軍人たちは怒って彼のギターを取り上げた。
 彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって、歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に撃ち込まれた。
 そのとき軍人は言ったという……「歌ってみろ、それでも歌えるものならな」
(『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代)

ショック・ドクトリン
 大規模なショックあるいは危機をいかに利用すべきか、フリードマンが最初にそれを学んだのは、彼がチリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官〔本来の発音は「ピノチェー」だが、1973年の軍事クーデター以来、日本では多くの場合「ピノチェト」と表記されてきたため、本訳ではそれに準ずる〕の経済顧問を務めた1970年代半ばのことだった。ピノチェトによる暴力的な軍事クーデターの直後、チリ国民はショック状態に投げ込まれ、国内も超インフレーションに見舞われて大混乱をきたした。フリードマンはピノチェトに対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、規制緩和、といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイスした。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴くナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)

ショック・ドクトリンビクトル・ハラ
 IMFの構造調整政策――国家を現在の危機に対応させると同時に、もっと永続的な不均衡にも対応させる調整政策――は、多くの国で飢餓と暴動を生みだした。(『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』ジョセフ・E・スティグリッツ:鈴木主税訳)

ショック・ドクトリン
 銀行の活動、つまりクレジットによって支配された社会は、時間と待機を利用しながら、未来を手球にとる。それは、あたかもすべての活動が、社会の成りゆきに先だって計算され、見込みのうえに成り立っているかのような社会である。(ジャン=ジョゼフ・グー)『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学マウリツィオ・ラッツァラート:杉村昌昭訳
 時の意味を考えるとき、それは出来事の副産物と考えることもできる。出来事というものは一つ起きると、次の出来事へと進むものである。時は、二つの出来事の積み重ねの中に存続している。アインシュタインは、(警察官から陽子に至るすべての物質をひっくるめて)物も「出来事」だと書いている。なぜなら、出来事はある一瞬、ある場所で、一つの形でしか存在しえないからである。他のどんな一瞬とも違うし、すべてのことは、変わり続けている。この点においてアインシュタインは、「物」もまさに「出来事」だ、というわかりやすい見解を示した。私たちはある「出来事」と他の「出来事」により、「前」と「後」の感覚を得る。同じように、時の長さも(喪失も)、この理論に基づけば理解できる。時は、出来事を通してのみ計ることができるものなのだ。だから、もしもこの出来事がなかったら、時は自然に止まってしまう。また、もし出来事がたった一つしか怒らなくても、世界はどこにも存在できないし、何ものにもなれないだろう。「時」に意味がなくなってしまうからだ。(『刺激的で、とびっきり面白い時間の話 人、暦、時間 神々と「数」の散歩道』アレグザンダー・ウォー:空野羊訳)

時間
 さらにニュートン力学的宇宙観によれば、「すべての事象は数学的に表現できるような力学的法則に従い、したがって必然的である。この宇宙に偶然なものは本来存在しない」と考える。そうして、人間にとって「偶然」と見えるものは、対象についての知識が不十分なためにそのように思われるだけであり、したがって「偶然」とは単に「無知」の結果であるにすぎない、とラプラスは主張した。(『偶然とは何か その積極的意味』竹内啓)
 華厳とは雑華厳飾である。種々の色の花で装飾された仏の世界を意味する。(『華厳経』高銀:三枝寿勝訳)

仏教