)
 今日の【国策新聞】にのっている記事を、一語一語そのまま書き写しておく。

「120日後に宇宙船《インテグラル》の建造が完成する予定である。最初の《インテグラル》が宇宙空間へ高高と飛翔(ひしょう)する偉大なる歴史的時間はせまっている。今を去る1,000年前、諸君らの英雄的な先祖は全地球を征服して【単一国】の権力下においた。さらにより光栄ある偉業が諸君の眼前にある。ガラスと電気の、火を吐く《インテグラル》によって、宇宙の無限の方程式がすべて積分(インテグレート)されるのである。他の惑星に住んでいる未知の生物は、おそらくまだ【自由】という野蛮な状態にとどまっていようが、諸君は理性の恵み深い【くびき】に彼らを従わせねばならない。数学的に正確な幸福をわれらがもたらすことを彼らが理解できぬとしたら、われらの義務は彼らを強制的に幸福にすることである。しかしながら、武力に訴える前に、われらは言葉の威力をためしてみよう。
【恩人】の名において、【単一国】の全員数構成員(ナンバー)に布告する――
 自ら能力ありと自負するものは、すべて、【単一国】の美と偉大さに関する論文、ポエム、宣言(マニフェスト)、頌詩(オード)、その他の作品を作成せねばならぬ。
 これは《インテグラル》が運搬する最初の積荷となる。
【単一国】万歳! 員数成員万歳! 【恩人】万歳!」

(『われら』ザミャーチン:川端香男里訳)

ディストピア
 しかし価値というのも、信じるというのと同様、科学的には思えない言葉である。マッハが、その長く生産的な生涯を通して、物理学から哲学へと転じたのも、まさに彼が価値の問題に魅了されるようになったからだ。科学的説明の価値とは何か。科学者はどういう類の説明を目指すべきか。マッハがウィーンに戻る頃には、その名声は、科学の業績よりも、哲学上の著述の上にあるようになっていた(科学上の業績も、多岐にわたり有益ではあるが、本当に特筆すべきものはない。彼の名が科学者以外の人びとにも知られているとすれば、飛行物の速さが音速の何倍かを示すマッハ数によるものである。便利な考え方とはいえ、天才のひらめきとは言いがたい)。(『ボルツマンの原子 理論物理学の夜明け』デヴィッド・リンドリー:松浦俊輔訳)

デイヴィッド・リンドリー
 私自身が2010年以降に「ブラック企業」という言葉を意識するようになる上で、決定的に重要だった出来事がある。それは、リーマンショック以降の2009年2月、3月ごおに寄せられた若年正社員からの大量の相談である。この時期、正社員の若者が次々と相談に訪れたのだ。それまでも、非正規雇用者と同じだけ若年正社員からの相談が寄せられており、どれも深刻なものばかりだった。だが、09年のこの時期からは、明らかに若年性社員の扱いの変化が感じ取れた。それは「使い捨て」と呼ぶにふさわしい扱いを、若年性社員は受けているという実感である。あるいは、すでに変化していた正社員雇用の性質が、それまでの好景気の中では見えず、リーマンショックを契機としてあらわになったといってもよいだろう。(『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』今野晴貴)
 イギリスでは、「イナフ(もう充分)」という名の反消費運動が起きている。運動の支持者は現在の社会が“もの”を消費しすぎ、その過剰消費文化が地球を疲弊させると考えている。世界の貧困や環境破壊、そして人びとの社会的疎外にいたるまで、原因の一つは過剰消費にあるという。「どれだけあれば足りるのか」「もっと身軽な、ものの少ない暮らしを実現できないか」「買い物に依存せずに満足をえる方法はないか」、改めて考えようとイナフは呼びかけている。(『なぜ、それを買わずにはいられないのか ブランド仕掛け人の告白』マーティン・リンストローム:木村博江訳)

ヴァンス・パッカード
 今ではこの現象に簡単に説明がつく。全て「シンクロ」という現象だ。偶然の重なりは必然であるという考え方。他の言葉では「引き寄せ」の法則とも言う。人で言えば、類は類を呼ぶ(ママ)現象だ。ケンカ好きであれば、ケンカをする人を引き寄せる。猫好きであれば、道を歩いていてもいつも猫にいきあたる。そして、エホバやサタンを信じれば、それを強化するような現象が引き起こされる。
 人は意識を向けたところにエネルギーを注ぐ。そしてエネルギーは密度が濃くなると、擬似的に実体化するのだろう。
(『ドアの向こうのカルト 9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅)
 正直に税金を納めている市民の知らないところで、タックス・ヘイブンを舞台に所得分配の公平を著しく損なう悪事が行われているのである。その悪事による弊害はめぐりめぐって、市民の生活はおろか、一国の財政基盤をもゆるがし、さらには世界経済を危機に陥れている。
 タックス・ヘイブンは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する伏魔殿である。脱税をはたらく富裕者だけでなく、不正を行う金融機関や企業、さらには犯罪組織、テロリスト集団、各国の諜報機関までが群がる。悪名高いヘッジ・ファンドもタックス・ヘイブンを利用して巨額のマネーを動かしている。
(『タックス・ヘイブン 逃げていく税金志賀櫻

タックスヘイブン
 このように、心が変化すると、必ず体も変化します。反対に、体を少し調整するだけで、心も変化していくものなのです。ヨーガは、呼吸や姿勢をコントロールすることで自律神経の働きを正常に戻します。すなわちヨーガとは、バラバラになりがちな心と体を結びつけ、そのバランスを調えるためのテクニックの集大成といっていいでしょう。(『DVDで覚えるシンプルヨーガLesson綿本彰
 仏陀はつつましく、そして思いに沈みながら歩みを運んでいた。その静かな顔は喜んでいるとも、悲しんでいるとも見えなかった。その顔はひそやかに内に向かってほほえんでいるように思われた。ほほえみを内にたたえて静かに安らかに、どこか健康な児童にも似て、仏陀は歩みを運んだ、あらゆる弟子の僧と少しも違わず、きびしき戒律の定める衣を着け、その戒律に従って足を踏み進めた。しかしその顔(かんばせ)とその歩み、その静かに伏せた眼差(まなざ)し、静かに垂れた手、さらにその静かに垂れた手の一つ一つの指までも、平和を語り、完成を語り、作らず、倣(なら)わず、永久(とわ)の静けさ、永久の光、侵し得ない平和の中に、おだやかに息づいていた。(『シッダルタヘルマン・ヘッセ:手塚富雄訳)

仏教
「あのね、あたしたち一世一代の冒険に、あんたをつれていこうと思うのよ。」クローディアはくりかえしました。
「それはさっきいったろ。」ジェイミーは歯をくいしばりました。「さ、話して。」
「あたし、家出することにしたの。そしてあんたをつれてくことにしたのよ。」
(『クローディアの秘密』E・L・カニグズバーグ:松永ふみ子訳)
 本来の意味での秘密結社は、内部がいくつかの位階に分けられており、その位階の一つ一つに対応した秘儀を有している。結社への入社式(イニシエーション)または加入礼と呼ばれるものは、普通、その結社へ新しく加わる人間が通過しなくてはならない資格試験であり試練を指すが、これを通過して結社のメンバーになった者は、内部のさらに高い位階を、一つずつ進んでいくための秘儀を、いくつも通過しなくてはならない。したがって、秘密結社とは「血縁や地縁の原理によらない任意加入の、位階制に応じた秘儀を伴う目的集団」であると言うことができよう。(『秘密結社綾部恒雄