【再活性化された信仰を原理的に権威づけているのは、何ものにも服さぬ自己である】 世俗化とは宗教と信仰の没落を指す言葉ではなく、次第に個人化へと向かう宗教性の形成とその大規模な拡大を指す言葉だ。諸宗教の影響領域が互いに重なり合い、浸透し合うようになる社会の中で、このプロセスは信仰の再活性化をめざそうとする、より包括的な傾向の一部をなしている。(『〈私〉だけの神 平和と暴力のはざまにある宗教ウルリッヒ・ベック:鈴木直訳)
 こうして、「神に服従すること=僧侶への服従」となってしまい、僧侶のみが人間を救うことができるという、バカバカしいお話ができあがるわけです。僧侶のような組織を持つ社会では、「罪」というものが必ず必要になります。彼らは「罪」を利用して力を振るうからです。(『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』ニーチェ適菜収訳)

キリスト教
 思い出すのは、業界と結びついて厚労省が行った「介護予防事業」である。介護予防は、民間の団体が補助金を湯水のように使って、高額な機器をそろえ、要介護度の低い老人を無理やり一堂に集めて、「パワーリハ」と称する健康体操まがいの指導をした。
 リハビリの専門知識もなしに始めたこの事業は、瞬く間に馬脚を現し、見事に失敗した。施設は今閑古鳥が鳴いて、高額な装置は埃をかぶっている。リハビリ医学の常識を無視した施策は、税金を使って業者を潤わせただけの事業となった。
 理念も科学的根拠もなしに、日数だけで患者を振り分けて、とりあえず介護保険に誘導する。それに必要な高額な予算は、新規事業として認める。介護予防の二の舞になりかねない。
 設備も人員も、新設には金がかかる。そこに群がる介護業者には事欠かない。新たな利権が生まれる。
(『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか多田富雄
 いま「真人」と訳しましたが、もとの言葉は「アルハット」です。一般には音を写して「阿羅漢」といいます。敬われるべき人、あがめられるべき人、尊敬に値する人という意味です。だからどの宗教でもいいのです。仏教では、仏陀の称号の一つとして「アルハット」といいます。それからジャイナ教でも、ジナ(祖師)がアルハットと呼ばれています。だから初期のころには、仏教もジャイナ教も同じ意味で「アルハット」といっていたのですね。
 後世になると、仏教では、ブッダとアルハットを区別するようになりました。ブッダは仏さまで、アルハットは阿羅漢、つまり小乗仏教の聖者だと使い分けるようになったのです。これは後代の発展です。ジャイナ教では、古い意味をそのまま残していて、アルハットというのはジナのことで、ジナはまたブッダとも呼ばれています。
 そういう人々をヴァッジ人は尊敬しているかどうか。宗教の区別は問題ではないのです。区別の意識さえなかったでしょう。ただ、静かにじっと瞑想したり修行をしたりしている人がいれば、その人を尊ぶということです。その人がジャイナ教徒であるか、仏教徒であるか、アージーヴィカ教徒であるか、そういう区別はあまり問題にしなかった。
 本当におのれの身を修めているかどうか。それが問題なのですね。そういう人であれば尊崇する。――のちに、これを釈尊の言葉として、あるいは初期の仏教徒の言葉として、あまねく願わしいこととして認めた。仏教という狭い領域を限って、仏教の教えに従っている人は尊崇するけれども、他の人は顧みないというのではない。宗教の区別という意識がなくて、本当の宗教的実践をしている人を尊ぶということです。
(『ブッダ入門中村元
 斎藤宅でまだ指揮のレッスンのあったころ、小澤征爾は斎藤の怒りに靴もはかずに飛び出し、そのまま裸足で家に帰った。オーケストラの雑用をひとりでかかえ、指揮の勉強もままならないころだった。翌日、母があやまりにいって、靴をとってきた。秋山も、斎藤の怒りに腰が抜けるようになって動けなくなったことがある。(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯中丸美繪

斎藤秀雄
 蜂が刺しても、それを払うと叱られる。そんなことに気を散らしてはいけない、と。(『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』財団法人民主音楽協会編)

斎藤秀雄
 インティファーダが始まるとアサーフ(※アブドゥルハミードの愛称)は緊急医療チームに志願し、ほとんどの時間を負傷者の救助や彼らの看病に費やすようになった。
 2001年1月7日、彼の遺体はネツァリーム交差点の近くで見つかった。前夜11時に父親の家を出たのちの彼の行方は分からない。翌朝、遺体が発見されたとき、片手の指はすべて切り落とされ、親指がかろうじてぶら下がっているだけだった。もう片方の手と腕とあごの骨は折られ、身体じゅうあざだらけだった。両手首の傷は、彼がきつく縛られていた証拠だった。その晩その地域で、イスラエル兵との衝突は1つも報告されていない。にもかかわらず、アサーフは明らかに拷問された揚げ句、20発以上の弾丸で、身体を穴だらけにされたのだった。(アブドゥルハミード・ハルティー、34歳)
(『シャヒード、100の命 パレスチナで生きて死ぬこと』アーディラ・ラーイディ/イザベル・デ・ラ・クルーズ写真:岡真理、岸田直子、中野真紀子訳)

パレスチナ