「だからフィードラーを殺すというの?――それであなた、悩むことはないの?」
「これはきみ、戦争だよ」リーマスはこたえた。「小規模の、至近距離での戦闘だから、不愉快な局面がいっそう痛切に感じられるだけだ。ときにはそれが、罪のない人間の命を奪う場合もある。だが、そんなこと、問題にもならん。ほかの戦争にくらべてみるさ。たいした問題でないのは、だれにだってわかるはずだ――このまえと、このつぎにおこる戦争を考えてみるがいい」
(『寒い国から帰ってきたスパイジョン・ル・カレ:宇野利泰訳)
 私たちが組織のなかで、トップでも末端でもない中間的な存在として、上司の意思を下部に伝達する位置にあるとき、ひとつの歯車として唯々諾々と、上司の命令であるがゆえにそれを引き受けなければならず、下部に伝達しなければならないと考えるならば、それは文字どおり自らをアイヒマンとすることになる。(解説、高橋哲哉)『われらはみな、アイヒマンの息子』ギュンター・アンダース:岩淵達治訳

ナチススタンレー・ミルグラム
 ナチスドイツの諜報機関ほど謎に包まれ、十分に理解されていない諜報機関はあまりない。頭文字をとってアプヴェーアと呼ばれるドイツ国防軍情報部は、嘘偽りと、相容れない事実のベールで覆い隠されている。これはかなりの部分が、ドイツのスパイマスターのなかでもひときわ抜きん出ていた一人の人物、1935年1月から1944年3月まで国防軍情報部の長官をつとめたヴィルヘルム・カナリス提督に起因する。カナリスは当初ヒトラーの熱烈な支持者だったが、第二次世界大戦が進むにつれてナチスに幻滅するようになった。彼は、総統のために忠実なスパイマスターの役割を演じようとする一方で、敵に対しては、わずかながらでも礼儀正しく接し続けようとした。それどころか、ほとんと活動を停止していたものの常に存在し続けていたドイツの反体制運動を支持していたのである。ヒトラーの壮大な野望を実現しようとした組織、ほかならぬドイツ国防軍が、同時にヒトラー抵抗勢力の源ともなっていたことは、第三帝国の摩訶不思議なるパラドックスの一つであった。ドイツ国防軍の中でも、情報部ほど強烈にヒトラー政権に反対を唱え、さまざまな階級に共謀者を抱えていた組織はほかにない。最終的に、カナリスとその忠実な部下のほとんどは、命を代償にしてヒトラーに抵抗した。(『ヒトラーのスパイたち』クリステル・ヨルゲンセン:大槻敦子訳)
「わかるかね? じっと坐っているというのは非常に雄弁な所作なのだ。どんな俳優でもそういうはずだ。わたしたちは、自分の性格に応じた坐り方をする。わたしたちは、長ながと体をのばして坐る、椅子にまたがる、ゴングを待っているボクサーのような格好で身を休める、そわそわと体を動かし、椅子の端に坐り、脚を組みかえる、辛抱を切らし、耐久力を失ってゆく。ゲルストマンは、そのようなことはいっさいしなかった。彼の姿勢は、まったく変わらなかった。筋ばった小さな体が突出した岩のようだった。筋一本動かさないで一日じゅうあのように坐っていることができたにちがいない」(『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイジョン・ル・カレ:菊池光訳)
 悲しみとは古い箪笥(たんす)のようなものだ、ミーラはそう考えていた。捨ててしまいたいのに捨てきれず、結局はそのままになってしまうおんぼろの箪笥。やがてそれは独特のにおいを放つようになり、部屋全体がそのにおいに染まる。時とともに人はにおいに慣れ、ついにはその一部となるのだ。(『六人目の少女』ドナート・カッリージ:清水由貴子訳)
「君に嘘はつかない」ジョーはその瞬間、心からの真実を告げている気がした。
「ふつう嘘つきはそう言うわ」エマは、あきらめてスプーンの薬を飲むことにした子のように口を開けた。
(『夜に生きる』デニス・ルヘイン:加賀山卓朗訳)
 アビダルマの本は当時の仏教世界全域で恒常的に作成されたわけではない。特定の、哲学的思考を重視したグループだけがアビダルマをつくった。おそらく「そんな理屈っぽいことを考えている暇があったら修行しろ」といってアビダルマに見向きもしなかったグループもたくさんあったに違いない。したがって、現在残っているアビダルマの本の出所は、二つの地域に偏っている。一つはスリランカを起点として東南アジア諸国にまで広がる「パーリ仏教」の世界。鉢を持ち、黄色い衣を着て修行している、あのお坊さんたちの世界である。そこには多数のアビダルマが伝わっていて、お坊さんたちの必修科目として今も読まれている(現地ではアビダンマと呼ばれている)。もう一つの中心地はヒマラヤの近く、インドとパキスタンの国境地帯にあるカシミール、ガンダーラと呼ばれる地方である。ここには2000年以上前から「説一切有部」(せついっさいうぶ)という名のグループがいて、多いにアビダルマを発展させた。しかしその説一切有部は、インドにおける仏教崩壊とともに消滅し、今は存在しない。書かれたアビダルマの本だけが残っている。(『仏教は宇宙をどう見たか アビダルマ仏教の科学的世界観』佐々木閑)