「山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、俺たち障害者は、生まれながらにして罰を受けているようなもんだってね。だから、罰を受ける場所は、どこだっていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていいんだ」
「馬鹿なこと言うなよ。ここには、自由がないじゃないか」
「確かに、自由はない。でも、不自由もないよ。俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。誕生会やクリスマスもあるし、バレンタインデーにはチョコレートももらえる。それに、黙ってたって、山本さんみたいな人たちが面倒をみてくれるしね。着替えも手伝ってくれるし、入浴の時は、体を洗ってくれて、タオルも絞ってくれる。こんな恵まれた生活は、生まれて以来、初めてだよ。ここは、俺たち障害者、いや、障害者だけじゃなくて、恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ」
(『獄窓記山本譲司

累犯障害者
 私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソン(訳注 1832-1912、イギリスの哲学者)が言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリー(訳注 1825-95、イギリスの生物学者)がある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。汽笛が列車の機械装置や行く先を変えられないのと同じように、意識も体の働きの仕組みや行動を変えられない。どうわめいたところで、列車の行き先はとうの昔に線路によって決められているのだ。意識とは、ハープから流れてくるが弦をつまびくことのできぬメロディ、川面から勢いよく飛び散るものの、流れを変えられぬ泡、歩行者の歩みに忠実にはついていくけれども、道筋に何ら影響を与えられぬ影だ。(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳)

科学と宗教統合失調症
スマナサーラ●それから、差別戒名の問題があります。被差別部落民ですとか、朝鮮人に死後つけられた戒名の差別主義というのは、それはひどかった。特におもしろいことに、曹洞宗が最も激しかったのですね。普通戒名に使われない文字を使ったり、生前の差別的な職業を表した戒名や、字数や字画の少ない戒名をつけたりして、一見してそれとわかるような戒名をつけていた。(『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチアルボムッレ・スマナサーラ南直哉

仏教
 詩人が純粋なる叡智の光によって世界を理解するの対し、余人は反射光によってこれを見るにすぎない。
     ――L・D・ギルクリスト
(『死の教訓(下)ジェフリー・ディーヴァー:越前敏弥訳)
 警察官などの子供が学習障害に悩まされる確率は、その他の職業の親を持つ場合より高い。(『死の教訓(上)ジェフリー・ディーヴァー:越前敏弥訳)
 年間企画「居場所を探して」で取り上げた高村正吉(60)=仮名=は前科11犯。知的障害がある。だが、障害があるがゆえに罪を重ねたのではない。社会から見放され、生活に困窮し、盗むしか生きるすべがなかったのだ。周囲の手助けが少しでもあれば、高村には別の人生があったのかもしれない。
 高村の生きざまを見ていると、障害者として生まれ、自力で福祉とつながることができなかった「責任」や「報い」のようなものを、高村自身だけが負わされている気がして、ひどく不条理に思えた。問題の本質は彼にあるのではなく、むしろ社会の側にあるのではないか。
 福祉と出合った高村は今も、なぜ周囲が支援してくれるのか理解できずにいる。
(『居場所を探して 累犯障害者たち』長崎新聞社「累犯障害者問題取材班」)

累犯障害者
 哲学が無害な慰みごとと考えられている時代に生きるわれわれは幸せである。しかし1676年の秋が近づくころ、バルフ・デ・スピノザには、わが身の危険を心配する十分な理由があった。一人の友人が最近処刑されていたし、もう一人の友人は獄死していた。主著『エチカ』を出版しようとするかれの努力は、それを犯罪として訴追しようとする脅迫のなかで頓挫していた。あるフランスの指導的な神学者はかれを「今世紀でもっとも不敬虔でもっとも危険な男」と呼び、権力をもつある司教はかれを「鎖につないで鞭打たれるに値する気のふれた男」と非難した。公衆にはかれは、たんに「無神論者のユダヤ人」として知られていた。(『宮廷人と異端者 ライプニッツとスピノザ、そして近代における神』マシュー・スチュアート:桜井直文、朝倉友海訳)

科学異端